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第102話 常識適用範囲外

 パシャッ、と何かが擦れるような機械音がして、同時にこの空間には不似合いな白い光が、一瞬周囲を照らし出した。

 瞬きの間に光の名残りも消え、だがそんなことを気にかける暇もないのは、それよりもよほど気になるモノたちがライカリスたちの前方上空に浮かんでいるから。

 その内の1人はライカリスには馴染みの彼だ。


「このナカでは、つかうドウグはオレサマがきめるからな! そのユビワはつかえないぞ」


 自信の表れのような笑みに鋭い牙を覗かせ、少年は高らかに告げる。

 紫がかった黒髪、赤く光を放つ大きな瞳。そしてライカリスの大切なリコリスと同じ顔で、常と変わりなく尊大に腕組みをしながら、ライカリスたちを見下ろして。


 そこまではいい。……というか、別によくはないがいつも通り、たまに収納されているライカリスにとってはわりと慣れた現象である。

 しかし、今日に限ってはその両隣に、見知らぬようなそうでもないような人物(?)を、2人も引き連れてのご登場はどうしたことか。


(……面倒事はリビダさんたちに押しつけたかったが)


 相手が3人に増えたとあっては、それも難しいか。

 波乱の(イヤな)予感に、ライカリスの背を冷たい汗が伝った。




「は、え? リコリス……じゃない、よね」

「男の子みたいだよ、兄さん」


 まず双子が、蝙蝠少年を見て驚きの声を交わす。

 リビダの方は特に、少年の顔のせいで一層警戒を強めた模様。その利き手は当然得物にかかっているが、それが全くの無駄だと気づく未来は、きっとすぐそこだ。


 驚きを示しているのは、ライラックも同様だった。

 しかし双子と違い、その視線は蝙蝠少年の隣に釘付けになっている。


「デイジーちゃん……?」


 ぽかんとだらしなく開けられていた口から零れ落ちたのは、彼の愛娘の名前。

 どう考えてもここにいるはずのない人物の名が挙げられた理由、兄の心境は、ライカリスにもよく分かった。


 蝙蝠少年の横で、もじもじとした風情で浮いているのは、蝙蝠少年よりも更に若く幼い少年だった。

 軽くウェーブした金茶の髪は短いがとても柔らかそうで、黒々とした大きな目が髪と同じ色の睫毛に縁取られている。

 ライラックが娘の名を出した原因となるその顔は、まさかと驚くべきか、やはりと納得すべきか、ライカリスの姪でもあるデイジーと瓜二つなのだ。リコリスと蝙蝠少年と違い、態度から滲み出る性格も、主人とそうかけ離れてはいないように見える。

 ただ、纏う色彩以上に決定的な違いと言うものはあるもので、彼の場合はそれが頭の上に存在した。

 ふわふわとした髪の上にちょこんと乗った、髪と同じ色の耳。人間の物ではない、何か動物のそれは、彼の正体を考えれば容易に想像がつく。つまり、熊の耳だ。


 ライラックもすぐにそれに気がついたのだろう。

 愛娘ではなく、しかしライラックにも馴染みの存在。そう認識したらしいライラックは当初の驚きを消し去り、常日頃娘を見つめる父の顔になる。


「もしかして、スピちゃんかい?」


 初対面の人間相手に照れ恥じらう幼子に、ライラックは親しげに呼びかけた。

 蝙蝠少年の影に半ば隠れるようだった幼子が、ぱっと弾かれたように顔を上げる。


「パパだよ〜」


 朗らかに笑って、「おいでおいで」と手招きをするライラックは、確かにこの場の誰よりも高い順応力を遺憾なく発揮していた。

 幼子はおずおずと蝙蝠少年の顔を窺い、頷かれてからようやく子どもらしい笑みを浮かべる。


「おとーさん」


 ライカリスたちを見下ろす高所から、ふわりと舞い降りた幼子が、ライラックの広げられた腕の中に音もなく落ち着く。

 そうなってみれば、それは普段通りの父娘(おやこ)の光景と酷似していて、どう考えてもおかしいのに、妙な説得力があった。


「いや、おかしくない……? 警戒心とかどこ捨ててきた……」


 リビダの引き気味の呟きにはライカリスも大いに同感だったが、生憎目の前に現れた幼子に夢中のライラックには聞こえてはいないよう。

 もしかしたら、そんなリビダの嫌味はある種の現実逃避だったのかもしれない。


 リビダだけでなくビフィダも、双子の顔は揃って困惑に彩られ、その視線は未だ高みにいる蝙蝠少年の横へと向かう。

 蝙蝠の翼(・・・・)をはためかせるリコリスに瓜二つの少年と、熊の耳(・・・)を生やしたデイジーと同じ顔の幼子。では、その2人と共に現れた、フードを目深に被って表情の窺えない残りの1人は……。

 その意味するところを誰に教えられるでもなく察してしまったらしい彼らは、何とも言えない落ち着かない様子で立ち尽くしていた。


 体格からして、おそらく男であろう黒いローブの人物は、何も言わない。フードを上げ、顔を晒すこともしない。

 ただ黙って、ローブの合わせから黒い機械を取り出し、見下ろした双子に向けた。

 再び、パシャッと音がして、光――フラッシュが周囲を照らす。

 手の平ほどの紙を吐き出す、ライカリスにも見覚えのある黒い機械。それは間違いなくリコリスの所持していたカメラだった。


「ねぇ、あのさ…………何で撮るの?」

「……さっきも撮ってましたよね?」


 被写体2人は怪訝に眉を寄せ、更に困惑を深めたようだ。

 それに対し、ローブの人物はそれまで閉ざしていた口をようやく開く。


「……喜ぶ」

「はぁ?」


 低い声は小さいがよく通った。予想通り、深みのある男の声だ。

 小さく呟かれた端的過ぎる答えに、リビダが首を傾げ、ローブ男の隣でそのやり取りを見守っていた蝙蝠少年が呵呵と笑う。


「ダメだぞ。こいつらはオツムがたりていないんだから、もっとコンセツテイネイにおしえてやらないとな!」


 相変わらず、はっきりと物を言う少年だ。

 双子に足りていないのが頭なら、蝙蝠少年には遠慮というものが足りていないと、ライカリスは思う。まあ、双子が馬鹿なのは概ね同意だが。

 馬鹿と言われた双子はといえば、弟の方が嬉しそうにしたのはともかく、口元を引き攣らせた兄はまともではないが正常な反応だろう。

 今にも抗議で口を開こうとしていたリビダを押し留めたのは、ローブ男の蝙蝠少年への肯首と、続けて発された言葉だった。


「……お前たちを撮ると、主が喜ぶ」


 主。

 その言葉の示す相手を、双子はもう当たり前に気がついている。

 この2人を翻弄し、最大の弱点足り得るのはただ一人。

 その存在を引き合いに出され、リビダの苛立ちが行き場をなくしたように揺らいだ。


「君、ソニアの、あのポケットだよね?」

「……そうだ。私は主の一部」


 シンプルな肯定。

 顔も確認していないのに、ただその一言だけで、リビダの手を短剣から外させてしまった。

 当然といえば当然。ローブ男がソニアの一部だというなら、双子は攻撃などできないのだ。ライカリスがそうだったように。


「…………何でソニアが喜ぶの?」

「お前たちの珍しい顔を見れば、主は喜ぶ」


 重ねられた問いに、ローブ男はすぐさま答えを差し出し、しかしそれに納得がいかなかったのか、言葉を探すように宙空を見上げ。

 ややあって、いい言葉を見つけたのか、小さく頷いてリビダを見下ろした。


「好いた相手の色々な表情を見られれば、嬉しいだろう」


 だから撮る。

 そう断言された瞬間の双子の様子は、ライカリスからしてもなかなかの見物だった。

 一瞬、時が止まったかのように硬直すると、リビダは口元を押さえて俯き、ビフィダは額に手を当て横を向いた。双方共、言葉もなく、というより出せなかったと言うのが正しいか。

 ライカリスの位置からはその表情までは確認できなかったが、後で写真を見せてもらうのもいいかもしれない。

 何せ、ローブ男は双子の変化を余すことなく写し撮っているのだから。しかも、それまでの高所から降りてきて、そっぽを向いた双子に交互に身を寄せ、覗き込むようにして真正面のアングルを狙う徹底ぶりである。


「ちょ、近い近いっ! ていうか撮り過ぎ!!」

「も、申し訳ありません、今は……」

「……何故? お前たちの顔が赤くなるのは珍しい。主は絶対に喜ぶ」

「赤くないし、言葉責めやめてくれないっ?!」

「あのっ、本当に、こんな顔をご主人さまにお見せするわけには……っ」

「大丈夫だ。主はお前たちを愛している。どんな姿でも喜ぶ」

『〜〜〜〜っ』


 スクレットの森の悪魔がここまで一方的に追い詰められたことが、未だかつてあっただろうか。

 相手がソニアではないがソニアのようなものであるからか、はたまたローブ男の発言にも態度にも一切のからかいや照れといった他意がないからか。双子は普段のように揚げ足を取ることも、身悶えすることもできないまま、いいように翻弄されていた。

 レンズを塞がれそうになるのを、ひらりひらりと躱して双子に張りつくローブ男は、撮影の手を緩めない。それどころか至って大真面目に主人の本音を代弁し、直球に慣れない双子を情け容赦なく追い込んでいく。

 カメラから吐き出された写真は、撮影者と同じように双子の手から逃れ、次々と宙を舞う。


(恐ろしい……)


 蝙蝠ポーチに初めて飲み込まれた時、蝙蝠少年に追い詰められた恐怖が思い出され、ライカリスは密かに戦慄する。

 蝙蝠少年とタイプは違えど、カバンとはなんて恐ろしい。

 否、すぐそこでライラックと楽しそうに会話している幼子のようなカバンもいるから、一概には言えないかもしれないが……。

 しかし少なくともライカリスは蝙蝠少年に頭が上がらないし、双子にとってローブ男が脅威であることは動かしようのない事実である。


 巻き込まれたくない一心で気配と震えを押し殺すライカリスだったが、そこでふと蝙蝠少年と目があってしまった。

 ギクリと身を強張らせるライカリスに、蝙蝠少年は何故だかニヤリと笑い。


「おい。どうせなら、あれをきかせてやったらどうだ? もっといいシャシンがとれるとおもうぜ」


 双子に絡むローブ男にそう声をかけた。

 傍目から見物しているだけのライカリスですらイヤな予感しかしない提案に、双子の動きが止まる。

 ローブ男はそんな双子と蝙蝠少年を交互に見比べると、静かに頷き、音もなく身を引いた。

 制止しようとしたリビダの手は一歩遅く宙を掻き、双子の正面に回り込んだローブ男の口から放たれたのは。



「……もう2人に会えないのは、ワタクシ嫌だわ」



 それまでのローブ男の声とは全く異なる、間違いなく女のそれ。

 ローブ男の考えたセリフなのか、どの場面かで実際にされた発言かは定かではないが、主人であるソニアの声に違いなかった。


 この広い空間でもやけにはっきりと聞こえた声は、しかし決して力強くはなく、むしろ心細げな祈りのように繊細に響き、双子を絡め取った。

 今度こそ完璧に動かなくなった双子をせっせと撮影しながら、ローブ男はなおも独り言のように続ける。


「会いたくないなんて、言わないから、だから……」


 行動とセリフが全く噛み合っていなくて、不気味なことこの上ないが、ただソニアの声というだけで双子は動けない。

 どうやらカバンというモノは、持ち主の模倣が大変にお得意なようだ。

 かつてリコリスの顔で、声で、ヘタレと斬られ、崩れ落ちた時の胸の痛みが再来し、ライカリスは双子への同情を禁じ得ない。

 蝙蝠少年のようにバッサリ斬り捨てられるのもキツいが、ソニアと無理やり引き離されたこの状況で、こんなことを言われるのも辛かろう。今すぐにでも会いたい気持ちが、余計に募る。


「……それ、ソニアが言ったの?」

「そうだ。主が言った」

「いつ」

「お前たちがここに来た直後」

「っ、ソニア様……」


 問いかけるリビダの声はどこか苦しそうで、ここにはいないソニアの名を呟くビフィダは肩を落として寂しげで。異変後、ソニアが帰還するより以前に双子が時折見せた姿と被る。

 それだけに、構わず撮影を続けるローブ男との温度差がひどい。


 やがて、写真については諦めたのか、カメラから目を逸らしたリビダがため息をひとつ。シャッター音の合間に聞こえたそれは、気持ちを落ち着けるためのものだろうか。

 それから、上空にて余裕の笑みで構えている蝙蝠少年を、真っ直ぐに見上げ。


「ねぇ、そろそろここから出してくれない? ……もう、ソニアのところに戻りたいよ」

「俺からも、お願いします。どうか」


 おそらく、捻くれ歪んだ男にしては破格の素直さでの懇願。

 そして、この件に関しては巻き込まれただけのビフィダが兄に重ねて請う。

 油断はできなくとも、条件を付けてなら解放してやってもいいかもしれない。普段の双子を知る者でも、そう考えてしまいそうな態度と空気。

 なのだが、冷酷なる支配者はあっさりと首を横に振ってみせた。


「ダメだ」


 その余裕の笑みには欠片の揺らぎもなく、返答はにべもない。

 それを見た途端、リビダの纏う空気が尖る。だがそれが殺気、とまではいかないのは、おそらくもうソニアに会えないかもしれないという不安で揺れているからだ。

 いくら天然ドSの蝙蝠少年とて、そこまで残酷ではなかろうとは思いつつ、その笑顔の下で考えていることは分からず、ライカリスも固唾を飲んでリビダと蝙蝠少年のやり取りを見守る。


「何で? まさか、外で会わせないようにするとか話してたから?」


 リコリスとの殺気飛び交う口喧嘩の終盤、というか4人が吸い込まれる直前。そういえばリビダはそんなことを言っていた。「そんなことをさせると思うのか」とも。

 確かにタイミング的に、蝙蝠ポーチの行動はそれに応えたようにも思える。それにしては、それ以外の3人がとばっちりもいいところだが、まさか本当にそれが原因なのだろうか。

 果たして、睨まれた蝙蝠少年は笑みを引っ込め、きょとんとした顔で首を傾げた。


「んん? ケダモノ、おまえはナニをいっているんだ?」


 どうやら、リビダのあだ名はケダモノらしいが、それはともかく。

 僅かばかりの悪意もない蝙蝠少年に不思議そうに見下され、リビダの気勢が削がれる。


「え、じゃあ何で駄目なのさ」


 てっきりリコリスに楯ついた罰か何かかと思っていたのだろう。実際、ライカリスもそう考えていた。

 だがそれが、どうやらそうではないらしい。

 リビダの疑問を受け、蝙蝠少年は腰に両手を当ると、堂々と胸を張り、お馴染みの自信に満ちた笑みを浮かべた。



「きまっているだろ。ジョシカイにヤローはフヨウだからだ!」



 これを聞いた時、ライカリス「あぁ、さすが蝙蝠様」と思った。

 仮に勝負事にならずとも、ただ普通の会話だけで絶対優位を確立する。考え方の違いだけで、矮小な者を圧倒する真なる強者。

 噛みつくのも、ツッコミだって厳禁だ。どうせ斜め上に切り返されて、何だかよく分からない疲労感に苛まれることになる。今のように。


「そんな理由とか……」


 呟いて肩を落とすリビダも学んだだろう。この少年に刃向かっても、勝負になる前に敗北することを。

 そしてライカリスと同様に、実はとばっちりでもなんでもなかった残りの2人(バカ)、ビフィダとライラック。


「リコリスさんのカバン、すごい振り回してくれる……。どうしよう、俺興奮してきた……はぁ」

「あぁ〜、女子会かぁ。デイジーちゃんとリコリスさんとソニアさんで……うん、確かにとっても華のある女子会だね! あ、でもスピちゃんも可愛いよ〜」


 げんなりぐったりする兄の横で、蝙蝠少年の意図を知って安心した途端に頬を染め、怪しい動きで身悶えし始めたビフィダと。

 相変わらず幼子を腕に抱えながら、何一つ危機感を覚えず、呑気に頷いているライラック。

 彼らくらいのメンタルを持てたなら、この空間も苦痛ではないのだろうなと、しかしちっとも羨ましくないと、ライカリスは長い長いため息をついた。

 嗚呼、今日は長い一日になりそうだ。

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