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第101話 カバンとは

 抗いがたい強風に体を吸い寄せられ、その後に襲いくる目眩。脳を揺さぶられているかのような感覚は当然あまり愉快なものではないが、悲しいかな、ライカリスはこれに慣れて久しい。

 一度目を閉じ、軽く頭を振ってから周囲を見渡せば、いつも通りの不思議空間がライカリスを取り囲む。

 不気味に巨大な月も、下方に広がる禍々しい色の森も溶岩の川も、悪趣味な建造物も、いつもと何も変わらない。

 その中にあって、普段との決定的な違いが1つ。


(兄さんにリビダさんたちまでとは……)


 ライカリスから少し離れて、というか各々手が届かない程度に距離を置いて、ライラックと双子の姿がある。いずれも、煩わしそうに頭を押さえるなり振るなりしているが、すぐに復活するだろう。

 それにしても、この空間に、自分以外の招待客の存在があるのは初めてのことだ。


(ある意味、助かったといえば助かった、か)


 今しがた外で繰り広げられていた、リコリスの友人ソニアが、どういう理由でか(何となく想像はつくが)先行して飛び出してきたことに端を発した冷戦。

 ライカリスからすれば、面倒なことをしてくれたとため息の一つ二つでは足りない気分だが、リコリスにとっては大切な友人の危機であり、相手がリビダとあって火がつくのは一瞬だった。

 刃物が出たわけでもなければ血を見ることもなかったにも関わらず、ライカリスの肝を盛大に冷やしに冷やしてくれたわけだが、それでなくともライカリスは複雑な心境だったのだ。

 あの時、リコリスを守りながらライカリスの胸の内にあったのは、非常に不本意なリビダへの同情と、ソニアへの嫉妬だったから。


 リコリスは、一度懐に入れた者への情が厚い。

 ライカリスだけでなく、牧場の従業員たちやスィエルの町の住人、そして友人たちをとても大切に思っている。何か有事の際には、自分の持てる力の全てを使っても、彼らを守ろうとするだろう。 

 そんなことはライカリスも最初から分かっているし、ライカリスとて絆の指輪を貰った身。しかも、デイジーの発言では、左手の薬指に重要な意味もあるという。だからこそ、リコリスの中のライカリスの地位が、彼らに劣るとは思っていない。

 それなのに、あの時リコリスが迷わずソニアを庇うのを見たライカリスは、確かにソニアに嫉妬していたのだ。

 リコリスのパーソナルスペースに容易く滑り込み、躊躇いなく触れることができる人間を許せないと思ってしまった。


 元々リコリスとソニアはお互いに親友と言うだけあって、距離が近かった。

 異変があって、牧場主の中でただ一人戻ってきたリコリスに、一番近しいのはライカリスだったが、ソニアや、仲間の一人であるデイジーが戻ってきた今となってはどうなのか。

 友人たちが戻ってきたことを心から喜んでいるリコリスに対して、こんなことを考えるのは裏切りのような気がするのに、愚かな独占欲は消えてはくれない。

 だから、ライカリスにはリビダの気持ちが分かる。


 まだ幼い姪は、リビダが同性間の友情に嫉妬する理由が分からないようで、しきりとどうしてと問うていたが、どうしてもこうしてもない。

 自分の一番大切な人間に、自分より近い存在があることが、例え可能性でも許せないのだ。ただそれだけ。性別や関係性など、どうでもいいこと。

 ライカリスですらこうなのだから、あの状況で挑発されるハメになったリビダは堪ったものではなかっただろう。ライカリスも、自分があの立場だったらと思うとゾッとする。

 あの場の全員、特にリコリスやデイジーがリビダを凌ぐ実力者で、唯一味方になり得るビフィダがライラックに抑えられていて仕方がなかったとはいえ、あの男にしては本当によく我慢したものだと思う。


 リコリスに殺気をぶつけてくるリビダは許せないのに、そのリビダを哀れに思う。その相反する感情は、ライカリスを非常に居た堪れない気分にさせた。

 それはもう、心の底から居心地が悪かった。ついでに気分も気持ちも悪かった。何故自分が、アレに同情などしなければいけないのかと。

 だからあの喧嘩を強制終了させた蝙蝠ポーチの介入は、ライカリスとしては正直幸運としか言えない。

 何故に自分と兄までまとめて食われたのかは、甚だ疑問であるが……。

 そこは、()が説明してくれるのだろう。多分。話が通じれば。


(やれやれ)


 何もできないことを知っているライカリスは、抵抗する気すらなくその場に腰を下ろした。

 以前食われた時にはなかった指輪の効果があるかどうか、試してみてもよかったが、外に出られたとしてもリコリスの近くにいる以上は結局逆戻りである。無駄になるどころか、ここの主の不興を買う可能性を考えると、迂闊には試せない。

 それに、ひとまずここに危険はない。精神的ダメージを受ける可能性は多大にあるが、命を脅かすものは存在しない。

 ライカリスが早々に諦めという名の寛ぎ態勢をとった頃、後の3人も動きを見せた。


 警戒を露わにした双子が武器を構えたのは理解できる。突然こんな場所に放り込まれたのだから、当然の反応だ。

 逆に、全く理解できないのがライラックで、移動はできないながらもキョロキョロと、物珍しそうに周囲を眺める様子は何やら楽しそう。泰然自若にも限度というものがあるだろうに、我が兄ながら警戒心や危機感をどこに捨ててきたのやらと呆れてしまう。


 ライカリスは彼らのやや後方に位置していたからか、しらっとその様子を見物していたわけだけれど、元々の距離は近い。

 3人ともすぐにライカリスの存在に気がついて、各々目を見開いた。


「ちょっとライカ……君、何でそんなのんびりしてるわけ?」

「あっ、ライカ君! 見て見て、あの大きい月!」


 リビダの非難に被せるように、ライラックがテンション高く月を指差す。

 この場の最年長のはしゃぎように、言葉が続かないらしいリビダは苦虫を噛み潰したような顔になるが、ライラックと積極的に絡みたくないのか、いつもの軽口はない。

 代わって、ビフィダの方がしみじみとライカリスとライラックを見比べて薄く笑った。


「ライカさんとライラックさん、やっぱり兄弟なんですね。こんな状況で寛げるなんて、何ていうか似た者兄弟……」

「似てません。一緒にしないでください。というか、似た者兄弟はあなたたちですよ。人を不快にさせる天才です」


 普段はリビダの加虐趣味が目立ち気味だが、ビフィダの方もただの被虐趣味ではない。自分が虐げられたいがために、人の嫌がること、嫌われることが、言動の基準になっているのだ。

 兄の方と違って無意識のようだが、求める結果が異なるだけで、結局やっていることは同じ。本当に嫌な双子である。

 ライラックと似ていると言われるのも嫌だが、こんな能天気と思われるのも腹が立つと、ライカリスははっきりと顔を顰めた。

 しかし、それに反応を示したのはライラックで、まるで風船が萎むように肩を落としてライカリスを窺い見る。


「ライカ君、僕と似ているのは嫌なのかい……?」

「わぁ、ライカってばいじめっ子〜。悪役っぽーい」


 どこからどう見ても、誰に聞いても善人であること間違いなしのライラックを傷つければ、確かに悪役と言われても仕方がない。

 ライカリスとてそんなことは理解しているし、別に言われたところで事実だし、気にもしない。しないが、今回についてはどうしても納得いかないことが一つ。


「リビダさんにだけは言われたくないです、それ」


 悪役っぽいどころでなく悪役そのもののような輩が口にしていいセリフではない。

 ライラックには何も言えないくせに、ライカリスには嬉々として飛ばしてきた野次を正論で打ち返して、ライカリスは兄を睨めつける。


「兄さんも、こんなことでいちいち落ち込まないでください。私は昔からこうでしょうに」

「う、うん……。ごめんね、ライカ君」


 暴言を吐いたライカリスの方が尊大に開き直り、何一つ非のないライラックが謝る。

 どう考えてもおかしい光景を咎めたり、ツッコんだりするまともな人間は、残念ながらこの場には存在しなかった。この面子にツッコミができる人間を、まともと呼べるかはまた別として。


「――で、ここはどこなの?」


 言外に悪役と言われた程度では欠片も堪えないリビダが、しれっと話題を変えてきた。

 ライカリスが全くと言っていいほど緊張していないからか、双子も最初の警戒は引っ込めて、ただ疑問を表情に乗せている。

 リビダの話題転換が意外にもまともだったこともあり、このままライラックの相手をするのが面倒なライカリスも、それに乗ることにした。

 といっても、返答は短く簡潔になる。


「リコさんのカバンの中ですね」


 こうとしか、答えようがないからだ。

 これを聞いたビフィダがちょっと頬を染め、「監禁……」と悩ましくため息をついたのは、とりあえず聞き流すとして。


「……あのアマ」


 外での喧嘩を思い出したのか、双眸に険を滲ませたリビダが呟く。

 リビダからすれば、ソニアを奪われた挙句に散々嬲られ、トドメには監禁かと思うのも無理はないのかもしれないが、この件に関してはリコリスの意思ではない。

 リコリスを悪く言われるのは不快だが、しかし訂正したところで2人の仲が悪いのはもうどうしようもなく今更で、悪感情がベースにある以上説明しても信じないだろう。

 ここの主が現れてくれれば話は早いのだが、何故か未だに出てきてくれないし……。

 一応訂正しておくか、でも面倒臭い、と僅かに悩んだライカリスの代わりに、リビダの悪態に否やを唱えたのはライラックだった。


「うーん? でも、リコリスさんも驚いていたように見えたんだけどなぁ」

「あぁ、そういえば……じゃあ、リコリスさんじゃないんでしょうか」


 不思議そうに首を傾げるライラックに釣られるように、ビフィダも同じ動きで首を横に倒す。

 あの時、冷戦の外側にいた2人は吸い込まれるまでに僅かだが猶予があり、その一瞬に見たリコリスは心底驚き慌てていたようだったという。

 その光景が容易に想像できて、そして今までの蝙蝠ポーチの所業が思い出されて思わず疲れた顔をしたライカリスに、それでもリビダは納得がいかないらしい。


「意味分かんないんだけど。だって、リコリスのカバンなんだよね?」

「カバンが皆、持ち主の言うことを聞くと思ったら大間違いなんですよ……」


 遠い目でしみじみ告げた。

 散々振り回されてきたライカリスだからこそ、そこには不吉な説得力がある。

 ライカリスがリコリスを庇っているわけではなく、嘘をついているのでもないことが伝わったのか、リビダが口元を引き攣らせた。


「何でカバンなのに持ち主の言うこと聞かないのさ。…………いや、待って。そもそも、カバンに言うこと聞く聞かないとかなくない?」

「そんな常識が通用する相手なら、こんなことになってませんね」

「……何、アレは生き物なの?」

「生きてるかどうかは知りませんが、リコさんの意思とは解離しているのは確かです。でなければ、私までここにいないでしょう」

「…………」


 得体の知れない広大な空間の上空に、男が4人。

 外では敵なしとまでは言わないまでも、相当の実力者ばかりが雁首揃えて手持ち無沙汰で、種やらジョウロやら菓子やら装備品やら、雑多なアイテムに取り囲まれている。

 ここに常識など持ち込んで、何になるというのか。


 そしてリコリスなら、双子は収納しても、ライカリスやライラックまで巻き込んだりはしないはずだ。そんな理由がない。

 はっきりと断言され、自分でもその通りと思ったのか、リビダがとうとう黙り、ため息をついた。


「デイジーちゃんのスピちゃんもよく動いているけど、リコリスさんのところはもっと活発なんだね。前はもう少し大人しかった気がしたんだけど」


 言葉を探す気も失せたらしいリビダの代わりに、興味深げに上を見ていたライラックがのんびりと笑う。

 誰とも敵対せず、誰にでも友好的なこの兄にとっては、この状況はさほど慌てるものではないのか。愛娘の友人であり、実弟の相棒でもあるリコリスが事の発端ならば、害はないと判断したのかもしれない。

 そして、仮に害があっても構わない者もいる。


「カバンまでドSだなんて……リコリスさんすごい、いい……」


 ――否、むしろ害を望む男、ビフィダ。

 その悩ましい視線は、周囲を漂うナイフや鉈や斧に向けられている。リコリスの趣味で集められた装備品だけあって希少価値は高く、同時に実用品としても優れものだ。

 確かに、満足に身動きの取れない今、あれらが飛んできたら相当の被害を免れないだろうが、それこそ望むところとうっとりとしている。

 相変わらず理解できない異次元生物っぷり。ライカリスはそっと目を逸らし、ライラックの発言に意識を向けた。


「……ええ、確かに蝙蝠様が積極的に動き出したのは、リコさんの帰還後からですね」

「様付けって……。えー、じゃあさ、ソニアのカバンもそのうちこうなるってこと? 勘弁してほしいんだけど」


 異変前、ライカリスは今ほどではないにしろリコリスと共にいた。

 当時の蝙蝠ポーチもそれなりに動いているのは見たが、それでも主人の意思から離れ勝手に行動するようなことはなかったはずだ。

 カバンに元から意思があったのか、()が存在していたのか。確かめる術はないが、異変と、そして帰還が何かのきっかけになった可能性はある。

 それを聞いたリビダが露骨に顔を歪めるが、ライカリスにもそこまでは分からない。というか、ライカリスはソニアのカバンを覚えていないので、何とも言えないのだが。


「ご主人さまのカバンって、カバンって言うのか微妙だけど……アレだよね?」

「そうだよ。アレ」


 当たり前だが、ソニアのカバンを知っている双子は顔を見合わせ、しかし正反対の反応を見せる。ビフィダは口元に手を当て楽しそうに、リビダは心底嫌そうに肩を竦めて。

 自分たちが吸い込まれるところを想像したのだろうが、この反応を見るかぎり、ろくな光景ではなさそうだ。


「はぁ……。まぁ、いいや。とりあえず、僕はもう出るよ。コレあるんだし」


 せっかくだから、使わないと。

 そう言って、リビダが左手をぷらぷらと振ってみせた。その薬指には、ライカリスとは色違いの指輪が嵌っている。

 この場所が何なのか、何者の(クチ)によって、どのようにしてここに来たのか。正体不明のものをそのままにしておくのは望ましくなかったから留まってはいたが、最低限は把握できたのだから、これ以上ここにいる意味はないと判断したのだろう。

 分かりやすく表に出したりはしないが、早くソニアの元に戻りたいのだという本音も窺える。

 監禁だ何だと喜んでいたビフィダもそこだけは同意見らしく、少々名残り惜しそうにしながらも頷いて、兄と同じように左手を持ち上げた。

 邪魔が入らなければ、双子は今にも指輪の力を使いそうで、だからこそ、ライカリスは静かに告げる。


「やめておいた方がいいと思いますよ」


 ビフィダの性癖を除けば、双子の考えも気持ちも、よく理解できる。

 ライカリスとて、本当は彼らに倣うどころか、真っ先にそうしたかったのだ。

 場所がここでなかったら。()のテリトリーでさえなかったら、そうしていた。けれど。


「……何で?」

「多分無理です。というか、無駄になりますから」


 不審げなリビダに、ライカリスは首を振り、断言した。

 別に双子がどうなろうと知ったことではない、と普段なら思うところだが、気持ちが分かってしまった分だけ、同情からくる親切心で忠告してやる。

 当然、説明を求める視線が飛んできて、ライカリスが口を開く……その前に。



「うむ。そのとおりだぞ! かしこいな、イヌ!」



 聞き覚えのある尊大な声が、その場に響き渡った。


 ()はいつも高い所に現れる。

 双子が身構えるのを横目に、諦めの境地に達したライカリスは視線を上げ、


「ん?!」


 目を見開いた。


 そう、この空間に常識など本当に存在しない。

 いかなる予測を立てたとして、常に斜め上を行かれる覚悟をしておくべきなのだ。

 分かっていたはずなのに、うっかり驚愕させられたライカリスの視線の先。そこには馴染みの蝙蝠少年と共に、更に2人の人物が並んで浮かんでいた。

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