第10話 長い1日の終わり
――しかし救世主は存在した。
リコリスが途方に暮れていると、棚に置いてあったポーチが突然震えだした。
蝙蝠が口を開けると、服が上下揃ってでろんと出てきて、更にその上に下着が一揃い吐き出された。
「おお?!」
慌てて広げてみると、それは彼女がゲーム中でいつか見た目に使うかもしれないと思ってそのまま忘れていたファッション装備だった。
『アクティブファーム』では見た目用のファッション素材が存在し、性能重視の一般装備に外見だけを移植できるようになっていた。
そしてその装備品を全て脱ぐとあられもない下着姿になるが、それにもオシャレ下着なるものが存在する。
リコリスが着ていた服は、袖がふんわりした丈の短いジャケットの下に、後ろ側が蝙蝠の羽をデフォルメしたようなギザギザしたワンピース。前が短いそのワンピースの下にはショートパンツと蜘蛛の巣の柄の入ったレースのレギンスを履いて、と趣味に走ったものだ。
普段はつけないが、戦闘中に被る頭装備は小さなカボチャ帽子だった。
ブーツと下着も含め、全体的に黒で統一されている。
プレイヤーたちは皆それぞれ見た目にこだわっている者も多く、リコリスの友人には黒のボンデージ、網タイツにピンヒールときて、武器まで鞭に変えていた者もいた。あれは胸の谷間が眩しかった。
ただしそんなのでも、中身の性能は鬼畜と称された装備なのだ。
リコリスは蝙蝠を見る。なんて気の利く鞄なのだ。感動させてもらった。
吐き出された服には装備性能は皆無だが、だからなんだ。服があるだけいい。
いざとなったら脱いだ服を着るという手もあったが、あまりやりたくないし、ライカリスに助けを求める……のはもっと嫌だ。
「所持品に入れててよかった……。ありがとう蝙蝠……」
新しい服はタイトなワンピースに無地のレギンスで、メイン装備とは反対に落ち着いた見た目だった。
落ち着いて、リコリスは今度はしっかり髪を拭いた。
浴室を出ると、椅子に座って本を読んでいたライカリスが顔を上げた。リコリスを見て、きょとんとする。
「どうかした?」
「いえ。初めて見る格好だったので……髪も濡れているから、なんだか別人みたいですね」
「そうかなぁ」
諸事情により、性能にも見た目にもこだわっていられなかったが、リコリスとしてはなかなか可愛いと思って取っておいた服だ。
結局ゲームでは出番がなかったが、今は大活躍である。
「変?」
「いいえ、可愛いです。普通の女の子みたいです」
「どういう意味かな、ソレは」
「普段は普段で素敵ですよ?」
つっこみたい。ついでにデコピンのひとつもくれてやりたいが、しかし風呂の恩がある。
リコリスは耐えた。
「聞かなかったことにする。とにかく、お風呂ありがとね、ライカ」
「……」
礼を述べれば、本をテーブルに置いたライカリスがリコリスに近づいてきた。
「――リコさん」
静かに名前を呼んだ彼は、不安と期待の入り混じった、複雑で真剣な表情を浮かべていた。
「お願いがあります」
そんなに緊張するお願い事とはなんぞや。
緊張が伝染してきて、リコリスもじっと目の前の顔を見上げる。
「あの……、」
「う、うん」
「私、リコさんの牧場に引っ越したらダメでしょうか……」
・ ・ ・ ・ ・ ・ 。
「え、いいよ?」
「えっ?」
何故そこで驚くのか。むしろ、こんなことでそんなに緊張してたのか。
気が抜けて、随分あっさりした返事になった。
嫌だとは欠片も思わないし、リコリス自身も不思議なほど、ライカリスは一緒にいて違和感のない相手だ。
来たいと言うなら喜んで、である。もっと素直に言うならば、とても嬉しい。
ただし問題はある。
「あー、でも、そっか。ベッド……はここから持って行くとしても、狭いしお風呂もないし……」
誰かが壊した扉もないしな。
「私は別に、床でも外でも牛小屋でも構いませんが」
「いや、それは私が構うからね? てか、お金貯まったら増改築するし、それからの方が」
「あぁ、お金なら出しますよ? むしろ私が出すのが道理でしょう、この場合」
「いや、それがそうでもないっていうか」
この世界へ来て早々にリフォームは決めていたのだから、ライカリスにばかり、というのはいかがなものか。
彼の部屋を造るとして、その部分を負担してもらうのはありだとは思うが。仮に折半だとしても、今のリコリスにはそれだけの所持金もないのだから。
「全額負担するので一緒にいさせてください、って言った方が分かりやすいですかね」
「なんだそれ……ちなみに引越し希望日はいつ?」
訊いてみれば、ライカリスはにっこり笑って。
「今すぐにでも。心配しなくても、私結構持ってますし」
どれくらい、これくらいと、その金額を聞いて、リコリスは思わず男の首を絞めた。もちろん本気ではないが。
しかし土地を買う前のリコリスより金持ちなNPCって、なんだ。
「サツイガワイタナー」
「そんな棒読みで……リコさんは牧場ごと引っ越しましたからねぇ、相当かかったでしょう。私は近くに越してきてもらえて嬉しかったです、けど」
どうやらその直後に2年前の異変があったらしい。
ライカリスの表情が悲しげに曇る。それを見て、リコリスは改めて理解した。
――ああ、この男は、本当に不安なのだ。
どこにも行くなと、隣にいてくれと言った、あの顔を思い出す。
「はぁ……。じゃあ、金銭問題は保留で。狭くて不自由満載でいいなら――うちにおいで、ライカ」
「っ! 嬉しいです。もう本当に、床でも外でも牛小屋でも!」
「いや、それはもういい」
今度こそデコピンをお見舞いした。
引越しそのものは実に簡単だった。
家にある物は好きに持っていっていいとライカリスは言ったが、……本気でいらない。
きっと大多数がリコリスの手に負える代物ではないから。
引っ越すといっても短い距離、後ほど本人に任せるのが一番いいだろう。
部屋の隅にあったベッドだけ、ぐわっと吸い込んで終了だ。
そうして、ライカリスの入浴の後、とてもご機嫌な彼に行きと同じく抱えられ、やっと牧場に帰ってきたのは午前2時だった。
しんとしている牧場。
畑を見ればきちんと種が蒔かれていて、しかし肝心の家妖精たちがいない。
もしかして召喚に制限時間があるのだろうか。ゲームではなかったが、と不安になったところで、ライカリスがリコリスを手招いた。
「リコさん」
静かな声で、指し示すのは家の中だ。
「あー」
覗き込んだ家の中、部屋の隅のリコリスのベッドの上に折り重なるようにして、妖精たちが寝息を立てていた。
部屋に入れば明かりがついて、リコリスは少し焦ったが、妖精たちはよく寝入っているようで欠片も起きる様子がない。
(可愛いけど、これ下の方潰れてない?)
狭いベッドに20人、いくら小さいとはいえ、苦しそうだ。
「……ライカ」
小声で名を呼び、目線で問えば、ライカリスは苦笑して頷いた。
リコリスは音をさせないように持ってきたベッドを取り出し、エンドテーブルを移動させてから、彼女のベッドにぴったりとくっつけた。それから2人で、上の方の妖精たちをそちらに移動させる。
まだ狭いが……まぁ許容範囲だろう。これ以上はどうしようもないし。
(結局床で寝ることになるんだなぁ)
さっきのあれはフラグだったのか。
夏だし、風邪も引かないだろうから、別にいいのだけど。
床に座ってベッドに背を預け、隣に並んで座ったライカリスを見れば、同じことを考えたのか、くすくすと笑っている。
幸せそうで何よりだ。
ちょうどいい高さの肩に頭を預けて、リコリスが目を閉じると、しばらくして明かりが消えた。どういう仕組みになっているのかいまいち分からないが、今は考えても仕方ない。
何より、今日はもう寝るべきだ。
(だって、きっと明日も忙しいから)
大きな手が頭を撫でてくれるのを気持ちよく思いながら、リコリスは意識を手放した。




