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八丈島の断罪王 〜史実の絶望をへし折った転生宇喜多秀家は、大坂の炎の中で最も美しく散るために徳川を蹂躙する〜  作者: さじ
第一章:因果の泥濘(でいでい)を断つ

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第5話:松尾山、紅蓮の夜明け

第5話です。

ついに歴史の歯車が物理的に噛み合わなくなる瞬間が訪れます。

恩義を忘れ、保身のために山を下る小早川秀秋。

彼を待ち受けるのは、主人公が数年の歳月をかけて練り上げた、冷徹な「鉄と鉛の論理」です。

凄惨な合戦描写をお楽しみください。

慶長五年九月十五日、正午過ぎ。

 関ヶ原の盆地を覆っていた濃霧は完全に消え去り、頭上には皮肉なほどに澄み渡った秋の青空が広がっていた。


 戦況は、数においても布陣においても勝る西軍が、東軍を圧倒しつつあった。

 笹尾山の石田三成陣前では、島左近率いる精鋭が黒田長政・細川忠興らの猛攻を幾度も押し戻し、大谷吉継の陣もまた、藤堂高虎・京極高知らの軍勢を泥濘の中に釘付けにしている。

 だが、徳川家康の本陣付近に漂う空気は、決して敗北のそれではない。老狸の焦燥は、むしろ盤面のどこかに仕込まれた「致命的な破綻」が起動するのを、今か今かと待っている不気味な静寂を孕んでいた。


 その破局の正体を、俺――宇喜多秀家だけが、誰よりも正確に理解していた。


「……閣下。松尾山に、動きがありました」


 傍らに立つ明石全登が、抑揚のない、だが剃刀のように鋭い声で告げた。

 俺は視線を上げた。

 視線の先、南西にそびえる松尾山の中腹で、数千、数万の兵が動く際に生じる巨大な土煙が上がっている。小早川秀秋の「違い鎌」の旗印が、重力に従って斜面を滑り落ちるように、一斉にこちらへと向かってきた。


 家康の放った「問い鉄砲」に応じるように、ついに金吾(秀秋)が決断したのだ。

 豊臣秀吉の養子として育ち、その恩恵を誰よりも受けておきながら、自分一人の保身と家康への阿諛追従のために、育ての親の築いた天下を背後から喰い破る。

 歴史という名の因果が、最も醜悪な形で牙を剥く瞬間だった。


「全登。児島党の様子は」

「……皆、死人のようでございます。ただ閣下の合図だけを、引き金に指をかけて待っております」


 俺は最前列に跪く鉄砲隊の背中を見た。

 彼ら三百の児島党員は、泥濘に膝を浸し、湿った土の臭いを吸い込みながら、山を下りてくる一万五千の軍勢を、感情の失せた虚ろな眼で見つめている。

 彼らにとって、小早川秀秋は「主君を裏切る悪党」ですらない。ただ、これから決められた手順に従って「廃棄処理」されるべき、肉と骨の塊に過ぎなかった。


 松尾山を駆け下りる小早川軍の勢いは凄まじい。

 一万五千もの大軍が傾斜の勢いを借りて突っ込んでくるその様は、まさに土石流だ。史実においては、この圧力が大谷吉継の薄い陣を文字通り粉砕し、西軍の瓦解を決定づけた。

 だが、奴らの進路の正面、大谷陣へと横から喰らい付くための最短ルート上に、俺たちは陣取っていた。

 小早川の先陣を走る平岡頼勝や稲葉正成といった将たちが、前方、大谷陣の横腹に立ち塞がる俺たちの軍勢に気づき、一瞬、動揺したように足並みを乱したのがわかった。


「……なんだ、あの軍勢は!? 宇喜多は前方で福島正則と戦っているはずではなかったのか!」

「構うな、蹴散らせ! 数はこちらが圧倒的に勝っている! 立ち塞がる者は一匹残らず踏み潰せ!」


 霧の中から現れた俺たちの存在を、奴らは「家康の策に気づかずに迷い込んだ迷い犬」程度にしか思っていなかっただろう。あるいは、数に物を言わせて押し潰せると確信していたか。

 だが、彼らが知っている「宇喜多秀家」は、内紛で家中を二分させ、形ばかりの軍勢を引き連れてきた、二十代の青臭い若造に過ぎない。

 目の前にいるのは、身内の腐肉を自ら削ぎ落とし、秀吉への狂信という名の毒を全身に巡らせた、四百年後の復讐者であることを、彼らは死ぬまで気づかない。


「全登。奴らが絶対の死地しちに入った」


 俺は冷静に距離を測った。

 百五十メートル。百メートル。七十メートル。

 斜面を下り切り、最も勢いがつき、かつ隊列が縦に間延びした瞬間。

 俺は、秀吉様から賜った黄金の数珠を巻いた左手を、ゆっくりと、天を指すように上げた。


「……お掃除の時間だ」


 その声は、自分でも驚くほど静かだった。


「放て」


 刹那。

 関ヶ原の空気が、物理的に爆ぜた。


 轟音。

 三百挺の種子島から放たれた鉛の雨が、最前列を駆け下りてきた小早川軍の兵士たちの肉体を、文字通り破砕した。

 一発一発の命中精度など問題ではない。火縄銃の規格を極限まで統一し、大量の弾丸を隙間なき「面」として展開する圧倒的な弾幕攻撃。

 先頭にいた騎馬武者たちが、馬ごと頭部を吹き飛ばされ、赤い霧を撒き散らしながら転倒する。後ろから続こうとした足軽たちは、前の死体に躓き、そこへ容赦なく第二射、第三射が降り注いだ。


「な……ッ、なんだこの威力は!? 宇喜多の鉄砲が、なぜこれほど絶え間なく鳴り続ける!?」


 小早川陣営から悲鳴が上がる。

 当然だ。俺が児島党に叩き込んだのは、ただの交代射撃ではない。早合(弾薬包)を用い、装填の動作から人体の骨格と筋肉のことわりを逆算し、極限まで無駄を削ぎ落とした途切れることのない高速連続射撃だ。時代を数百年先取りしたその機構の前に、個人の武勇など塵芥に等しい。

 三百の銃口は、一瞬の隙もなく、松尾山の麓を死の境界線へと変えていた。


「装填、急ぐな。確実に撃て。標的は山を降りようとする者全てだ。一匹の鼠も生かして帰すな」


 全登の声が、硝煙の向こうで無機質に響く。

 児島党の兵士たちは、隣の仲間が耳を聾する轟音を上げようと、目の前で敵の臓腑がぶちまけられようと、一切眉を動かさない。ただ、焼けた銃身の熱さを掌に感じながら、機械的に早合を詰め、火蓋を切り、引き金を引く。

 そこに誇りや名誉という概念はない。あるのはただの無機質な廃棄処理だ。


 山を駆け下りようとする小早川軍一万五千は、出口のない袋小路に迷い込んだ鼠の群れと化していた。

 前の者が撃たれ、後ろの者がそれを避けようとしてさらに撃たれる。逃げ場のない斜面で、隊列は完全に崩壊し、兵士たちは互いを踏みつけ合いながら、底なしの死の連鎖に飲み込まれていった。


「金吾……ッ、金吾はどこだ!」


 俺は愛刀を抜き、返り血で赤黒く染まった泥濘を蹴って走り出した。

 俺の背後には、鉄砲隊に守られた長槍隊が、死を恐れぬ統制された動きで追随する。


 硝煙を突き抜け、俺は崩壊した小早川の先鋒を蹂躙しながら、山の中腹へと突き進んだ。

 そこには、輿に乗ったまま腰を抜かし、震え上がっている十九歳の若者がいた。

 小早川秀秋。

 秀吉様から慈しまれ、その恩義を誰よりも受けて育ったはずの、豊臣の裏切り者。


「き、金吾か……。宇喜多か! なぜだ、なぜお前がここにいる! お前は福島と戦っているはずでは……ッ!」


 秀秋の声は、震える老婆のようだった。

 俺は一言も発さず、ただ冷たい眼差しで彼を見据えた。

 周囲を固めていた側近たちが、俺を止めようと槍を突き出してきたが、児島党の散弾が彼らの胸を無造作に撃ち抜き、沈黙させた。


「……あの日、秀吉様がお前に与えた情けを、お前はどれだけ理解していた」


 俺は、一歩、一歩と秀秋の輿へと近づいた。

 彼の目には、もはや戦国大名としての誇りなど微塵もない。あるのは、理解不能な怪物に遭遇した、理性を失った生存本能の恐怖だけだ。


「秀吉様は仰った。人は裏切ると。だが、俺が信じる限り、俺を守ると。……お前はその言葉を、狸に売り渡したのか。あの黄金の夢を、この薄汚い泥の中に投げ捨てたのか」


「ひ、ひぃいっ! 助けてくれ! 悪かった! 私は家康に脅されたのだ! 私が悪いのではない!」


 秀秋の醜悪な弁明が、俺の耳を汚した。

 俺はそれ以上、言葉を費やすことをやめた。

 思考を殺し、感情を石のように固め、俺はただ自らに課した作業を完遂するために、秀秋の胸倉を掴み上げた。


「秀吉様への供養だ。……地獄で、あの人に詫びてこい」


 一閃。

 俺の刃が、秋の陽光を跳ね返して秀秋の喉元を切り裂いた。

 噴き出した熱い血が、俺の頬を伝い、黄金の陣羽織を汚していく。


 史実において関ヶ原の主役となったはずの十九歳の青年は、一度も英雄になることなく、ただの恩知らずな残骸として、無名な足軽の死体と同じ泥の中に転げ落ちた。


 松尾山の斜面は、朱に染まっていた。

 一万五千の小早川勢は、指揮官を失い、かつ宇喜多軍という死神の壁を突破できず、蜘蛛の子を散らすように敗走し、あるいはその場で命を散らした。

 西軍を破滅に追い込むはずだった「最大の史実の歪み」は、俺という転生者の手によって、物理的に排除された。


「……閣下。金吾の首、獲られましたか」


 血飛沫を浴びて現れた全登が、転がった秀秋の首級を見下ろして、静かに問いかけた。


「ああ。……これで、ゴミは一つ片付いた」


 俺は刀を鞘に納め、黄金の数珠を握りしめた。

 掌に伝わる、秀吉様との約束の重み。


 遠く、家康の本陣方面からは、さらなる合戦の音が響いてくる。

 小早川の裏切りが起こらなかったことに、家康は今頃、どのような顔をしているだろうか。

 天下人への道が、今この瞬間、俺という一個の狂信者の手で、取り返しのつかないほどに歪められたことに気づいているだろうか。


「全登。まだ終わっていない。……次は、福島だ。豊臣の恩を忘れた猪どもを、一匹残らずこの関ヶ原に埋めてやる」


 俺は、狂おしいほどの情熱と、絶対的な零度の理性を同居させた瞳で、家康の馬印が翻る東の方角を見据えた。


 紅蓮に染まった松尾山の夜明けは、俺たちの本当の反逆の、始まりを告げていた。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。


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