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八丈島の断罪王 〜史実の絶望をへし折った転生宇喜多秀家は、大坂の炎の中で最も美しく散るために徳川を蹂躙する〜  作者: さじ
第一章:因果の泥濘(でいでい)を断つ

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第4話:濃霧に潜む獣たち

第4話です。

ついに迎えた関ヶ原の朝。視界を奪う濃霧の中、主人公は味方を見捨て、裏切り者・小早川秀秋を「処理」するためだけの特異な陣形を敷きます。

歴史の歯車が狂い始める瞬間をお楽しみください。

慶長五年九月十五日、早朝。

 美濃国、関ヶ原。


 天から垂れ込めた分厚い雲と、前夜から降り続いた冷たい雨が、盆地一帯に乳白色の濃霧を発生させていた。

 視界は絶望的なまでに塞がれている。十間(約十八メートル)先の味方の顔すらおぼろげにしか見えず、ただ雨水を含んで重くなった甲冑が擦れる鈍い音と、泥を踏みしめる馬の鼻息だけが、白濁した空間に不気味に響き渡っていた。


 俺――宇喜多秀家は、黒糸威の鎧に身を包み、愛馬の背で静かに目を閉じていた。

 鼻腔を突くのは、濡れた土の匂い、馬の糞尿、そして何より、数万の人間が発する濃密な「恐怖」の悪臭だ。戦場特有のこの臭いを嗅ぐと、己が狂気に満ちた戦国という時代、その最大の分水嶺に立っていることを否応なく実感させられる。

 肌にまとわりつく冷気は、死の予感そのものだった。だが、俺の腹の底にあるのは恐怖ではない。今日この日、あの狸親父の天下簒奪という史実を物理的にへし折ることができるという、暗く冷たい歓喜だけが静かに煮えたぎっていた。


「……備前宰相(秀家)様! 治部少(三成)様より急使でございます!」


 霧の奥から、泥跳ねを激しく上げながら一騎の騎馬が駆け寄ってきた。笹の葉の馬印、石田三成の伝令だ。男は顔を蒼白にさせ、馬上で深く頭を下げた。その声は、すでに引き攣っている。


「敵の先鋒、福島正則勢ならびに井伊直政勢が、我が軍の正面に布陣した模様! 治部少様は、宰相様の陣が東軍の猛攻を受け止める最大の防波堤となるとご期待されております! 何卒、全軍をもって福島勢を叩き潰し、東軍をこの関ヶ原の盆地に縫い留めていただきたく――」


「ご苦労。治部少には、宇喜多は『豊臣の敵』をこの手で確実に処断する、とだけ伝えておけ」


 俺が抑揚のない声で短く答えると、伝令は安堵の表情を浮かべ、再び霧の中へ消えていった。

 その背中を見送りながら、俺は兜の下で微かに鼻で笑った。


 防波堤、か。

 石田三成という男は、戦場をまるで将棋の盤面か何かのように勘違いしている。駒は理屈通りに動き、大義名分があれば人は喜んで命を懸けると思い込んでいるのだ。

 だが、現実はどうだ。

 現代の知識を持つ俺の目から見れば、この西軍という組織は、開戦前からすでに「致命的な欠陥」をいくつも抱えた鉄屑の寄せ集めでしかなかった。


 俺の陣の右後方、北国街道を抑えるように布陣しているはずの島津義弘勢。彼らは三成の度重なる無礼な振る舞いや、前夜の夜襲の提案を却下されたことに激怒し、すでに「今日の戦には一切関与しない」と態度を硬化させている。実質的な戦力外、いや、味方のフリをした巨大な案山子だ。

 さらに後方、南宮山に陣取る毛利秀元と吉川広家の三万もの大軍。あれも無用の長物だ。吉川広家はすでに東軍の黒田長政を通じて家康に内通しており、毛利の本隊が山を下りようとするのを、最前線で物理的に塞ぎ止める算段になっている。


 つまり、三成が描いた「鶴翼の陣で家康を包囲し、一網打尽に殲滅する」という完璧な戦術図は、最初から絵に描いた餅なのだ。

 大義名分などという実体のないもので人は動かない。人は、己の利益と恐怖、そして「誰に飯を食わせてもらっているか」という泥臭い恩義でしか動かない。

 だからこそ、俺は全てを見限った。

 三成の薄っぺらい正義も、毛利の保身も、島津の意地も、どうでもいい。烏合の衆がどうなろうと知ったことか。

 俺がこの関ヶ原に立っている理由はただ一つ。あの夜、凍える俺に握り飯をくれ、天下の全てを敵に回しても守ると言ってくれた羽柴秀吉という男の、狂信的な牙として機能するためだ。


「……閣下。時が、来ます」


 傍らに控えていた明石全登が、低い声で囁いた。

 彼の纏う空気は、以前の「常識的な戦国武将」のそれから完全に変質していた。俺が創り上げた狂信部隊「児島党」の指揮を執るうちに、彼自身もまた、感情の起伏を殺した冷徹な刃へと変貌を遂げていた。

 だが、それでもこれから俺が下す命令は、彼の常識を根底から破壊するものになるだろう。


「福島正則の軍勢およそ六千は、すでに我が陣の正面、目と鼻の先まで迫っております。霧が晴れれば、一斉に襲いかかってくるでしょう。前衛の兵たちには、いつでも火縄に点火できるよう命じておりますが」

「全登。その命令は取り消せ」


 俺は手綱を引き、馬の頭をゆっくりと右――南西の方角へ向けた。


「は……?」

「前衛には一発も撃たせるな。後方の陣へ向けて、音を立てずに下がらせろ。我らはこれより、全軍一万七千をもって陣を後退、いや、旋回させる」


 全登の目に、明確な動揺と驚愕が走った。無理もない。敵が目前に迫っている状況で、前衛を下げて陣を動かすなど、戦術の常軌を逸している。


「閣下! なにをおっしゃいますか! 我らが正面を空ければ、福島、京極、藤堂といった東軍の主力およそ三万が、堰を切ったように治部少様の本陣へとなだれ込みますぞ! 西軍は一瞬にして崩壊いたします!」

「崩壊させておけ」


 俺は冷酷に言い放った。

 雨粒が兜のしころを伝い、首筋へと冷たく滑り落ちる。


「西軍を勝たせることなど、俺の知ったことではない。俺の目的は、家康という老狸の喉元を噛み千切ることただ一つ。そのためには、外の敵を受け止めるよりも先に、我らの背後に潜む『最大の猛毒』を確実に取り除かねばならない」


 俺は視線を上げ、霧の向こう、南西にそびえる山肌を睨みつけた。

 松尾山。

 そこには、一万五千の兵を率いる小早川秀秋が陣取っている。

 史実において、昼過ぎまで形勢有利だった西軍の脇腹を唐突に喰い破り、一気に家康へと天下を明け渡した最大の裏切り者。


「いいか、全登。小早川は必ず裏切る。家康に内通し、山を下り、味方であるはずの大谷吉継の陣へ突撃する。それが奴の役割だ」

「小早川殿が……!? し、しかし、証拠は……」

「俺がそう判断した。それが全ての証拠だ。……全軍に命じろ。これより我が宇喜多勢は、松尾山の麓、小早川の軍勢が駆け下りてくるであろう斜面の正面へと布陣を移す」


 全登は息を呑み、そして深く頷いた。もはや俺の言葉に疑問を挟む余地など、彼の思考回路には存在していない。「宇喜多騒動」の夜、俺が身内を惨殺した光景を一番近くで見ていた男だ。俺の狂気に逆らうことがどういう結果を生むか、骨の髄まで理解している。


「御意。……して、陣立てはいかがなさいますか」

「児島党の鉄砲隊三百を最前列に、三段の構え。その後方に長槍隊を分厚く配置しろ。火縄の火は、竹筒に隠して絶対に消すな。雨で濡れた早合(弾薬包)は一つ残らず捨て、乾いたものだけを使え。……足音を消せ。物音一つ立てるな。我々は、霧の中に潜む獣だ」


 命令は、瞬く間に宇喜多軍一万七千の末端まで行き渡った。

 驚くべきことに、誰一人として文句を言う者はいなかった。「宇喜多騒動」という血の粛清を経て、俺の命令を疑うような余分な知恵を持つ者は、すでにこの世から物理的に排除されているからだ。

 一万七千の軍勢が、まるで一つの巨大な軟体動物のように、音もなく、泥濘を這うようにして移動を開始した。


 他の陣営からは、気合を入れるための法螺貝の音や、陣太鼓の響きが聞こえてくる。彼らはこれから始まる「戦」に高揚し、あるいは得体の知れない恐怖に震えている。

 だが、俺たち宇喜多軍だけは違った。

 誰一人として声を発さず、ただ機械的に、決められた位置へと歩を進めていく。甲冑が擦れる音すら極限まで抑え込まれたその行軍は、さながら死者の列のようだった。

 松尾山の麓。傾斜が緩やかになり、もし大軍が一気に駆け下りてくれば、最も勢いが増し、そして最も隊列が間延びするであろう絶好の「殺戮地点キルゾーン」。

 そこに、児島党の鉄砲隊三百が、膝を泥に浸しながら横一列に並んだ。彼らの瞳は濁り、一切の感情を読み取ることはできない。ただ、胸に抱いた種子島の冷たい銃身だけが、彼らの存在証明だった。


「……配置、完了いたしました。小早川の陣の真下、奴らが大谷殿の陣へ向かうなら、必ずこの前を通ります」


 全登が、霧の中から音もなく現れて報告した。

 俺は馬から降り、最前列の兵の隣に立ち、ゆっくりと刀を抜いた。


「見ろ、全登。霧が、少しずつ晴れてきた」


 雨が完全に上がり、生暖かい風が盆地を吹き抜けた。

 乳白色の帳が、ゆっくりと、しかし確実に引き裂かれていく。

 俺たちの頭上、松尾山の中腹に、小早川の「違い鎌」の旗印が幾重にも翻っているのが見えた。彼らはまだ、自分たちの真下に、一万七千の殺意の塊が音もなく口を開けて待っていることに気付いていない。眼下の戦況を高みの見物と洒落込んでいるつもりだろう。


「……かわいそうにな」


 俺は、心の底からの同情と、それ以上の凄絶な歓喜を込めて呟いた。


「秀吉様の恩を忘れ、己の小さな保身のために狸に尻尾を振った哀れな豚ども。お前たちの死肉は、俺がこの戦国という時代に捧げる、最初の供物だ。存分に恐怖を味わいながら死ね」


 遠くで、凄まじい轟音が響いた。

 徳川方・井伊直政の抜け駆けによる発砲だ。それを合図に、関ヶ原全域で怒号と金属音が爆発した。東軍と西軍が正面から激突する音が、地鳴りのように腹の底を震わせる。

 俺たちが本来受け止めるはずだった福島正則の軍勢は、空っぽになった宇喜多陣跡を素通りし、隣の大谷吉継や石田三成の陣へと猛烈な勢いで雪崩れ込んでいくはずだ。西軍は早くも大混乱に陥るだろう。


 だが、俺の視界には、松尾山から見下ろしているであろう小早川秀秋の怯えた顔しか映っていなかった。


「さあ、降りてこい、金吾(秀秋)。……お前を処理してからが、俺の本当のいくさだ」


 濃霧が完全に晴れ渡った関ヶ原で、豊臣の狂犬は、ただ静かに裏切り者の喉笛を待っていた。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。


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