第2話:腐肉を削ぎ落とす
第2話です。
今回は、史実において西軍敗北の大きな要因となった「宇喜多騒動」の裏側を描きます。
主人公による流血を伴う冷酷な粛清シーンが含まれますので、苦手な方はご注意ください。
時は少し遡る。
慶長四年、冬。大坂城からあの一際大きな太陽が永遠に失われ、天下が不穏な暗雲に包まれ始めていた頃のことだ。
組織というものは、決して末端から腐るのではない。古今東西、いかなる時代においても、組織を死に至らしめる病巣は常に「中間管理層の既得権益への執着」から始まる。現代の企業であれ、戦国の大名家であれ、その真理は変わらない。
備前五十七万石を誇る宇喜多家もまた、致死量の毒をその内側に抱え込んでいた。
「……戸川達安、岡家利、それに坂崎直盛ら重臣の数名が、昨夜も密かに大坂の徳川屋敷へ入ったとのこと。間違いないかと存じます」
底冷えのする執務室で、明石全登が抑揚のない声で報告を上げた。
俺は文机の上に広げた検地帳から目を離さず、ただ短く「そうか」とだけ応えた。
史実において「宇喜多騒動」と呼ばれるこの御家騒動は、俺の側近である中村次郎兵衛への不満や、強権的な兵農分離、果てはキリシタンへの庇護といった政策の対立が表面化したものだとされている。
だが、現代の知識と組織論のフィルターを通して見れば、彼らの不満の根源はもっと単純だ。
彼ら老臣たちは、父・直家の代から宇喜多を支えてきたという自負がある。俺という若い当主を神輿として担ぎ、実権を握り続けるつもりでいたのだ。しかし、俺が秀吉様への狂信から「豊臣の狂犬」と化し、一切の妥協なく権力を中央集権化し始めたことで、彼らの既得権益は次々と剥がれ落ちていった。
危機感を覚えた彼らが、豊臣政権下で次なる覇権を握ろうとしている徳川家康という巨大な権力にすり寄り、我が身の保全を図るのは、ある意味で極めて合理的で、人間らしい生存戦略だった。
史実の俺は、この内紛を自力で収めることができず、最終的に家康の調停を仰いだ。結果、戸川や岡といった有能な武将と多くの兵力を失い、関ヶ原において宇喜多軍は万全とは程遠い状態で戦う羽目になった。
「閣下。いかがなさいますか。彼らはすでに、徒党を組んで閣下に退陣を迫る、あるいは中村殿を暗殺する手筈を整えつつあります。このままでは家中が真っ二つに……」
「全登」
俺は筆を置き、冷え切った自らの両手を見つめた。
手首には、秀吉様からかつて賜った数珠が巻かれている。
「病巣は、見つけた瞬間に物理的に削ぎ落とす。それが外科手術の鉄則だ。家康という老狸に付け入る隙を与えるわけにはいかない」
「物理的、とは。まさか……」
「今夜だ。今夜、俺自ら兵を率いて戸川の屋敷を強襲する。そこに岡や坂崎といった反乱分子の首謀者が集まっているな?」
「は、はい。密談のため、重臣の半数が顔を揃えております。ですが、相手は歴戦の猛将たち。それに、大坂の屋敷で私闘を起こせば、奉行衆が黙っておりませんぞ!」
「私闘ではない。豊臣に仇なす国賊の『処刑』だ。……奉行の石田治部少(三成)には、俺からすでに話を通してある」
全登は息を呑んだ。
俺は立ち上がり、壁に掛けられた黒糸威の胴を手に取った。
「全登、『児島党』の精鋭三百を集めろ。声を出さず、感情を殺し、ただ命じられた通りに肉を斬れる者だけを選べ」
児島党。
それは、俺が数年の歳月をかけて密かに育て上げた、直属の狂信部隊だった。
備前の孤児や、食い詰めた農民の次男三男を拾い集め、俺は彼らに「腹一杯の飯」と「秀家への絶対の忠誠」を与えた。かつて、俺が秀吉様にそうされたように。
彼らに戦国の古き良き道徳や、武士としての名誉は不要だ。教え込んだのは、現代の軍隊にも通じる絶対的な指揮系統の遵守と、種子島(火縄銃)の装填速度を極限まで高める反復練習、そして、一切の躊躇なく人間の急所を破壊するための殺人術だけである。
「……御意。直ちに手配いたします」
「雨具は要らん。どうせ血で濡れる」
深夜。みぞれ混じりの冷たい雨が、大坂の街を黒く沈み込ませていた。
戸川達安の屋敷は、重々しい静寂に包まれていた。だが、その内側には、俺を玉座から引きずり下ろそうとする者たちの、どす黒い熱気が渦巻いているはずだ。
屋敷を包囲した三百の児島党は、誰一人として咳払い一つしない。ただ、雨に濡れた黒装束の中で、殺意だけが静かに明滅している。
「放て」
俺の短く冷たい命令と同時に、十数発の銃声が夜の静寂を物理的に引き裂いた。
屋敷の門を警護していた門番たちが、何が起きたか理解する間もなく、頭部や胸を吹き飛ばされて泥水の中に崩れ落ちる。
悲鳴が上がるより早く、全登を先頭にした突入部隊が門を打ち破り、屋敷内へと雪崩れ込んだ。
「何事だ! 敵襲か!?」
「であえ! であえ!!」
屋敷の中から、慌てふためく武士たちの怒声が響く。
だが、これは「戦」ではない。一方的な「駆除作業」だ。
児島党の若者たちは、刀を抜いて飛び出してくる戸川の家臣たちに対し、名乗りを上げることもなく、ただ機械的に三人一組で槍を突き出し、あるいは至近距離から散弾を撃ち込んだ。
血の匂いと、硝煙の臭い。そして、人間の臓腑が床にこぼれ落ちる生々しい音が、夜の雨音に混ざっていく。
俺はゆっくりと、血の海と化した廊下を歩いて奥の間へと向かった。
刀はすでに抜いている。
襖を蹴り破ると、そこには血走った目で太刀を構える歴戦の老臣、戸川達安がいた。その背後には、岡家利ら数名の重臣が、青ざめた顔で俺を睨みつけている。
「……殿! 御自ら夜討ちとは、狂われましたか!!」
「狂ってなどいない。俺は極めて正常だ、戸川」
俺は刃に付いた血をピッと払い、彼らを見据えた。
「お前たちが俺を廃し、徳川に媚びを売ろうとしていることは知っている。宇喜多の家を守るため、という大義名分も理解できる」
「ならば!! なぜこのような凶行を……ッ! 我らは直家公の代より宇喜多を支えてきた柱! それを、中村のような成り上がり者を重用し、我らの忠義をないがしろにされたのは殿ではありませぬか!」
戸川の魂の底からの叫び。戦国武将としての、彼の正義。
だが、俺の心には一ミリも響かなかった。
「お前たちの忠義など、最初から求めていない」
「……な、に?」
「俺が必要としているのは、俺の命令を疑わず、あの狸親父の首を獲るための完璧な手足だけだ。……お前たちのように、己の頭で考え、打算で動く『余分な知恵』は、いずれ豊臣を滅ぼす毒になる」
話は終わりだ。
俺が踏み込むと同時、戸川も絶叫と共に太刀を振り下ろしてきた。
幾多の戦場を潜り抜けた猛将の一撃。重く、速い。
だが、その太刀筋には「迷い」があった。主君を斬るという躊躇いが、ほんの数分の一秒、彼の剣を鈍らせた。
俺には、それがない。
現代の薄っぺらい倫理観は、秀吉様の握り飯を食った夜に完全に捨て去っている。
俺は身を沈めて戸川の太刀を躱すと、下から掬い上げるように自らの刃を振り抜いた。
嫌な手応えと共に、戸川の右腕が宙を舞う。
「ガァアアアッ!?」
「痛いか、戸川。だがな、お前たちが家康に尻尾を振って引き起こす宇喜多の崩壊は、こんなものでは済まないんだよ」
俺は体勢を崩した戸川の背後に回り込み、その首筋に冷たい刃を押し当てた。
背後にいた岡や他の重臣たちが、恐怖に顔を引き攣らせて後退する。
「お前たちの肉と骨は、俺が徳川を噛み殺すための養分として有効に使ってやる。……あの世で、父上によろしくな」
刃を引く。
頸動脈から熱い血が噴き出し、俺の頬を赤く染めた。
ドサリ、と。宇喜多を長年支えてきた巨木が、無惨な肉の塊となって畳の上に倒れ伏す。
「……全登」
「はっ」
「残りの者も、一人残らず始末しろ。首は全て塩漬けにして、備前の国境に晒せ。それが『秀吉様を裏切る者』の末路だと、天下に見せつけてやれ」
俺は振り返ることなく、血の海となった奥の間を後にした。
これで、史実最大のバグであった「宇喜多騒動」は物理的に消滅した。
残った家臣たちは、俺という絶対的な恐怖の前に平伏し、二度と逆らうことはないだろう。
雨はまだ降り続いている。
だが、俺の心は不思議なほど澄み渡っていた。
腐肉は削ぎ落とした。あとは、この純度100%の狂信の刃を、関ヶ原の地で小早川秀秋という最大の裏切り者に突き立てるだけだ。
夜明けの光が、雨雲の向こうで微かに白み始めていた。
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