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八丈島の断罪王 〜史実の絶望をへし折った転生宇喜多秀家は、大坂の炎の中で最も美しく散るために徳川を蹂躙する〜  作者: さじ
第一章:因果の泥濘(でいでい)を断つ

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第1話:泥の中の黄金

はじめまして。

本作は、関ヶ原の戦いから大坂の陣までを駆け抜ける、宇喜多秀家のIF戦記です。

泥臭く、血生臭い戦国を生き抜く男の狂気と執念を描いていきます。

少しでも楽しんでいただければ幸いです。

第1話:泥の中の黄金

 慶長五年九月十四日、深夜。

 美濃国、南宮山の麓に張られた陣幕は、降りしきる冷雨を弾く単調な音だけを響かせていた。

 陣用床几に腰を下ろした俺――宇喜多秀家は、膝の上に置いた愛刀の鯉口をわずかに切り、刃に浮かぶ波紋を無言で見つめていた。行燈の頼りない光が、青白い鋼の表面を舐めるように滑っていく。


 刃に映り込むのは、齢二十八を迎えた貴公子の顔だ。豊臣政権下において五大老に名を連ね、備前・美作・備中半国、五十七万四千石を束ねる大大名。

 だが、その瞳の奥底に沈殿しているのは、武将としての野心でも、名誉への執着でもない。四百年後の、無菌室のように清潔な未来から放り出された男の、ひどく冷めきった絶望の残滓だった。


 転生。

 現代の娯楽小説であれば、それは痛快な立身出世の切符なのだろう。現代知識という名の魔法の杖を振り回し、無知な過去の人間たちを啓蒙し、歴史の頂点へと駆け上がる。

 だが、現実は泥と血と排泄物の臭いに塗れていた。


 俺が自我を取り戻したのは、宇喜多直家の嫡男「八郎」として生を受けた数年後のことだ。

 最初に理解したのは、この時代における「命の安さ」という圧倒的な事実だった。道端には飢えや流行り病で死んだ名もなき民の死体が転がり、野犬がその腐肉を貪っている。現代の衛生観念などというものは、便壺の中に放り込まれたに等しかった。

 そして何より、俺を絶望の底に叩き落としたのは、己の父親の存在だ。


 宇喜多直家。

 暗殺、毒殺、騙し討ち。ありとあらゆる謀略で備前を切り取った稀代の梟雄。その実の子であるということは、即ち、無数の怨嗟の的になるということだ。

 俺の幼少期は、常に死の影と共にあった。

 出される膳の端には常に毒見役が控え、夜は僅かな衣擦れの音に怯えて刃を隠し持ったまま浅い眠りにつく。周囲の大人たちは皆、腹の底に底知れぬ打算を隠し、俺という「直家のスペア」の価値を値踏みしていた。

 現代知識? そんなものは、今日生き延びるための何の役にも立たなかった。火縄銃の改良案も、内政の知識も、九歳の子供が口にしたところで、狂人の戯言として処理されるだけだ。


 天正九年。父、直家が死んだ。

 病床で最期まで周囲を呪うように睨みつけていた男が息を引き取った瞬間、俺を取り巻く世界は劇的に、そして致命的に変貌した。

 重しが外れた宇喜多家臣団は、たちまちのうちに牙を剥いた。戸川、長船、岡といった老臣たちは、表向きは幼い俺を主君として敬う素振りをしながら、その実、己の権力基盤を固めるための操り人形としてしか見ていなかった。


 俺は暗い自室の畳の上で、幾度も膝を抱えて震えた。

 歴史の知識があるからこそわかる。この家は、いずれ内部から腐り落ちる。「宇喜多騒動」という名の内紛によって真っ二つに割れ、関ヶ原という天下分け目の決戦において、致命的な弱点となるのだ。

 誰も俺を見ていない。

 宇喜多という看板だけを見て、中身の魂には一切の興味を持たない。この狂った箱庭の中で、俺は遠からず暗殺されるか、精神をすり減らして狂うかの二択しかなかった。


 自ら首を括るための荒縄を、密かに部屋に隠し持っていた夜もある。どうせ一度死んだ身だ。こんな泥濘のような時代で、周囲全てを疑いながら生きるくらいなら、いっそ――。


 その泥沼から俺の首根っこを掴み、強引に引きずり出したのは、強烈な太陽の熱だった。


『面を上げよ、八郎。……今日からお前は、儂の息子だ』


 羽柴秀吉。

 後に天下人となるその男は、初めて謁見したあの日、俺の目を真っ直ぐに見た。

 猿のように小柄で、皺くちゃな顔。だが、その双眸には、戦国の世を喰い尽くさんとする圧倒的な覇気と、底なしの慈愛が同居していた。

 彼は俺を「直家の子」でも「宇喜多の当主」でもなく、「一人の童」として見た。


 決定的な夜のことは、今でも脳裏に焼き付いている。

 秀吉の陣中に預けられていた俺は、家臣からの暗殺の恐怖と、未来への絶望から熱を出し、夜泣きを抑えきれずに震えていた。死にたい、現代に帰りたい。そんなうわ言を漏らしていたかもしれない。

 そこへ、夜具を羽織っただけの秀吉が一人で現れた。

 彼は護衛もつけず、俺の枕元にどかと腰を下ろすと、無骨で、血と泥の染み付いた太い指で、一つの握り飯を差し出した。


『食え』


 有無を言わさぬ声だった。


『怖いか。人が信じられぬか。……当たり前よ。この世は裏切る者ばかりだ。親も、兄弟も、友もな』


 秀吉は俺の頭を、乱暴に、だがひどく温かい手で撫でた。


『だがな、八郎。お前が儂を親と呼び、儂を信じるというのなら。儂は天下の全てを敵に回してでも、お前を守ってやる。お前は儂が創る黄金の世を、一番近くで見るんじゃ。……さあ、食え。生きろ』


 無理やり口に押し込まれた握り飯は、塩気が強すぎた。

 米粒は硬く、決して美味いものではなかった。

 だが、その握り飯は、内側から俺の冷え切った内臓を焼き焦がすように熱かった。

 ボロボロと涙がこぼれた。前世を含めて、誰かにこれほどまでに無条件の肯定と庇護を与えられたのは初めてだった。

 俺は、咀嚼しながら泣いた。嗚咽と共に飲み込んだ。


 その瞬間だった。

 四百年後の未来から来た現代人の、ひ弱なエゴが完全に死滅したのは。

 代わりに産声を上げたのは、あの男の作ってくれた温かい世界を、あの黄金の夢を何があっても守り抜くという、狂気を孕んだ一匹の獣だった。

 俺は歴史の傍観者であることをやめた。

 羽柴秀吉、のちの豊臣秀吉の「狂犬」になることを誓ったのだ。


 ――秀吉様。

 あなたの作った世を、狸親父に奪わせなどしない。


「……閣下。よろしいですか」


 陣幕の入り口で声がした。

 回想の沼から浮上し、俺は刀を鞘に納めて冷たい声を出した。


「入れ、全登」


 側近である明石全登たけのりが、雨に濡れた具足を鳴らして入ってくる。

 俺が己の狂気と現代知識を用いて一から鍛え上げ、内部の腐った老臣たちを物理的に粛清した上で作り上げた、宇喜多家の精鋭「児島党」を率いる男だ。


「物見からの報告です。金吾(小早川秀秋)殿の陣、松尾山に動きはありません。しかし、陣中の篝火の数が妙に少ない。……どうやら、密かに兵を麓へ降ろす算段かと」

「やはりな」


 俺は薄く笑った。

 内藤や長船といった内の裏切り者は、数年前に全てこの手で肉塊に変えた。だが、外の裏切り者はまだ残っている。

 史実において西軍を壊滅させた最大の要因、小早川秀秋の寝返り。


「全登。予定通りだ。我らはこれより、陣を密かに松尾山の麓へ移す」

「前方の福島正則勢は放置いたしますか?」

「あんな単細胞の猪は後回しだ。いいか、全登。戦において最も確実な敗北への道は、身内の裏切りから生じる崩壊だ。……俺は、それを許さない。秀吉様の恩を忘れ、徳川に尻尾を振る犬は、一匹残らず俺が殺す」


 全登は一瞬だけ背筋を伸ばし、深く頭を下げた。

「御意。……全ては、豊臣の義のために」


 俺は立ち上がり、秀吉から賜った陣羽織を羽織った。

 関ヶ原の戦い。

 ここは、西軍が敗北する場所ではない。

 宇喜多秀家という豊臣の亡霊が、史実という名の因果を力技でへし折り、裏切り者どもを鉛の雨で粉砕するための、巨大な処刑場だ。


「行こうか。……夜明けと共に、松尾山を紅蓮に染める」


 雨は、ますます激しさを増していた。

 血の匂いを洗い流すには、ちょうどいい雨だった。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。


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よろしくお願いいたします。

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