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逃亡

 列車の側面を突き破り、ピエロの男の身体が宙を舞う。

 重力の反発によって生まれた反動は凄まじく、彼の体を鉄塊のように弾き飛ばし、森の奥深くへと叩き込んだ。


 刹那、轟音が鳴り響いた。

 木々がなぎ倒され、爆風が森を駆け抜ける。葉が宙を舞い、土がえぐれ、辺り一面に衝撃が走った。


「ぐっ……アハッ……アハハッ……やるじゃないか……!」


 折れた木の根元に叩きつけられた男は、血を吐きながらも、どこか楽しげに笑っていた。

 背中には深い傷。腕は不自然な方向にねじ曲がり、見る者に戦慄を走らせるほどだ。だが、当の本人は一切気にした様子もなく、愉悦の表情を浮かべていた。

 それこそが、彼が人間ではない事を物語っていた。


「アハハッ、君、いいね……最高だよ。物語はこうでなくっちゃ面白くない」


 その不気味な笑みに、瑠衣は静かに眉をひそめる。


「まだ生きていたか。しぶとい奴だ」


「当たり前じゃないか。こんな面白い展開、死んだら見られないだろ!?」


 男は痛みをものともせず、ふらつきながら立ち上がった。

 その目は、まるで舞台の観客席から劇を眺める者のように輝いている。


「しかもきみ、何か見覚えのある技を使っているなと思ったけど、《《あのお方の権能》》だよね~? なんで君が使えるのかな?」


「知っていたとして、教えると思うのか?」


「ま、だよねぇ。でもおかしいな、あのお方はまだ《《その権能を誰にも授けていない》》んだけどなぁ」


 ……なるほど。


 瑠衣は内心で舌打ちしながらも、静かに合点がいった。


 あの男の言葉から察するに、この時代ではまだ“レベリス”に権能は授けられていない。つまり今の瑠衣は、「予定されていた存在の枠」に先んじて立っているということになる。


「でも困ったなあ。どうやら、今の僕では君を倒すことはできなさそうだ。けれどあのお方からたまわった大事な任務を放棄するわけにもいかないし……」


 男は、くしゃりと笑いながら、曲がった手で頭をぽりぽりと掻いた。


「なら、逃げるのか?」


「う~ん、そうするしかない、よねぇ?」


「――俺がさせると思うか?」


 その瞬間だった。

 ――ズキン、と瑠衣の頭に激痛が走る。


「……っ、く……!」


 頭を抱え、膝をつく。視界がぐらつき、再びあの耳鳴りのような音が頭の奥で渦巻く。

 それは先日も起きた頭痛だった。

 あるいは、強力な技を使った副反応か――。


「ちっ、こんなところで――」


 その瞬間を男は見逃さなかった。

 軽やかにくるりと回転したかと思うと、ぐにゃりと曲がっていた腕を一回転させる。

 シュルシュルと骨と筋肉が音を立てて戻り、まるで手品のように、完全に回復してしまった。


「じゃ、また会おう! 次はもっと楽しい幕を用意しておくからさァ――!」


 軽快にそう叫ぶと、男は森の奥へと跳躍し、数瞬のうちに姿を消していった。

 木々の間から聞こえてくるのは、不快なほど陽気な笑い声。


 ――アハッアッハハハハッ!


 その声が完全に消えたのを確認してから、瑠衣は舌打ちした。


「……ちっ逃がしたか」


 とはいえ、追撃するには今の頭痛があまりに致命的だった。何より、今は――


(乗客たちの安否と……あのSEUの容態の方が先だ)


 そう思いながら振り返ると、そこには――震える少女の姿があった。


 先程殺されそうになっていた星風というSEUの少女。

 隊服の裾を握りしめ、膝を抱えて小さく震えていた。唇が青白く、目は虚ろで、それでも必死に気を保とうとしている。

 瑠衣は静かに彼女の前にしゃがみ、その虚ろな目を真っすぐに見た。


「あいつは追い払った。だからもう大丈夫だ」


 優しく、けれど確かな響きを持つその一言に、星風の瞳がわずかに揺れる。


「……ほんとに?」


「ああ。約束する」


 その瞬間、張りつめていた彼女の肩がふっと緩み、頬に涙が一筋落ちた。

 続くように、せきを切ったようにぼろぼろと涙が溢れ出す。


「うっ……ぐすっ……あ、ありがとう、ございます……っ」


 震えながら礼を口にする星風の声は、かすれて途切れがちだった。

 それでも必死に感謝を伝えようとする姿に、瑠衣は無言のまま懐から小さなタオルを取り出し、彼女の手にそっと差し出す。


 ──が、その手はタオルに届く前に止まり、次の瞬間には瑠衣の胸元へと飛び込んできた。


「うわああああああっ……!!」


 星風は涙でぐしゃぐしゃの顔を隠すように瑠衣の胸にすがりつき、声をあげて泣きじゃくった。

 理性も羞恥も追いつく暇もない。本能のまま、命を守ってくれた存在にしがみついていた。

 細い腕が制服をきゅっと握りしめ、肩を震わせながら絞り出すように言葉を漏らす。


「ほんとに……もうだめかと、思って……こわかった……っ……死ぬの、いやだった……っ……怖かった」


 ぐしゃぐしゃの顔、震える声。けれどその体からは、生きている者だけが持つ確かな温もりが伝わってくる。

 その重みに、瑠衣は戸惑いながらも、そっと腕を伸ばし、彼女の背を支えるように優しく抱き留めた。


「……もう、大丈夫だ」


 静かに、けれど確かにそう告げた瑠衣の言葉に、星風は顔をうずめたまま何度も頷いた。

 涙が制服に染みていくのも構わず、しばらくの間、ただ縋るように離れなかった。


 ──そして。


 ようやく涙が落ち着き、呼吸が整ってきた頃、星風はふと、己の姿を意識した。


「……?」


 瑠衣の胸元から離れ、ぼんやりと差し出されたタオルを受け取る。そして数秒後――はっと何かに気づいた。

 視線が、自分の下半身へと落ちる。


 ……暖かい感触。湿り気。

 状況の意味を理解した星風の顔が、一瞬で真っ赤に染まる。


「し、ししし失礼しましたぁああああっ!!」


 顔を覆うようにしゃがみこみ、耳まで真っ赤にしながら、全力で叫ぶ。


「わ、わたし、もしかして、ば、ばば……ばれて……!?うぅぅぅっ!」


 混乱のあまりその場でうずくまる星風に、瑠衣の目元がわずかに和らぐ。


「泣きすぎて、顔がぐしゃぐしゃだ。それで拭け」


「……え? あ、そ、そうですよねっ!? 顔、ですよね!? あ、ありがとうございます……っ!」


 星風がホッと安堵の息を吐いた、その直後。


「それと。《《後方車両にシャワールームがある》》。使ってくるといい」


「…………ひゃ、は、はいぃぃぃぃぃぃ……」


 顔を隠していた手が、ぴたりと止まる。

 瞬間、湯気が出そうなほどに真っ赤になり、ぶるぶると震えながらうずくまる星風。

 まるで全身が恥ずかしさで弾けそうだった。

 だがその姿は、ついさっきまで恐怖に呑まれ失禁していた少女とはまるで別人で、

 瑠衣には、ようやく「普通の少女」に戻ったように見えた。


 ――少しは、気が楽になったか。


 瑠衣は目を伏せ、静かに背を向けた。

 だが――その安堵も束の間だった。


「……っ!」


 星風がはっと顔を上げる。


「鷹野さんっ……!」


 その声に、瑠衣もすぐに顔を上げた。

 

 ――そうだ。もう一人、まだ意識がなかったはずだ。


 少女は慌てて駆け出し、血の染みた車両の奥へと走っていく。


「鷹野さん……!」


 星風の叫びが車内に響く。

 列車の連結部付近――そこに、鷹野が倒れていた。

 その横には医者らしき乗客の男が手当てをしている。

 彼の腕は肘から斬り落とされ、切断面はすでに乾き始めていた。

 止血は施されている。おそらく、自らか、この男が応急処置を施したのだろう。

 だが、顔色は悪く、荒い呼吸を繰り返している。今にも意識を失いそうな様子だった。


「鷹野さん……っ!」


 星風はその手を握りしめ、必死に呼びかける。

 瑠衣もすぐさま駆け寄り、鷹野の顔色と傷の具合を見た。


「斬られてから、まだ三十分は経っていないな。処置は早かったが……」


「腕……つけられますか!?」


 すると、横にいた医者の男が言った。


天之都あまのみやこの第一療養所まで行けば、最新の義肢移植か、もしくは再生接合手術でなんとかなるだろう。しかし、遅くなれば手遅れになる。もって半日だ」


「……急ぎましょう。早く……早く……!」


 星風の声は震えていた。

 彼女の掌も冷たいが、握る鷹野の手はもっと冷たかった。


「森園……」


 そのとき。

 鷹野の唇が微かに動いた。


「えっ……いま、なんて……?」


「……森園、は……どこに……」


 か細い声。苦しげな呼吸の隙間から、彼は、彼女の名前を呼んだ。

 その言葉に、星風の目が揺れた。

 何かをこらえるように歯を食いしばる。


「……あのっ!」


 ふと、星風が瑠衣の方を振り向いた。


「森園さんの、遺体……ちゃんと、列車に乗せてありますか……?」


「ああ。布をかぶせて、後方車両に安置してある。天之都に着き次第、埋葬されることになるだろう」


「……ありがとうございます」


 そう言ったきり、星風は視線を落とした。

 拳を握りしめ、しばらく沈黙する。

 やがて彼女は、ぽつりと語り出した。


「……わたしたち、同期なんです。森園さんも、鷹野さんも。三か月前に一緒に入隊して……訓練も、毎日一緒で」


 その声はどこか遠く、記憶を手繰り寄せるようだった。


「森園さんは、すっごくクールで、でも面倒見のいい人で。鷹野さんは、ちょっと軽口だけど、誰よりも仲間思いで」


「私、足引っ張ってばっかりでした。唯一誇れるのは座学ぐらいで体力も戦闘訓練もビリばっかで……でも、ふたりは笑って支えてくれて……」


 そこまで言った時。

 星風はぽつんと、こう言った。


「……二人は、付き合ってたんです」


 その言葉に、瑠衣は目を伏せた。


「最初は内緒だったけど、すぐバレてました。だって、顔に出るんですもん。森園さん、ほんとはすっごい照れ屋だったんですよ」


 その表情は、どこか嬉しそうで、そして――とても、哀しかった。


「森園さん、よく言ってたんです。“任務に出たら、どっちかが先に死ぬかもね”って。でも、だからこそ今を大事にしたいって」


「なのに……っ!」


 星風の声が震え、嗚咽がこぼれる。

 その目から再び涙がこぼれ落ちる。


「私が……もっと強かったら、私が守れてたら……!」


 拳をぎゅっと握り、震わせる。

 その姿を、瑠衣はじっと見つめていた。

 やがて、彼は静かに口を開いた。


「――お前のせいじゃない」


「……え?」


「やつは……その辺の幻影とは格が違う。お前達新人が相手できるような存在じゃない」


「……でも……」


「仮に、SEUの精鋭を集めて戦ったとして、勝てるかどうかも怪しい。それほどの怪物だ。だから彼女が命を落としたのは、誰のせいでもない」


 その言葉に、星風は目を見開き、しばらく何も言えずにいた。

 やがて、何かを思い出したかのようにぽつりと呟く。


「じゃあ……そんな相手を追い払ったあなたは……一体、何者なんですか……?」



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