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疑惑

――その夜。


 村のあちこちで灯された提灯ちょうちんの明かりが、ゆらゆらと風に揺れている。

 焦げた匂いはもう薄れていたが、まだ村全体がざわついていた。

 それも無理はない。

 今日、幻影が現れたのだ。

 だが奇跡的に、死者は一人も出なかった。


 あの悪夢のような存在を前にして、被害ゼロ。

 それだけで村は、信じられないほどの安堵と興奮に包まれていた。


「今回の幻影の襲撃で、死者はなし。避難する際に転んで怪我した者が数名のみ――だそうだ」


 葛城村長の声が、部屋の中に響く。

 ここは村長の家。広間には村の有力者たちが集まっていた。

 ちゃぶ台の上には湯呑がいくつも並び、蝋燭ろうそくの炎が小さく明滅めいめつしている。


「……本当に、助かったんだな」


義影よしかげの息子がやってくれたらしいぞ。たった一人で幻影を倒したって話だ」


「信じられん……SEUでも幻影を単独で討つのは大変だっていうのに……」


 誰かの声が震え、別の誰かが頷く。

 村の空気は、感謝と驚きが入り混じっていた。


 その中心で、瑠衣は静かに座っていた。

 父の宗一が隣に腰を下ろし、腕を組んでいる。

 蝋燭の火が、父のしわだらけの横顔を照らしていた。


「……お前がいて助かったよ、瑠衣」


 宗一が低く呟く。

 その言葉に、瑠衣は小さく笑ってみせた。


「運がよかっただけさ。それに、俺じゃなきゃ無理だったなんてことはない」


謙遜けんそんすんな。お前はよくやった」


 父の声には誇りが滲んでいた。


「さて……問題はここからだ」


 村長が軽く咳払いをした。

 室内の空気が、ぴんと張り詰める。

 さっきまでの安堵が嘘のように消え、皆が息を呑む。


「今回、幻影が現れた原因について、志乃殿に調べてもらった。報告をお願いする」


 年老いた巫女――志乃が前に出る。

 その手には、焦げた紙のようなものが握られていた。


「これは、村を囲む幻影避けの護符の一枚です。……第三結界の東側の木の側で、地面に落ちているのを発見しました」


「護符が……?」


「はい。がれていたのです。おそらく、結界が途切れた隙を狙って幻影が侵入したのでしょう」


 ざわ……と人々が動揺する。

 村人たちの間で、小さな不安が広がっていく。


「じゃあ……原因は、その護符が剥がれたことか?」


「誰が剥がしたんだ?」


「自然にはがれた可能性もある。だが――」


 志乃が言葉を区切り、視線を瑠衣へと向けた。

 蝋燭の火が、彼女の瞳に揺れる。


「護符が外された箇所の近くに、足跡が残っていました。

 ……靴の形、歩幅、すべて照合したところ、昨日の見回り当番と一致しました」


 部屋の視線が、一斉に瑠衣へ向かう。


「昨日の見回り役は――義影瑠衣。あなたですね」


「は……?」


 思わず息が詰まる。

 たしかに昨日、自分は第三結界線の巡回を任されていたはずだ。

 けれど、それは当番で指示されたからだ。護符なんて、触ってもいない。


「ま、待ってください志乃さん。まさか瑠衣が……そんなこと――」


 宗一が言うものの志乃の視線は鋭いままこう言った。


「事実をお伝えしているだけです。

 護符の跡には、()()()()()()()()()()()()()

 そして――護符に付着していた指紋を分析したところ彼の指紋がついていました」


「指紋……だと……?」


 宗一の顔が青ざめる。

 瑠衣も呆然としていたが反論する。


「待ってくれ!俺は本当に触ってない!」


「じゃあ、どうしてお前の指紋が出るんだ?」


 誰かの声が響く。


「それは……」


 答えられなかった。

 何故そんな事になっているのか、瑠衣にも全くわからないからだ。


「……ちょっと待てよ」


 するとそこへ別の村人が手を上げた。

 目つきは鋭く、疑いに満ちている。

 瑠衣を指さし、こう言った。


「幻影が来る前に、こいつ……言ってたんだ。

 『シェルターへ避難しろ』って。まるで襲撃が来るのを分かってたみたいに」


「確かに……あの時、誰より早く動いてたな」

「知ってたんじゃないのか? 幻影が来ることを!」


「違う!そんな事はしていない!俺は――!」


「お前が幻影を呼んだんじゃないのか? 自作自演ってやつだ!」


 ざわめきが広がり、それはやがて瑠衣に対する不信感へと繋がっていく。

 これ以上は収拾がつかなくなる――思ったその時。


「ふざけるなッ!!」


 宗一の怒号が響いた。

 彼は拳を思い切り机に叩きつけると、村人達を睨み返し言った。


「瑠衣がいなければ、村は全滅してた! こいつは命の恩人だぞ!!」


「……恩人を演じるための芝居だったら?」


 静かな声が返る。志乃だった。

 その言葉が、まるで冷たい刃のように部屋を刺した。


「自分で護符を外して、幻影を呼び込み……

 自分で倒して“救世主”になる。そうすれば、誰もが信用するでしょう」


「馬鹿なことを言うな!それに、何で瑠衣がそんな事をする必要がある!」


「でも、そう考えれば全て辻褄つじつまが合うわ。あまり貴方の息子を悪く言いたくはないが、これだけ物的証拠がそろっている以上、覆すには相応の根拠がいる」


 志乃の言葉に、周囲の空気が変わった。

 疑いが確信に変わる――そんな空気。


「お前……違うよな、瑠衣?」


 父の声が震えていた。

 その問いに、瑠衣は黙り込む。

 勿論、そのような事はしていない。

 だがしかし、それを否定する証拠も何も持ち合わせていない。


(まさか、過去に戻ったことで歴史が書き換わったのか……?)


 正史ではこのような事は起きなかった。


(ん……いや、待て)


 何かがおかしい。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()……?

 違う。

 正史でも瑠衣は幻影に襲われている。彼が負けたことで村は全滅し、自身も拉致されてレベリスとなった。

 つまり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という事だ。

 

(この中に村を全滅させたがっている奴がいる……?)


 にわかには信じ難いが、そう結論付けざるを得ない。

 しかし、一体誰が?

 沈黙。

 長い時間のような数秒が流れ、葛城村長が重々しく口を開いた。


「……義影瑠衣。

 お前が昨日の見回りを担当していたこと、護符の跡にお前の指紋があったこと、

 そして幻影が来る前に避難を指示していたこと――

 これらの事実を鑑み、村としての結論を出す」


 蝋燭の炎が、わずかに揺れた。


「お前を、この村から――追放する」


 その言葉が落ちた瞬間、空気が止まった。


「なっ……追放……だと……?」


 宗一の顔が怒りに染まる。

 だが村長は、それすらも受け止めるような苦い表情で続けた。


「分かっている。瑠衣は、すでにSEUに志願し、近く村を離れる。……だが、それでは“示し”にならない」


「は……?」


 宗一の声に、村長は静かに答える。


「自ら去った者と、“追放された者”では、まったく意味が違う。

 このまま何もなかったように旅立てば、村人たちは“あれは本当に無実だったのか”と、ずっと不安を抱え続けるだろう。

 瑠衣の行動が正しかったと認めれば、護符の破壊という異常も、幻影の襲来も、説明がつかなくなる。

 人々は、それに耐えられないんだ」


「だから……罪をでっちあげて、追放という形で蓋をするってのか?」


「“でっちあげ”ではない。そもそも彼が無実であるという保証もないからな。

 だから“そうせざるを得ない”だけだ。

 ――誰かが、この異変に“責任”を負わなければ、村の秩序は崩壊する」


 沈黙。


 村人たちの目は、真実ではなく「納得」を求めている。

 そして、瑠衣は小さく、息を吐いた。


「……なるほど。

 どうせ出ていく俺を、“罪人”にしておけば……みんな安心するってわけか」


 それを否定する者は、いなかった。

 父の拳が震える。

 唇が白くなるほど噛み締めている。


 瑠衣はゆっくり立ち上がった。

 背筋を伸ばし、父の肩に手を置く。


「いいよ、父さん。……俺が出ていけば、それで丸く収まるなら」


「瑠衣……!」


「でも、皆これだけは信じてくれ。俺はやってない」


 そう言って、瑠衣は頭を下げた。

 誰も何も言わなかった。

 ただ、炎の音だけが、パチパチと響いていた。



 翌朝。


 村の入口には、荷物を背負った瑠衣の姿があった。

 夜露が草を濡らし、空気はひんやりとしている。


 家の前では、父と母、そして瑠那が立っていた。

 瑠那の目は真っ赤だ。


「やだ……行かないでよ、お兄ちゃん……!」


 袖を掴んで離さない。

 小さな手が震えていた。

 瑠衣はその頭をそっと撫でる。


「大丈夫。ちょっと出かけるだけだよ。また戻る」


「うそ……うそだ……!」


 瑠那の声が嗚咽に変わる。

 母が唇を噛み、何も言えずにうつむいた。


「瑠衣……」


 父の瞳には怒りと悔しさが混じっていた。


「……必ず真実を突き止める。お前が冤罪だって、俺が証明してやる」


 その言葉に、瑠衣は小さく笑う。


「ありがとな、父さん。ただ、気を付けてくれ。村の中に――裏切り者がいる。用心してくれ」


 本来であれば瑠衣が傍について護衛してやるべきだろう。

 瑠衣も、宗一達に共に村を出ないか提案したが、その答えは否だった。

 正義感の強い父の事だ。護符を剥がした犯人を捕まえてとっちめるんだと。

 3人が気がかりだったが、父の決意は固く折れる事はなかった。

  村にとどまり犯人を捕まえる事も考えたが、その場合、瑠衣はSEUの隊員としての資格を剥奪されてしまい、人類を救うという使命からも外れてしまう。

 それだけは、どうしても許されない。

 村に残る間にも、世界では幻影による被害が広がっている。

 今この瞬間にも、どこかで誰かが避けられたはずの死を迎えている。

 ならば、迷っている時間すら、罪だ。


 瑠衣は目を閉じ、ゆっくりと息を吐いた。


(……すまない、父さん。俺には、この命で償うべき罪がある)


 それは、この手で殺してきた無数の人々。

 あの血と悲鳴に満ちた過去を、なかったことにはできない。

 だからこそ、どんな手段を使ってでも、救わなければならない。

 もう二度と、目の前で命が散るのを見たくない。

 この手で守れる未来があるのなら――それを選ぶ。


「ああ。必ず捕まえて見せるさ」


 その時だった。


 「おい!」


 通りの向こうから、数人の村人が走ってきた。


 粗末な服に泥のついた手。

 昨日、避難中に助けた農夫たちだ。


「義影の坊ちゃん! ……あんたが犯人なわけねぇ!」

「俺たち、あんたに助けられたんだ。あんたがいなきゃ、家族ごとやられてた! これ、さっき作ったおにぎりだ! 持ってけ」

「村長の言うことなんか気にすんな! あんたは俺らの英雄だ!」


 その言葉の数々に、瑠衣は思わず胸の奥がじんと熱くなるのを感じた。

 だが、すぐにその感情を押し殺す。


(俺は――礼なんて言われる資格のある人間じゃない)


 罪のない人々を自らの手で葬ってきた。

 どれだけ今の行動が正しかろうと、それが帳消しになることはない。

 それでも。


「……ありがとう」


 瑠衣は静かにそう口にした。

 その言葉に込めたのは、《《本心ではなく、せめてもの礼儀だった》》。


「お前はこれからどうするんだ?」


「SEUに行く」


 村の事は気がかりだが、瑠衣には幻影皇帝を抹殺するという目的がある。そうしなければ、大和皇国は遠くない未来に滅ぶ。

 だから急がなければならない。


「そうか。なら瑠衣……これを持っていけ」


 そういって宗一から差し出されたのは、古ぼけた黒い刀。

 鞘には、かすかに『SEU』の刻印が残っている。


「これは……」


「ああ。俺がSEUにいた頃に使っていた武装刀ブソウガタナだ。もう使うことはない。お前に託す」


 瑠衣は戸惑いながらも、それを両手で受け取った。

 

 ――武装刀ブソウガタナ


幻影に対抗するため、皇国第一研究所が開発した、特殊な刀。


熟練の刀鍛冶によって鍛え上げられたこの刀は、幻影の核となる黒影石コクエイセキを特殊加工し、更に様々な金属と混ぜ合わせることで凄まじい硬度になっており、鋼鉄をも容易く切り裂き、滅多に刃こぼれをすることもない。


重火器がほとんど無効の幻影にも有効打を与えることができ、頭と心臓にある超高密度高硬度の核を破壊し絶命させることのできる唯一の武器だ。


第5級から1級までの等級があり、等級が低くなるほどより強力な力を使えるようになるが、取り扱いも難しくなる。そしてそれを新人類が握ることで体内に埋め込まれた黒影石と武装刀に埋め込まれた黒影石が共鳴し、様々な力を使えるようになるのだ。


 手にした瞬間、どこか体の奥が熱くなるような感覚が走った。


「……いいのか?」


「ああ。お前はもう、ただの村の少年じゃない。背負うものがあるなら、これくらいの力は持っておけ。……といっても、父さんじゃ第3級を取り扱うのが精一杯だったがな」


 そういって笑う宗一。


「ありがとう、父さん。大切にするよ」


「それともう一つ」


 宗一は瑠衣の肩に手を置き、声を落とした。


「この刀は“ただの刃”じゃない。お前の意思次第で、その姿も力も自在に変わる。俺はあまり使いこなせなかったが……お前なら、きっと」


 瑠衣は無言でうなずき、刀を背に背負った。


 朝日が昇る。

 金色の光が村を包む。


 瑠衣は荷物を背負い直し、深く頭を下げた。


「――行ってきます」


 そう言って、歩き出した。


 振り返らなかった。

 背中に、妹の泣き声と父の拳の音が遠く響いた。


 小さな村の道を抜けると、霧が立ちこめていた。

 木々の隙間から、朝日が差し込み、道を照らす。


 そして、彼は歩き出す。

 過去を越え、未来を変えるために。

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