スキゾイドの独善性
スキゾイドは他人に関わりたがらない。
それなのに、なぜか時折「お勧め」をしてくることがある。
たとえば、ビーガンが「肉食は非倫理的だ」と訴えてきた場合、
スキゾイドは真顔でこう返す。「では、いっそブレサリアンを目指してはどうか」。
これは、挑発ではない。理屈の究極系としての純粋な提案だ。
スキゾイドは基本的に他人の生活や信条には興味がない。
だが、明らかに矛盾を抱えた主張をされると、つい理屈で反応してしまう。
その「お勧め」は善意ではなく、論理的一貫性の修正案である。
お節介ではなく、混ぜ返しでもなく、むしろ“整合性の最適化”といったところだ。
もっとも、スキゾイド自身は、相手がその提案を本気で実行するとは思っていない。
本気にされても困る。だが、実際に実行しても誰も損はしない。
だから、ある意味では「安全な独善」である。
この独善性の厄介なところは、相手の主張を論理的に極端化させてしまう点にある。
宗教的信仰を勧めてくる人、マルチビジネスの誘い文句を展開する人、
そういった“他者を巻き込む理屈屋”たちに対して、
スキゾイドは本気でその論理の純度を高めて返す。
「あなたの教えが本当なら、あなた自身はなぜその理想の終着点にいないのか?」と。
スキゾイドにとって、それは議論でも挑戦でもない。
ただ、論理的帰結を最後まで見届けたいだけなのだ。
だから、スキゾイドに何かを“勧誘”しようと思う人は覚悟した方がいい。
彼らは、カネにならない人格構造をしており、
人間関係が途絶しても痛くもかゆくもない。
家族との絆すら希薄で、社会的しがらみというリードも存在しない。
つまり、勧誘における最悪の相手であり、
理屈の沼に引きずり込むには最強の存在である。
スキゾイドは他人を救おうとはしないが、
他人の論理を最後まで突き詰めて“沈める”ことなら、静かにできてしまうのだ。




