スキゾイドと陰謀論
文系スキゾイドと陰謀論は、混ぜるな危険である。
スキゾイドは基本的に厭世的だ。社会を愛していないが、社会を無視もできない。
むしろ、社会の理不尽や矛盾を見抜く目だけは鋭く、いつもその構造を頭の中で分解している。
だからこそ、「裏で誰かが操っている」というナラティブ(物語)を提示されると、思わず反応してしまう。
そこには、一見すると理不尽に見える現実を整合性ある構造として説明する魅力があるからだ。
陰謀論が甘美なのは、その物語が「社会を合理的に再構築する」ように見える点にある。
矛盾を嫌い、秩序を愛するスキゾイドにとって、それは一種の救済である。
「なぜ世界はこんなにもおかしいのか」という問いに、整合性のとれた“解答”を与えてくれるからだ。
しかもそれは、自分が納得できる言語体系の中で完結している。
しかし、その瞬間に罠がある。
陰謀論の整合性は、閉じた世界での整合性にすぎない。
外部との検証がないがゆえに、自己整合が無限ループを始める。
気づけば、批判的精神をもって社会を観察していたはずが、
その批判精神そのものが一つの物語の従属要素になってしまう。
左にも右にも偏りうる。
なぜなら、スキゾイドは思想よりも「構造の一貫性」を重んじるからだ。
論理さえ通っていれば、その思想の内容はあまり問題にならない。
この特性こそが、陰謀論という構造的麻薬を危険にする。
もし本気で陰謀論の拡散を防ぎたいと思うなら、
陰謀論を単に「デマ」と切り捨てるのではなく、
整合性のある説明をきちんと提示することだ。
「なぜそれが矛盾しているか」を論理的に示さねば、スキゾイドには通じない。
または——皮肉な話だが——スキゾイドの特性を理解し、
その“整合性欲求”を健全に発散できる環境を用意すること。
もはや、それがスキゾイド治療の一環になるかもしれない。
陰謀論は、スキゾイドにとって理性の甘味料であり、毒でもある。
それは「社会への絶望を整合性という名のロジックで包んだ慰め」なのだ。




