万年斜陽のスキゾイド
最近、ある政党が「斜陽政党」と呼ばれているのを聞いて、ふと思った。
もしかすると、スキゾイドという存在そのものが、生物界の斜陽政党なのではないかと。
スキゾイドは、生物として見ればあまりにも非効率だ。
他者との関わりを最小限にし、恋愛や結婚に興味を示さず、群れからも距離を取る。
つまり、子孫を増やす方向に一切アクセルを踏まない遺伝子だ。
自然淘汰の観点で言えば、滅ぶべくして滅ぶタイプである。
ところが実際には、私たちはこうしてまだ存在している。
理由は単純で、社会という人工構造が“淘汰”を一時的に止めたからだ。
昔は「結婚して家庭を持つのが当たり前」という時代が長く続いた。
スキゾイドも、その制度に乗っかって、なんやかんやで子孫を残してきた。
さらに、スキゾイドという存在が世間に認知されていなかったこと、
そして自覚しづらい性質であること。
この三点セット──いや、ジェットストリームアタックによって、
スキゾイドは自然界では絶滅していたはずの種を奇跡的に延命させてきた。
だが、社会の常識が薄れ、結婚も任意となった現代、
スキゾイドはようやく「本来の姿」に戻りつつある。
子孫を残さず、社会に深く関与せず、静かにフェードアウトする方向へ。
それは悲劇ではなく、ただ構造的必然にすぎない。
この構造、どこかで見たことがある。
そう、斜陽政党だ。
かつては大きな支持母体に支えられ、社会的「常識」として存在していた。
だが時代が変わり、支持者の再生産が止まり、
気づけば構造的に“終わり”が内包されていた。
つまり、「拡大しない運命」がDNAに書き込まれていたのである。
スキゾイドも政党も、ある時期までは繁栄できる。
しかし、どちらも本質的に「増える仕組み」を持たない。
それでも続いているのは、惰性と構造の惰弱な保温効果だけだ。
私はその末裔として、斜陽の中に座っている。
沈みゆく太陽を見ながら、こう思う。
──ああ、これは滅びではなく、本来の軌道修正なのだと。
斜陽とは、滅びの兆しではなく、
太陽が自分の定位置に帰っていく光景。
スキゾイドにとって、それは敗北ではない。
むしろ「ようやく静かになった世界」で、
理屈と孤独が正しいバランスで共存できる時間なのだ。




