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スキゾイドと義務教育

私は幼少のころ、親に面倒を見てもらいながら、ある日突然、幼稚園に放り込まれた。

多くの子どもに絡まれ、ストレスはマッハ。だが、卒園すれば終わると信じて耐えた。


ところが次は小学校だ。しかも6年間もあると知って、絶望した。だがゴールがあるものだと割り切り、また耐える選択をした。ほかに方法などなかったからだ。


小学校生活では、謎の「自己顕示欲」を出して浮いたり、体育館で無理やりさせられる発表という拷問が続いた。結果、いじめに遭った。


中学に入るころには「義務教育もあと少しで終わる」と自分を励まし、また耐えることにした。しかしそこには、いじめ、体罰教師、内申書というどうでもいい圧力、そして強制的な部活動が待っていた。私は「内申書に響く」という脅しを無視し、やる意味を感じない部活動から逃げ、文芸部に移った。


もともと高校に行く気はなかった。義務教育は果たした、俺は自由だ――そう思った。しかし教師と親の圧力で私立高校を受験させられ、結局進学することになった。電車通学の高校には部活動の強制はなかったが、それでも「やはり共同生活は無理だ」と痛感した。

そして16歳になったとき、中退を選んだ。親の悲しみなどどうでもよかった。当時の日本では「スキゾイド」という概念の認知度は低く、親が理解できるはずもなかった。親にとっても、これは無理ゲーだったのだ。


ただ、ここで強調しておきたいのは、学校制度そのものを全否定しているわけではないということだ。

字の読み書き、地理や日本の国家体制などの国勢、社会構造を学ぶことで、周囲の世界を俯瞰する力を得られた。文字による自己表現を学べたのも大きい。さらに、自分の得意分野と不得意分野が明確になったのは大きな収穫だった。


一方で、日本の学校制度は「軍隊型の集団行動」や「協調性」を学ばせる場でもある。何より、出来なかった時に罰する。ここがスキゾイド的にはどうにもいただけなかった。集団の中で「みんなと同じように」動くことを強いられる構造は、スキゾイドにとっては牢獄のようなものだった。そして、罰せられることで歪んだのである。


そして親もまた、スキゾイドの自覚がなく、自分の価値観を子どもに押し付けてきた。

子どもを所有物、将来の保険として見ていたのだろう。教材や塾に金をかけ、高校もわざわざ私立に通わせ、私の苦しみなど隅に置いたまま。もし私が「スキゾイド的に無理だ」と言葉にできたとしても、「気のせい」とか「甘えるな」と一蹴されたに違いない。


そんな親がカネと時間をかけてきたものを――私はまるっと無駄にしてやったのだ。


――「でも、高校は卒業したんですよね?」と聞かれるだろう。

高校は卒業した。30代になってから、通信制で。


世の親御さんへ。

あなたのお子さん、もしかするとスキゾイドかもしれませんよ?

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