スキゾイドの人助け
スキゾイドは基本的に「他人と関わりたくない」人種である。電車で誰かが困っていても、心の第一声は「できれば他の人が助けてくれないかな」である。
しかし、助けを求められれば――実は意外と助ける。なぜか?
最大の理由は、やはり「社会秩序」だ。助けを拒んだ結果、その人の未来を閉ざしてしまうことになる。自分が直接その人を救う必要はなくても、「救いを遮断する」という責任を背負うのは嫌なのだ。スキゾイドは自分のキャパシティが狭いぶん、秩序の破れ目には敏感である。
もう一つは「法的裏付け」である。たとえば交通事故では救護義務違反という罪が明確に設定されている。つまり助けないこと自体が違法。スキゾイドは法と秩序の存在を意外と重視しているので、そこは冷静に従う。
とはいえ万能の博愛主義者ではない。自身の能力を超えるような人助けはしない。「お金を貸してくれ」「一晩泊めてくれ」などといった、秩序も義務も裏付けのない要望は、きっぱり自己責任で切り捨てる。そこには一切の後悔もない。むしろ「美女が身の危険を感じるがごとく断固拒否」するのがスキゾイド流の護身術である。
そして、スキゾイドにはもう一つの特徴がある。助けても、それを誇らない。名も名乗らず、報酬も求めず、さっと立ち去る。これは「かっこいいと思っている」以上に、単に関わりを増やしたくないからだ。余計な縁が生まれるくらいなら、無名の通りすがりで終わるほうが気が楽なのである。
もっとも、相手が美女なら多少は後ろ髪を引かれるかもしれない。だがその場合でも、助けたあとに電話番号を交換することはまずない。スキゾイドの美学は、助けた瞬間に終わる。
要するにスキゾイドは「合理的に助ける」のであって、「感情的に助ける」のではない。それでも結果的に人が救われるのだから、これはこれで社会の歯車のひとつにはなっているのだ。




