スキゾイドはサバイバー
世の中は理不尽や矛盾でできている。
人の群れが集まれば秩序はできるが、その秩序そのものが毒になることもある。スキゾイドにとっては、まさに毒の海だ。
ただし、スキゾイドは社会を全否定するわけではない。
コンビニもインターネットも、税収で賄われる社会資本も、それなりにありがたい。社会というシステムがなければ、生きづらさどころか生活そのものが立ち行かないことも、頭では理解している。だから「社会なんて要らない」と啖呵を切ることはしない。
では、どうするか。
スキゾイドは「ここは触る」「ここは触らない」という線引きを、自分の頭の中でこっそり行っている。たとえば――所属欲求に振り回されない、自己顕示欲に投資しない、恋愛や結婚も「必須ではない」と割り切る。社会の波に完全に溺れるでもなく、かといって孤島に逃げ込むでもなく、ぎりぎり泳げる範囲を選んで漂う。その感覚は、意識的な戦略にすらなりうる。
スキゾイドと自覚していない人でも、無意識に「ここは自分の守備範囲ではない」と回避していることは少なくない。けれど、自覚を得たスキゾイドはより徹底して線引きを洗練させる。どの程度関わるか、どの程度放置するか。関わらなくてよいものは遠慮なくスルーする。それは単なる無関心ではなく、自分を守る生存戦略なのだ。
スキゾイドは、毒の海を否定することなく、それを「そういうもの」と受け入れながら生き延びている。
人から見れば消極的に映るかもしれない。だが、これは意外と合理的でしたたかな――サバイバーの技術なのである。




