スキゾイドと命題
歴史は、スキゾイドにとって親和性の高い学問である。なぜなら歴史は、すでに「結果」が記録された事実の積み重ねだからだ。スキゾイドは矛盾を嫌い、整合性を重視する性質ゆえ、歴史的な出来事を論理の線で結びつける作業には抵抗がない。結果に合わせて因果を整理すればよいだけなので、整合性が確保しやすいのである。
しかし、歴史ミステリになると事情は変わる。「邪馬台国はどこにあったのか?」といった未解決の命題に出会った瞬間、スキゾイドの思考はフル稼働を始める。可能性を一つ残らず洗い出し、整合性のある結論を導き出すまで、頭の回転は止まらない。だがその執念は、課題の選び方次第で幸福にも不幸にも転じる。
もし対象が「不毛なループ」に陥る命題であれば、スキゾイドはいつまでも出口のない迷宮に囚われる。実用性のない問いを選んでしまえば、それは思考を消耗させる呪いになりかねない。だからこそ、スキゾイドにとって命題選びは死活問題である。
では、どうすれば健全な課題に誘導できるのか。ヒントは「現在進行形で本人が関わる不具合」にある。自分の生活や社会における問題点を命題化すれば、思考のエネルギーは整合性の追求として有効に働く。外国人問題などにスキゾイドが食いつくのも、その影響を肌で感じているからだ。
理想を言えば、命題を「普遍的な真理や法則」へと誘導できるのが望ましい。そこには不毛なループではなく、人類全体に通じる発見の可能性が開けている。スキゾイドの思考エネルギーは強烈だ。命題さえ間違えなければ、それは歴史学の解釈や社会論だけでなく、人類的な知恵を掘り当てるかもしれない。




