スキゾイドはスキゾイドのことを知りたい
スキゾイド人格障害と聞けば、多くの人は「孤立主義」「他人がストレス」といった分かりやすい特徴を思い浮かべるだろう。だが、実際のスキゾイドがどのように世界を見ているのか、どんな主観で日々を生きているのか――その内側を語る言葉は驚くほど少ない。
そこで私は、自身の体験や観察をもとに、「スキゾイドの主観」を断片的に記録してみることにした。本格的に体系化された書物をまとめる気力はないし、ジャンルごとにきちんと整理することも難しい。むしろ、後回しの癖や分量の偏りによって、書こうとするほど「永遠に完成しない」危うさが濃くなっていく。
歴史を振り返れば、スキゾイド気質の詩人や作家はしばしば死後になって評価されている。大量の未発表原稿を残した者もいれば、カフカのように友人の手によって世に出てようやく知られる者もいた。その轍を踏むのは避けたい。
だから私は、小出しでも構わないから思いついたときにエッセイとして発表していくことにした。おそらく後年になれば、私の断片やAIとの対話ログが掘り返され、妙な形で話題になるかもしれない。だがそれも構わない。そのとき「スキゾイドはこういう主観で世界を眺めていたのか」と知ってもらえれば本望である。
本書はそうした経緯でまとめられた、断片的なエッセイ集である。アウトプットの過程で理論が積み重なる一方、あとで分野別に整理すると整合が取れなくなる恐れもある。そこで今回は、執筆した時系列のまま掲載した。のちに再編されるとすれば、理論面を先に配置し直す形になるかもしれない。
スキゾイドが「自分について知りたい」と思ったとき、世に出ているのはほとんどが学術的・臨床的資料である。診断基準や専門書は客観的に書かれているが、当事者にとっては眠く、そしてどこか「自分の感覚」とは噛み合わない。
しかし、それでもスキゾイドは自分を知りたがる。なぜか。
それは「できること」と「できないこと」を早く見極めたいからである。
特に できないことを把握し、さっさと諦める ことを望む。
無駄な努力を続けるのは、スキゾイドにとって最大のストレス源だからだ。
◆若いうちに自覚できたスキゾイドの優位性
もし若い段階で「自分はスキゾイドだ」と自覚できたなら、それはむしろ幸運である。
内的世界が肥大しすぎる前にブレーキをかけられる
「社会的に無理なこと」への執着を手放し、無駄な拡張を抑えられる
そのぶん、限られた能力を有効な方向に伸ばせる
つまり、スキゾイドの自己理解は「自分を縛るため」ではなく「自分を解放するため」に役立つ。
◆自嘲でも卑下でもない
「自分のことを知りたい」という願いは、卑下や自嘲の感情とは違う。
むしろそれは、純粋に 自分をコントロールするための意志 である。
だからスキゾイドにとって自己理解とは、自己否定ではなく自己保存の手段なのだ。
◆まとめ
スキゾイドは、スキゾイド自身の声で書かれた記録を欲している。
臨床的資料ではなく、当事者の実感によって描かれた「使用説明書」のようなものを。
スキゾイドがスキゾイドを語ることには、自己救済だけでなく、後に続く同類への「地図を描く」意味があるのだ。




