行方不明の生徒と、黒い風
ルメリアに戻ってから数日。
《剣聖》フィーネは、教師として学院に赴く準備を進めていた。
私はギルドで諸々の処理に追われながらも、一件の報告に目を止めた。
「……やっぱり、エイルの件、動かないといけないわね」
提出された報告書には、学院に通うはずだった新入生――エイル・セラフィーナが一週間前から姿を消していると書かれていた。
彼女は平民出身だが、稀に見る魔力資質を持ち、特待枠での入学が決まっていた子だ。
(行方不明……場所は黒霧区の近く……)
ふと、彼女の入学願書の隅に添えられたメモに気づく。
> 「もし私がいなくなったら、北の“黒い風”を探してください」
「黒い風……」
その瞬間、数年前の記憶が脳裏をよぎった。
黒霧区。
かつて、私がギルドの裏任務として監視していた、ルメリア最大の封鎖区域。
霧に取り込まれ、戻ってこなかった者は多い。だが――最近は妙に静かだった。
(逆に言えば、“動きがない”のが不自然)
私は机から立ち上がり、窓の外――学院の塔を見上げた。
***
その日の夕方、私はフィーネにエイルの件を伝えた。
「エイル・セラフィーナ。平民出身だけど魔力適性は高い。あの子が黒霧区に入った可能性があるわ」
「どうして?」
「彼女、昔《黒霧区》近くに住んでいたことがあるの。魔力に過敏で、何かを感じ取ってしまったのかもしれない」
フィーネは少し黙ってから、静かに言った。
「私が行くわ」
「待って。まだ確証はない。下手に近づくと、霧に呑まれる危険がある」
「だからこそ、私なのよ。私の魔力耐性なら、ある程度の霧なら耐えられる」
私はしばらく考えた。
彼女の実力なら、たしかに可能だ。
でも……何か胸の奥がざわついていた。
「分かった。フィーネ。もし行くなら、私の“補助装置”をつけて」
「補助装置?」
「魔力波探知と、霧の侵食度を検知するリストバンド。特注品よ」
「なるほど。……準備は?」
「明日には渡せる。問題は……黒霧区の“封印”が、まだ保たれてるかどうかね」
***
その夜、ルメリア学院の塔の上――
夜風に吹かれながら、ひとりの生徒がぽつりと立っていた。
長い黒髪、深く伏せた瞳。
その唇が、誰もいない闇に向かって呟く。
「……あの声、また聞こえた……鏡の奥から、私を呼んでる」
彼女の名は――エイル・セラフィーナ
その瞳は、もう人間のものではなかった。




