剣聖フィーネ、決断の時(フィーネ視点)
公都ヴァルセリオンの学院に赴くのは、これで三度目だった。今日もまた、代理教員として招かれた。形式上は"代わりの講師"という立場だけど、王位の候補者として「市井を知る務め」として回されているのも、薄々感じている。
教壇に立つと、生徒たちは緊張しつつも、私の話に耳を傾けてくれる。剣の扱いだけではない。
「なぜ戦うのか」「力の意味とは」そういった精神面も、教えるべきだと思っている。
授業の終わり。チャイムの音に合わせて生徒たちが立ち上がる。
(さて、次は執務室に戻って――)
そう思いながら扉を開いた瞬間――廊下の奥、見慣れた銀の髪が目に入った。
「……サティ?」
その場に立ち尽くしていた彼女は、私と目が合うとすぐに歩み寄ってきた。
「フィーネに頼みたいことがあって来たの」
「私に?」
彼女の申し出は意外なものだった。
「私の領地ルメリアで教員をしてほしいの。剣の授業を」
一瞬、言葉を失う。まさか、彼女がそんな提案をするなんて。
「教員……かぁ。私にできるのかな」
「できるってば。さっきの授業、すごく分かりやすかったわよ」
(そんな風に言ってくれるなんて……)
どこかで、心が温かくなる。
「でも、今は私は公王の候補でもあるから……」
王位の候補。私にとって、それは重い鎖だ。名家の令嬢として生まれた責務。才能を買われた誇り。そして、逃れられない定め。
「ラインから聞いた。候補って、他にもいるのよね?」
「はい。三人です」
ラインが前に出て説明する。
候補は三人。実力、家柄、民の支持――そのすべてで測られ、選ばれる。
でも、私は――
「個人的には、あなたみたいな特別な人間が、王になるのは向いてないと思ってる」
そう言い切ったサティの言葉に、一瞬、心がざわめいた。
(……向いてない、か)
普通なら反発してもおかしくない言葉。けれど、不思議とそれは、否定ではなく、"私をよく知る者の忠告"に聞こえた。
「《剣聖》っていうのは、“戦場の英雄”よ? それが王になったらどうなるか、考えたことある?」
その問いに、私は返せなかった。
ずっと考えていたのだ。私が王になったら、本当に国を守れるのか? 剣を振るうことと、国を治めること――その違いに、まだ明確な答えを持てていなかった。
「私は、フィーネに勝てる者を知ってる」
サティの言葉が突き刺さる。彼女の真剣な瞳。その奥に、疑いは一切なかった。
私の中の"剣聖"がささやいた。
――戦うために生きるのではない。守るために強くなったのではなかったか?
サティの言葉は、きっとその答えの一つだった。
私は、静かに口を開いた。
「……私、ルメリアに行く」
ラインも、生徒たちも驚いた顔をする。
でも、迷いはなかった。
「このままじゃ、公王候補としてじゃなく、一人の人間としての自分が分からなくなりそうだから。少し、考えたいの。サティ。あなたの領地でなら、それができる気がする」
サティが小さく微笑んだ。
その笑みは、いつかの夜、私が剣を握って泣いていたときに、彼女がかけてくれた「大丈夫だよ」という言葉と同じ色をしていた。
私はもう一度、選びなおしたい。
剣を取る意味を。私が守りたいものを。
それが、今の私にできる、たった一つの決断だった。




