《剣聖》と学院と王の座
「ここが……公都か」
陽が傾き始めた空の下、馬車の窓から見える大都市に、私は自然と息を呑んだ。数日かけて辿り着いた目的地。目の前に広がるのは荘厳な城壁、石造りの広場、そして――この国の中心。
「それで、《剣聖》はどこにいるの?」
馬車を降りながら、私はすぐ隣を歩くラインに尋ねた。
「この時間なら、たぶん協会にいるはずです」
なるほど。剣聖がよく出入りする場所として噂にもなっている協会か。さっそく向かう。
……だが。
「本日はお見えになっておりません」
協会の神官が首を振るのを見て、私は無意識に舌打ちしそうになるのをこらえた。
「どこにいるのよ、もう……」
フィーネがいそうな場所を片っ端から巡った。訓練場、騎士団本部、市場、剣の名所と言われる場所……どこにも、あの人の姿はない。
「他の国にいる、なんてことないよな?」
と、後ろのフリッツがぼそり。
「他の国って?」私は聞き返す。
「ほら、あの……《聖女》の国とか。会いに行ったとかさ」
それは確かにありうる。初めて会った時もフィーネと聖女は親しいように見えた。
「とりあえず、公都をもう一度くまなく探してみましょう」
私たちはヴァルセリオンの隅から隅までを見て回った。だが、成果はゼロ。焦りが顔を覗かせ始めた頃――ふと、私は思い出す。
「ねぇ、ライン」
「なんですか、サティさん?」
「この国にも学院ってあるの?」
「ええ、もちろん。ほら、あそこです」
彼が指差した先にあるのは、城にも似た巨大な白い建築物。人の気配が多く、賑やかな声が遠くからも聞こえる。
「あれが学院?」
「そうです。見てみますか?《剣聖》様はいないと思いますが」
「いいわ。どんな生徒がいるのか気になるし」
学院内部を見学していると、私は思わず足を止める。
そこにいたのは――
「……フィーネ……?」
目の前で講義を行っている、栗色の髪を揺らす女性。それは間違いなく、《剣聖》フィーネだった。
「フィーネ様……!?」
ラインの心の声が漏れそうになっていた。
授業の終了を知らせる鐘が鳴る。教室の扉が開き、彼女は廊下へ出てくる。そして、私の存在をすぐに――
「サティ!? どうしてここに……!」
「フィーネに頼みたいことがあって来たのよ」
「私に?」
「私の領地、ルメリアで教員をしてほしいの。剣の授業を、生徒たちに」
フィーネは少し驚いたように瞬きをした。
「教員……かぁ。私にできるかな」
「できるってば。今だってすごく分かりやすく教えてたじゃない」
「でも、これは代打の授業だったのよ。私は今、公王の候補者でもあるから」
私はラインの方へ視線をやる。
「ラインから聞いた。候補って、他にもいるのよね?」
「はい」ラインが一歩前に出て説明する。
「候補者は三人。いずれも、公都を治める名家の令嬢です」
「やっぱり。つまり、フィーネも公爵家の娘……ってわけね」
私は一歩、彼女に近づいて口を開いた。
「個人的には、あなたみたいな特別な人間が、王になるのは向いてないと思ってる」
「え?」フィーネが目を丸くする前に、ラインが反論する。
「ですが、《剣聖》様が王になれば、この国は安泰かと……!」
「違うわ。《剣聖》っていうのは、“戦場の英雄”よ? 戦が起これば真っ先に最前線に立つべき人。それが王になったら、前線もこの国も回らないわ」
「なるほど……」ラインは目を伏せたが、まだ納得しきれない様子。
「でも、《剣聖》様に勝てる人なんて、この世に――」
「いるわよ」
私はきっぱりと言い切った。
「私は、フィーネに勝てる者を知ってる」
「……すみません、少し熱くなりすぎました」
「いいのよ。でも、冷静さは大事よ。指揮官は常に、冷静でなくちゃいけないから」
私がそう言い切ったとき。
フィーネが、静かに口を開いた。
「……私、ルメリアに行く」
「え?」
「このままじゃ、公王候補としてじゃなく、一人の人間としての自分が分からなくなりそうだから。少し、考えたいの。サティ。あなたの領地でなら、それができる気がする」
彼女の瞳は、いつものようにまっすぐで、そして強かった。
こうして、《剣聖》フィーネは王の座から一歩退き、ルメリアへと向かうことを決めた。
それが、世界の流れを少しずつ変えていく――始まりだった。




