糸口
サティはわずかに口元を歪めた。
「幻影で惑わせるつもりなら、むしろ都合がいいわ」
影がにやりと笑ったように見えた瞬間、十重二十重の幻影がサティとルリを取り囲む。森の木々さえ歪み、現実と幻の境界が曖昧になる。
「ここからは、あなたの目と心が耐えられるかどうかよ」
だがサティは動じない。
幻影に混じる微かな“違和感”───空気の流れ、足音の消え方、視界の死角。暴食で喰らい取った幾つもの魔術の知識が、彼女に冷静な分析を与えていた。
「ルリ、右前方――実体はそこ!」
「任せて!」
ルリが即座に剣を振り抜くと、空気が震え、黒幕の影が一瞬よろめいた。
「……見抜いた、だと?」
サティは幻影の一部を吸収し、逆に“偽の自分”を生み出す。それを影の死角に配置し、黒幕に誤認させる。
「心理戦を仕掛けるつもりなら、私も返すだけよ」
黒幕はわずかに舌打ちをした。
「なるほど……暴食とは、ただ喰らうだけの力ではないということか」
その声に、サティは気づく。冷静で、知性を感じさせながらも感情の揺らぎを必死に隠している。まるで彼女の予想外の成長を、認めたくないかのように。
(……この声、どこかで聞いたことがある……?)
わずかな既視感が胸をよぎる。しかし記憶の中で名前にまでは繋がらない。だが確かに、サティが以前どこかで関わった存在の気配。
「あなた、いったい――」
問いかけたその瞬間、影は空気を裂くように大きな一撃を放ち、森の中が光と闇で引き裂かれる。
ルリがサティを庇い、二人は木陰に飛び退く。
「サティ、今のは……!」
「ええ、ただの牽制じゃない。私たちをこれ以上深入りさせたくないのね」
黒幕は姿を煙のように揺らしながら、言葉を残した。
「次は……もっと深い場所で会いましょう。その時には、隠す必要もなくなるわ」
そう告げて影は霧散した。残されたのは、ひどく張り詰めた森の静寂と、正体の残り香。
サティは拳を握り、深く息を吐く。
「……必ず突き止める。あの声の主が誰なのか、そして何を企んでいるのか」
ルリは小さく頷き、サティの隣に立った。
「私も一緒に。どこまででも」
二人の決意が夜の森に響いた。
そして───黒幕の正体に迫る糸口は、確かに掴まれていた。




