謙虚への試練・予兆
夜の焚き火の向こうで、セリーヌは静かにお茶を淹れていた。
香り高い蒸気が漂い、疲れた身体が少しずつほぐれていく。
「……イザークと話をしていたみたいね」
カップを差し出しながら、セリーヌが穏やかな笑みを向けてくる。
仲間になってからしばらく経つが、この人は時折、何でも見透かしているような瞳をする。
「勤勉を覚醒させるには、謙虚が必要だと……そう言われました」
「ふふ、それは正しいわ」
セリーヌは炎の光を受け、銀髪をやわらかく揺らした。
「でも、あなたに“謙虚になれ”と命じても、すぐにできるものではないの。
──それは、痛みや迷いを通してしか芽生えないから」
私は少しむっとした。
「私、そんなに傲慢に見えますか?」
「見えるわ」
即答。しかも、柔らかく微笑んだまま。
「でも、それは悪いことじゃないの。
強くなるために必要な自信や誇りを持っている証拠だから。
ただ、それだけでは……美徳は手の内に収まらない」
焚き火がパチ、と音を立てる。
その音に紛れるように、セリーヌは少し声を落とした。
「私は、あなたが“自分一人ではどうにもならない”状況に直面する瞬間を見てみたいの。
そのとき、あなたが誰かに手を伸ばすことができたら……きっと謙虚は芽吹くわ」
彼女はそう言うと、またいつもの優しい仲間の顔に戻り、ルリとクラウディアの方へ軽く手を振って歩いていった。
私は手元のカップを見つめながら、その言葉が静かに胸に沈んでいくのを感じていた。
***
翌朝。
街道を外れ、森の中を抜けて次の街を目指していたときだった。
「……嫌な気配がする」
ルリが立ち止まり、耳を澄ます。
私も周囲に意識を集中させる──が、その瞬間、視界がぐらりと揺れた。
足元の感覚が消え、体がふわりと浮く。
「サティ!」
誰かの叫びと同時に、私は地面に崩れ落ちた。
頭が回らない。力が入らない。魔力の流れが……止まってる?
「毒……?」
クラウディアの声が遠くで響く。
視界の端で、黒ずんだ小さな矢が草むらに突き刺さっているのが見えた。
私は立ち上がろうとしたが、膝が笑って動かない。
──こんな、無力感。
普段なら一瞬で片づけられる小競り合いすら、今はどうにもならない。
「……私が……やらなきゃ……」
口に出した瞬間、セリーヌが私の肩に手を置いた。
「いいえ。今は任せなさい」
彼女の声は静かで、しかし揺るぎなかった。
「あなたは強い。でも、今は私たちが強くなる番よ」
ルリが前へ飛び出し、クラウディアが後方を固める。
セリーヌは私を支えながら、敵の動きを冷静に見極めていた。
私はただ、彼女の肩を借り、仲間の背中を見守ることしかできなかった。
──これが、セリーヌの言っていた「自分一人ではどうにもならない状況」なのか。
戦いは短く、しかし確実に終わった。
敵の気配が消えた森の中で、私は悔しさと……妙な安堵を覚えていた。
「助けられるのも、悪くないでしょう?」
セリーヌはそう言って微笑み、私の額に触れた。
「これも、美徳への一歩よ」
私は返す言葉を見つけられず、ただ小さく頷いた。




