【200話記念SS】クラウディアの独白
静かな夜だった。
風もなく、空には雲ひとつない。星々が、まるで遠い記憶を静かに照らすように、冷たくもやさしく、世界を包んでいた。
その中で、ひとつの気配が、影に紛れるように佇んでいた。
修道都市アシュレーンを離れて、もうどれほど経つだろう。
表立って彼女の前に現れることはない。
ただ、影のように、そっと後ろから見守っているだけ。
その存在の名は──クラウディア。
《美徳:忍耐》の継承者にして、ある少女の“歩み”を静かに見つめ続ける者。
そして今、誰もいない高台に立ち、ただひとり呟いた。
***
「……彼女は、歩き続けている。折れることなく、迷いながら、それでも止まらずに」
闇の中に響く、透き通った声。
「傲慢と対峙し、憤怒を越え、暴食を呑み込んだ。……普通なら、とっくに潰れていたはずよ。
でも彼女は、何度も立ち上がった。誰かのために。自分の意志で」
クラウディアの金糸の髪が、夜風にふわりと揺れた。
「ねえ、イザーク。あなたはまだ試練を与えるつもりはないの?」
問いかけは、夜空に溶けていく。
返事はない。けれど、それでいい。
イザークが何を見ているか、彼女は知っている。
「“勤勉”は、ただの努力ではない。学ぶこと、気づくこと、積み重ねてゆく強さ……。
でも、“忍耐”もまた、時間の中でしか育たない。
だから私は、待つわ。……彼女が、すべてを受け入れられるその日まで」
クラウディアは目を閉じた。
瞼の裏に浮かぶのは、あの少女───サティ・フライデーの横顔。
静かな瞳で前を見つめ、時に恐れ、時に怒り、時に涙を堪えながらも、それでも誰かのために立ち続けようとする、あの背中。
「あなたはまだ、“忍耐”を手にしていない。
でも、それでいい。……今のあなたは、きっと“忍耐”という美徳の意味を、生きながら知っている最中なのだから」
遠くで、焚き火の明かりが揺れていた。
サティの一行が小さな野営を敷いているのだろう。
彼女はそこへは近づかない。
ただ、静かに見守るだけ。
たとえ気付かれなくとも、名を呼ばれなくとも───この歩みの先にある、真の覚醒を信じている。
だから、クラウディアはそっと祈るように、呟いた。
「進みなさい、サティ。あなたの歩幅で、あなたの心で。
私たちは、きっとあなたの選択を祝福する。……その日が来るまでは、ただ、見守っているわ」
夜の帳が、また一段と深く降りた。
それでも、そこに灯る希望の光は、確かにあった。
──《忍耐》の継承者は、まだ名乗らない。
だがその眼差しは、ずっとあの少女の未来を見つめていた。




