書を継ぐ者
地下神殿から地上へ戻ると、
アークゲイル高原には、すでに夕日が差し込んでいた。
風は静かで、冷たく、けれどどこか安らぎをもたらす。
「……もう終わったの?」
ルリが問いかける。
「うん。もう、《暴食》に飲まれることはない。自分がその力をどう扱うか、ちゃんと決めた」
そう答えたサティの瞳には、先ほどよりも確かな“光”があった。
けれどそのとき───
風に乗って、草原の向こうから、足音が近づいてくる。
現れたのは、フードを深くかぶった旅装の女性だった。
その背には、巻物と革の本をいくつも背負っている。
「……やっと会えた」
女性は、サティを見て微笑んだ。
「あなたが、《罪と美徳の均衡者》。──私の書に記された通りね」
サティとルリは構えるが、女性に敵意は感じられない。
「わたしは《綴り手》の一族、エルナ。
過去と記憶、そして未来の系譜を継ぐ者。あなたの歩みをずっと追っていたの」
「綴り手……?」
「あなたの中には、《大罪》と《美徳》が共にある。
それはかつて一度だけ、この大陸に現れた“均衡の担い手”と同じ」
ルリが目を見張った。
「そんな人がいたの?」
「ええ。記録は断片的だけど、残ってる。
その者は《慈愛》と《寛容》をもって《暴食》と《憤怒》を封じたとされているわ」
サティは、エルナの言葉を静かに受け止める。
「……つまり、私の歩みは“今”だけのものじゃない。
誰かの歩みを継いでるってこと」
エルナはうなずくと、懐から一冊の本を差し出した。
それは古びた写本だったが、確かに温かい気配を持っていた。
「この中に、“美徳の共鳴”に関する記述があるわ。
今のあなたなら、次の“兆し”がわかるはず」
サティはその本を受け取り、ページをめくる。
そこには───
> “勤勉の先に、忍耐は生まれる。
> 怠惰に飲まれし時、その心を繋ぐ光は、耐える者に宿る”
サティの内に、微かな震えが走った。
(《忍耐》……)
《怠惰》を制御するために、まだ足りていないもの。
それが、この先に見える“次の美徳”。
サティは顔を上げる。
「……ありがとう。あなたのおかげで、また一歩見えた気がする」
エルナは穏やかに微笑んだ。
「まだ見ぬ“徳”と“罪”の記録は、必ずどこかに残っている。
あなたが歩く限り、それを綴る者もまた、傍らにいるわ」
それだけ言って、彼女は背を向け、草原の彼方へと消えていった。
サティはしばらくその背を見送ったあと、ゆっくりと写本を閉じ、ルリに言った。
「次は……《忍耐》ね」
「うん。次もきっと、乗り越えられるよ、サティなら」
そして、ふたりは歩き出す。
次なる旅路へ───




