喰らう地を越えて
アークゲイル高原───
そこはかつて、《暴食》にまつわる逸話が残された地。
今ではすでに荒れ果て、風と草原が広がるだけの静寂な土地となっていた。
「……何も残ってないように見えるけど」
ルリがそうつぶやいたとき、サティは小さく首を横に振る。
「ここには、痕跡があるわ。“喰らわれた”あとの気配」
かつてこの地にあったという神殿──その遺構は、草に埋もれ、跡形もない。
けれど、サティの中に宿る《暴食》は、そこにわずかな共鳴を感じていた。
(懐かしいような……でも、遠い感覚)
すでに《暴食》は、自分の中にある。
サティは、その力を制御し、制御されながら、ここまで歩んできた。
今、この地を訪れたのは、“暴食の記憶”と向き合うためだった。
「……たぶん、この場所では“会得した後”だからこそ見えるものがある」
彼女がそう言うと、ルリはわずかに目を細めた。
「思い出すために来たってこと?」
「うん、そうかもしれない」
風が吹く。
草原の音が、遠くで囁くようにざわめいた。
かつて、神の名を刻んだという“喰らう神殿”。
《暴食》という大罪が、人を、街を、記憶をさえ貪り尽くしたという伝承。
「……でも、今の私は違うわ」
サティはそっと胸に手を置いた。
そこには、《勤勉》と《純潔》──二つの美徳が、彼女の心を支えている。
かつてなら、暴食の力に飲まれ、抑えられない衝動に苛まれていたかもしれない。
けれど今は、思考する力がある。選ぶ意志がある。
「力を持つことは、もう恐れない。
けど……だからこそ、自分がどうそれを“使うか”を考えなきゃいけない」
足元の地面が、やわらかく沈む。
彼女が一歩踏み出したその先に、崩れかけた石畳のようなものが、草の隙間から顔を出していた。
「……やっぱり、ここに“何か”あるのね」
ルリが軽くうなずく。
「行ってみよう。たぶん、あたしたちが知らなきゃいけないことが───この先にある」
二人は、風の吹き抜ける高原をさらに奥へと進む。
そこにあるのは、かつて暴食が“すべてを喰らった”記憶。
そして、いまやその力を手にした者として、どう向き合っていくかの選択。
サティの歩みは迷いなく、静かに、けれど確かに続いていた。




