知の封書庫へ ― 怠惰の眠りに抗って
都市の中央──“封書庫”と呼ばれる古い建物が、二人を待っていた。
門は錆び、扉は歪み、看板すら剥がれかけていた。
だが、サティには分かっていた。ここが、この都市で唯一《思考の灯火》が残る場所だと。
「入るわよ。ルリ」
「うん……なんか、この建物だけ空気が違う」
封書庫の中に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
重かったはずの意識が、ほんの少しだけ晴れたように感じた。
(……外とは、明らかに違う)
書架が並び、無数の書物が埃に埋もれて眠っている。
それでも、そこには“知識が息づく気配”があった。
「誰か、いるわ」
サティがつぶやいた直後、奥から微かな足音が聞こえた。
現れたのは、一人の女性──年齢は不明。
深い藍色の法衣に身を包み、瞳は本のように静かで深い。
「……ようこそ、知の封書庫へ」
声に、澱みはなかった。
この都市で初めて感じた、“目覚めた意志”を持つ人物だった。
「あなたが……記録の管理者?」
サティの問いに、女性はうなずいた。
「私は“アムネリア”。封書庫の管理者です。
この都市の記録を、かろうじて守り続けている者──そして、最後の“記録者”です」
ルリが小さく驚きの声を漏らす。
「でも……レクヴァリアって、すでに記録がほとんど消えて……」
「ええ。だから私は、記すことすら忘れられた記録を、“記録し直す”役割に変わったのです」
アムネリアの言葉に、サティは息を飲んだ。
記録を失った世界。
思考を止めた人々。
そして、その中心にあるのが──《怠惰》。
サティは拳を握った。
「私の中にある《怠惰》の力が、この都市を鈍らせてる。……その責任、ちゃんと受け止める」
「ならば」
アムネリアは、書架の奥へと歩き出す。
「“試み”を受ける資格があります。ここにあるのは、ただの知識ではない──
思考を貫く“意志”です。……勤勉の美徳を得るには、自らの内に“学び続ける心”を呼び覚まさなければなりません」
サティの中で、何かが微かに煌めいた。
怠惰に抗う。
そのためには、ただ力に頼るのではなく、“問い続ける自分”でいなければならない。
「……お願いします。封書庫の試みを、受けさせて」
静かな誓いのように、サティは言った。
次なる《美徳》──《勤勉》が、確かに扉の向こうで待っている。




