呼ばれる前に
日が沈む。
今夜も、街は息を潜めていた。
扉は閉ざされ、窓は板で打ち付けられ、灯火はすべて消えていた。
街全体が“夜”という存在に服従しているようだった。
「……来るわ」
サティは広場の中心、古びた噴水の前に立っていた。
その手には、イーグランドから渡された護符。
ルリは一歩引いた位置で、背中を預けるように立っている。
「目標、出現まであと数分。魔力濃度、急上昇中……おそらく、あれは“世界の法則の外”からやってくる」
「ええ……今回こそ、捕らえる」
静寂が破られる。
カツン。カツン。
乾いた足音が石畳に響く。
来た──。
白い布をかぶった異形。
昨日と同じ、だがどこか“意志”を持ったような動き。
今夜は、彼女たちの方を真っすぐ見ている。
「……見てる」
ルリが唇をかすかに噛む。
レーベンの足取りは遅い。だが確実に、ふたりへと向かってきていた。
「ルリ、いつでも動ける?」
「いつでも」
「よし。私が前に出る。レーベンが口を開いた瞬間に、絶対に“護符をかざして”。間違っても、名前を呼ばせてはだめ」
それは単なる迷信でも、儀式でもない。
この街で“名を奪われた者”たちは、記録上からも消えていた。
レーベンは、存在そのものを喰らう。
白い者が、立ち止まった。
そして――その口元が、ゆっくりと動く。
「サ……」
その声に、サティの身体がびりっと痺れた。
空間が歪む。名を呼ぶだけで、存在が引き寄せられていく。
「───今!」
ルリの声と同時に、ふたりは護符を掲げた。
瞬間、護符が蒼白い光を放ち、レーベンの周囲の空気が裂けるように揺れた。
「ッ……が……ああ……!」
白い者が呻くような声を発した。
だがその叫びも、耳で聞く音ではない。心に直接響いてくるような、存在の“重圧”。
「これで……!」
サティが手を掲げ、次の術式を展開する。
「空間固定・結界封鎖!」
足元に六芒星が浮かび、広場全体を覆うように魔法陣が広がる。
白い者───レーベンが逃げ場を失い、苦しげに身をよじる。
「追い詰めた……!」
しかし。
レーベンは、布の中から“もうひとつの口”を開いた。
サティでもルリでもない───
「イーグランド」
その名が、空間に響いた。
「――っ!」
サティがすぐさま振り返った。
広場の端にいた封じ手・イーグランドが、呻きながら膝をつく。
「わたしの名を……なぜ……!」
彼は護符を持っていなかった。
「ルリ、結界を維持して! 私は――!」
サティが跳ぶ。レーベンの“名の力”がイーグランドを飲み込む前に、救い出さねばならない。
だが、その瞬間――レーベンの身体が、裂けた。
中から現れたのは、黒い光を帯びた核だった。
「影の核……!」
ついに見えた、真の目的。




