ユーリシア姫
戦士長ネルザンピと顔を合わせた日から、数日が過ぎた。
その朝。まだ日が完全に昇りきらない淡い光の中、私の部屋の窓辺に、一羽の鳥が止まっていた。
「……あら。あなた、戦士長の使い魔かしら?」
羽毛は青灰色、首元には小さな金の紋章。間違いない。私は窓をそっと開け、鳥の足に結ばれていた小さな巻紙を解いた。
> サティ・フライデー殿
今夜、戦士隊本部に来てください。
会っていただきたい方がいます。
迎えを差し向けますので、自宅でお待ちください。
「……会ってほしい人?」
書かれているのはそれだけ。でも、だいたい予想はつく。
――王女様、ね。
護衛対象と事前に顔を合わせておくのは、当然の準備。私はこの日、ギルドの仕事を少し早めに切り上げることにした。
夕方、受付の整理を終え、帰る支度をしていると、背後から声がした。
「先輩、もう帰るんですか?」
振り向くと、後輩のルリが不思議そうにこちらを見ている。
「ごめんね。ちょっと用事があってさ」
「そうなんですね! お疲れ様でした」
「うん、お疲れ様!」
笑顔で言葉を交わし、ギルドを後にした。
帰宅後、私は制服を脱ぎ、戦士用の動きやすい装束に着替えた。窓の外を見ながら、迎えが来るのを待つ。すると程なくして、舗石を叩く馬の蹄音が近づいてきた。
「……来たわね」
門の前に止まった馬車の扉が開き、黒衣の戦士が降り立った。
「サティ・フライデーだな?」
「はい」
「戦士長がお待ちだ。早く乗りなさい」
促されるまま、私は馬車へと乗り込んだ。
戦士隊本部は、王都の中心部に構える巨大な石造りの要塞のような建物。威圧感のある造りだが、私は物怖じせずその廊下を進む。案内の兵士に従い、再びあの部屋の前へ。
「失礼します。サティ・フライデーをお連れしました」
「入りなさい」
中から聞こえた低く太い声に、私は扉を押して入る。
「よく来てくれました。サティ・フライデー」
「依頼ですから」
簡潔に答えると、ネルザンピは部下に下がるよう命じ、静かにうなずいた。
「護衛対象は……まだお見えにならないのですか?」
「もうすぐ来られると思います。座ってお待ちを」
それから数分――
部屋の扉の向こうから、少女のように愛らしい声が聞こえてきた。
「失礼いたします。初めまして。私、第2王女のユーリシアと申します」
振り返ると、上品なドレスを纏った少女が立っていた。薄紫の髪、透き通るような肌。だがその瞳には、王女としての決意と気高さが宿っていた。
「私は冒険者のサティ・フライデーです」
「あなたのことは、よく耳にしています。《死神》と呼ばれているとか」
「……既にご存知でしたか」
隣で、戦士長が口を開く。
「実は、サティ殿に護衛を依頼すると決めたのは、王女殿下ご自身なのです」
「……そうでしたか」
まさか、王族から直接指名されるとは。私は言葉を失いかけながらも、王女の目をまっすぐ見返した。
「どこで私のことを知ったのですか?」
「ええ、それはまた後ほど。でも今は――そろそろ本題に入りましょう」
戦士長が話を引き継ぐ。
「姫の周囲には、いま戦士がいない」
「……戦士がいない? それは、非常にまずいのでは?」
「その通りです。だからこそ、サティ殿。あなたには、姫の《専属騎士》になっていただきたい」
私は少し眉をひそめた。
「私は、騎士ではなく、ただの冒険者です」
「冒険者のままでは、王族の護衛という肩書きにふさわしくない。だから、名目上でも戦士となっていただく必要があります」
「……そうですか。なら、騎士にもなりましょう。姫からの直接の指名依頼ですもの、断る理由はありません」
「ありがとうございます、サティ殿!」
王女ユーリシアは安堵の表情を浮かべ、深く頭を下げた。
こうして私は、“王女の戦士”となった。
名を捨てず、立場を変えず、しかし命を懸けて守る覚悟だけを新たにして――
彼女の影となる道を、歩み出したのだった。




