戦士長ネルザンピ
翌日、私は昨夜の仮面の使者から受け取った書状の指示に従い、王都の西区――貴族街へと足を運んでいた。
「……確か、この辺りのはずね」
書状に記された場所は、重厚な門と高い塀に囲まれた屋敷だった。白い石造りの壁と、整えられた庭。明らかに、王都でも上位に属する貴族の邸宅だ。
私は門前に立ち止まり、深呼吸をひとつしてから門をノックした。
「お待ちしておりました。どうぞ中へ」
応対に現れたのは、黒い制服に身を包んだ若い女性だった。顔には柔らかな笑みを浮かべているが、隙はない。彼女に導かれるまま、私は屋敷の中を歩く。
廊下には高価そうな絵画が並び、床は磨かれすぎて自分の顔が映りそうだった。
やがて私たちは、一際大きな扉の前で足を止めた。
「当主に到着をお伝えします」
彼女は手早く扉をノックし、中に向かって声をかけた。
「サティ・フライデー様をお連れしました」
「通せ」
中から落ち着いた声が返ると、メイドは静かに頭を下げた。
「それではお入りください。私はここで失礼いたします」
扉を開けるよう促され、私は一歩踏み出す。
「失礼します」
部屋に入ると、そこには壮年の男性が一人、机に向かって座っていた。長身で引き締まった体格。灰色の髪に無精ひげ。だが、その眼差しには王国を背負う者の鋭さがあった。
「あなたがサティ・フライデー。《死神》ですね?」
いきなりの問いかけに、私は微かに眉を動かす。
「……調べはついているということですか」
「ええ。骨の髄まで、ね。貴女の成績、過去の任務、素行まですべて目を通しました」
「ご苦労なことです。それで……あなたは?」
「王国戦士隊の戦士長、ネルザンピといいます」
私は思わず背筋を伸ばした。王国戦士隊。その頂点に立つ男が、私のような者に直々に呼び出しをかけたというのか。
「戦士長……まさかそんなお偉い方にお目にかかれるとは」
「驚いたかね? だが、君ほどの人材なら、何となく察しているのでは?」
「はい。数多の冒険者の中から私を指名したということは――依頼ですね?」
「ご明察。今回は、特別な護衛依頼だ」
「誰を、護衛すればよろしいのでしょう?」
ネルザンピは机の上の指を組み替え、ゆっくりと私を見つめた。
「王女殿下をだ」
「……王女様、ですか」
私は一瞬、言葉を失った。王族の護衛。それは通常の冒険者では到底任されない、極めて重責な任務だ。
「確か、名前は……」
「ユーリシア様ですよ」
ネルザンピが即座に補足してくれる。
ユーリシア・ル・フェルディア。第七王女。才色兼備で知られながらも、あまり表舞台には出てこない謎の多い王女だ。
「なるほど……。わかりました。依頼、引き受けさせてもらいます」
「よろしい。後日、遣いを出すので準備を整えておくように」
「ひとつ、確認させてください。私は受付嬢が本業なのですが――」
「君の冒険者業務を優先するよう、ギルド上層部には通達済みだ。正式に可決されている」
「そうですか……了解しました」
少し胸が痛んだ。私はあくまで“表の顔”として受付嬢であり続けたいのだ。
「とはいえ、個人的には受付嬢を辞めてほしいところだがね」
「申し訳ありません、それはできません」
ネルザンピは眉をわずかに上げたが、すぐに柔らかく微笑んだ。
「君の意志を尊重しよう。感謝する、サティ・フライデー」
「こちらこそ、ありがとうございます」
礼を述べ、私は部屋を後にした。扉が閉まり、メイドの姿が再び見えた。
「ご案内します」
重たい気配を背に受けながら、私は屋敷を後にした。
――それから一週間。
私は何もなかったかのように、受付嬢としてギルドに立ち続けた。だが心の奥では、来たる任務への覚悟を、ひたすらに静かに――燃やしていた。




