湯煙の向こう、出会いは静かに
ルメリアを旅立ち、いくつかの村を抜けた先。
山間に佇む温泉郷、ユグノ。
岩肌から湧き出す蒸気と、湯の香りが心地よく鼻をくすぐるこの地は、古くから療養地として知られていた。
サティとルリの二人は、旅の疲れを癒すため、山の湯宿に一泊することにしていた。
「……はぁ。天国、かも」
湯船に肩まで浸かりながら、ルリがふにゃりと脱力している。
湯気の向こう、サティは湯縁に肘をつき、珍しく力を抜いていた。
「あなたが“天国”なんて言葉を使うとは思わなかったわ」
「えへへ……でもサティも、ちょっと気が緩んでる顔してるよ?」
「……少しくらい、ね。旅はまだ続くし、英気を養っておかないと」
ふたりきりの女湯には、湯の音と、微かに揺れる木の葉の音しかない。
ルリは目を細め、静かに言った。
「でも、こういう時間、いいなって思う。ギルドでずっと働いてた頃は、こんなの想像できなかったから」
サティはその言葉に目を伏せ、小さく頷いた。
「私も同じ。……あの頃の私たちには、見えていなかった世界が、今はたくさんある」
湯船から上がると、夜のユグノは涼しく、宿の縁側には風鈴の音が鳴っていた。
そんな中――
サティはふと、背後に視線を感じて振り返る。
細身の青年が、山道の方から宿へと歩いてくるのが見えた。肩には古びた杖。顔の半分を覆うように、白布が巻かれている。
「……あれは?」
ルリも気づいたのか、眉をひそめて警戒を見せた。
「旅人、かな? でも何か……ただの客には見えない」
青年が近づくと、彼はサティたちに会釈した。
「突然、失礼。今夜だけ、この宿に泊めてもらえないかと思って」
低く落ち着いた声。そして、そのすぐ後ろから――もうひとりの姿が現れる。
赤毛の少女。足に包帯を巻き、こちらを無言で見つめていた。
「彼女も……?」
「同行者だ。名はミカ。少し怪我をしていてね。温泉に浸からせたくて来たんだ。僕はレオ・エステル。旅の魔術師だよ」
サティはしばし沈黙したあと、頷いた。
「別に止める理由はないけど、用心だけはさせてもらうわ。今の世の中、旅人のふりをする魔物もいるから」
「ふふ……その警戒心、嫌いじゃない」
レオはにこやかに笑った。ミカは何も言わず、どこかルリと似た気配を漂わせている。
その夜、食事の席で四人は自然と顔を合わせた。
宿の女将が差し出した温野菜の煮込みを囲みながら、わずかに会話が交わされる。
「あなたたちは、ルメリア方面に?」
ルリが問いかけると、レオが頷く。
「そうだ。……ただ、俺たちは“ある場所”に寄り道してから向かうつもりだ。君たちは?」
「私たちも、ルメリアに戻る途中。いくつか回り道はするけれど」
「奇遇だね。どこかで、道が交差するかもしれないな」
そう言ってレオが微笑む。ミカは湯呑みを両手で包みながら、ぼそりと呟いた。
「……ルメリアで、会えたらいいな」
サティはその言葉に、どこか小さく笑った。
「そうね。会えたら、そのときは――互いに味方であることを願うわ」
湯煙に包まれたユグノの夜。
それは、ただの休息ではなく、やがて物語の鍵となる出会いの夜でもあった。




