影の核を追って
村を出る準備は、思ったよりも早く整った。
調査の名目で訪れていたサティたちは、もとより長居するつもりもなかった。
だが。
この村で見た影は、確かな“手がかり”を残していった。
「……あの石片、鑑定に回してもらうとして。現地で調べるほうが早いわね」
サティはルリと並んで村の外れを歩く。
村人たちは、どこか怯えたまま、表に出ようとしない。夢に囚われ、眠ることすら怖れているようだった。
「サティ、例の“外から来た人間”だけど……一人だけ、該当者がいるって」
ルリが懐から、村の古老から聞き取ったメモを取り出した。
「三日前、旅の僧侶を名乗る男が一晩だけ泊まったらしい。名前は……『ロゼア・フラム』」
「ロゼア……どこかで聞いたことがあるような」
サティが目を細める。
そして、思い出したように立ち止まった。
「待って。ロゼア・フラム。確か、パステコの旧領――“影の丘”に出入りしていたはず」
「“影の丘”って……地図に載ってない、あの……?」
「ええ。百年前に封鎖された廃領の名残。学会でも正式には存在しないことになってるけど……一部の記録には残っていたの」
サティは石片を取り出す。
それに反応するように、微かな魔力の震えが指先に走った。
「……反応してる?」
「この石、あの“影の丘”に由来する可能性が高いわ。間違いなく、パステコ公国が関わってる」
ルリが小さく息を呑む。
その時だった。
ごぉ……という重低音の風が、ふたりの頬を撫でた。
「風が……変わった?」
森のほうから、どこか焦げたような匂いがする。
同時に、サティの肌に、ざわりとした魔力の逆流が走った。
「来るわ……! ルリ、構えて!」
黒い霧が、村の外れから立ち上っていた。
その中心に、ふたたび“影”が姿を現す。
だが、昨日のものとは違っていた。
輪郭がはっきりしている。手足のようなものがあり、頭部と思しき位置に、仮面のような白い意匠があった。
「擬態が進んでる……人の姿に近づいてるの⁉」
サティが魔力を展開する前に、影が腕を振る。
その瞬間、大地が抉れ、ルリが咄嗟に飛び退いた。
「っく……! サティ、これ……本体じゃない、でも強い!」
「本体の“核”を守る番人……あるいは、送り込まれた刺客……!」
影が唸るように声を上げた。
いや、それは言葉だった。
「――来るな、来るな、来るな――」
男とも女ともつかぬ、無機質な声。
サティはその言葉に動じることなく、前へ出る。
「来るな、じゃない。あなたが、呼んだんでしょう?」
右手に展開した魔法陣が、光を帯びる。
「行くわよ、ルリ! これはただの魔物じゃない。呪術の“しもべ”よ!」
「うん、やってやろう!」
影が飛びかかる。
地を裂き、風を裂き、叫びながら突進する。
だがその瞬間。
サティの掌から放たれた光が、影の中心――仮面のある箇所を、直撃した。
爆音。衝撃。舞い上がる黒い霧。
残されたのは、砕けた仮面と、またひとつの“石片”だった。
それを拾い上げ、サティは見つめる。
「……やっぱり、パステコの印……。もう確信したわ。全部、繋がってる」
彼女は顔を上げ、東の空を見た。
そこに広がるのは、パステコ公国――影の本拠地。
「行きましょう、ルリ。……“影の核”を壊しに」
「うん。今度は、終わらせよう」
彼女たちは、霧の残る村をあとにした。
夜は明けたばかり。だが、その光はまだ、すべてを照らしてはいなかった――。




