影に憑かれし村
夜が明けた。
村は、まるで何事もなかったかのように静まり返っていた。
ただし、その“静けさ”が、いっそう異様に感じられるのは、サティとルリが昨夜の戦いを知っているからだろう。
「“影”は……一体何だったのかしら」
サティは井戸の縁に腰を下ろし、朝の光の中で昨夜の記憶を反芻する。
倒したはずの影は、完全に霧散したわけではなかった。攻撃に反応し、一時的に姿を消したにすぎない。結界は破られたが、最深部までは侵入を許さなかった。それが幸いした。
「精神干渉、変化する外見、意思を持つ“気配”。それに、あの声……」
彼女の手元には、昨夜の戦闘後に残った“染み”がついた石片がある。影の痕跡が付着したそれは、通常の魔物とは明らかに異なる反応を見せていた。
「ルリ、あの老女に話を聞いてくれる? 影が現れた“最初の夜”について、何か覚えていないか」
「わかった。ちょっと待ってて」
ルリは家の方へ小走りで向かう。
サティはひとり、その場に残った。
(この村、“呪われてる”……?)
否。サティはすぐにその考えを否定する。これは呪いではない。呪いというのは、もっと個人的で、対象を定めた強い“意志”に由来するものだ。
これは、もっと根の深い“災厄”の気配だった。
(それも、パステコの南部にある……あの廃領の気配に、似てる)
かつて読んだ記録が脳裏をよぎる。百年前、パステコ公国のある領で、突如民が“消える”事件が相次ぎ、やがて村ごと封鎖された。結局、その土地は「呪われた地」とされ、地図からも除かれた。
その周辺地域に、現在のこの村がある。
「……この村、あの“事件”の延長にあるのかもしれない」
やがて、ルリが戻ってくる。
「話、聞けたよ。最初に“影”を見たのは、二週間前。最初は一人だけが“おかしな夢を見た”って言ってて、その後、三日おきに人が一人ずつ姿を消したって……」
「誰も、目撃者はいない?」
「みんな“夢で誘われた”って言ってる。たぶん……“現実と夢の境界が曖昧”になってるのかも」
「……精神汚染だわ」
サティはそう断定した。
「この影、人の夢に入り込んで“呼ぶ”の。そして意識の隙間を突いて、現実の体を引きずる」
「ってことは、夢に引きずられないためには……」
「精神を“固定”するしかない。もしくは、“影の核”を見つけて壊す」
ルリが息を呑んだ。
「でも、その核がこの村にある保証は……」
「あると思う」
サティは石片を見せる。
「この痕跡は、純粋な魔力反応じゃない。呪符の欠片のような“人為的な加工”がある。つまり、誰かがこの“影”をここに呼んだ」
「じゃあ、犯人がいるってこと……?」
サティは黙って立ち上がる。
「この村で、影が現れる直前に“外から来た者”はいなかったか――それを調べましょう」
彼女の中で、ピースが揃いつつあった。
この“影”は、偶然生まれた災厄ではない。誰かが仕掛けた、“意図ある呪術”だったのだ。
そしてその先にあるのは――
「パステコ公国。この“影”の本体は、きっとそこにある」
サティは決意を込めて言った。
ルリは、それを見て静かにうなずく。
「じゃあ、やることはひとつだね」
「ええ。影を狩り、真実を暴く」
風が吹いた。
この風の先に、遥かなる“公国”がある。
ふたりは、その先に待つ運命も知らず――けれど、臆することもなく、一歩を踏み出していく。




