風巫女の記憶①
石扉の向こうは、風の音が完全に消えた空間だった。
無音。無風。そして、気配だけが圧倒的に重い。
「空気が……澱んでる」
ルリが静かに呟いた。警戒の眼差しを向ける先、中央にぽっかりと空いた円形の祭壇。その上に、まるで人の形を模したかのような仮面と黒衣の影が、ぴたりと動かず佇んでいる。
だが、その存在は確かに「生きていた」。
「――来たのね、“継ぎ手”」
囁きは再び響く。だが、今度ははっきりとサティの意識に届いた。
(……私に話しかけている?)
「あなたは、風の巫女の意志を継ぐ者。ならば知っているはず……この封印が、どれほどの犠牲をもって成されたか……」
サティの脳裏に、一瞬の眩暈が走る。
視界が白く染まり、次の瞬間、彼女は――
***
――違う場所に立っていた。
祭壇の上、無数の祈祷師が涙を流し、手を取り合っている。神殿を襲う暴風。空が裂け、大地が悲鳴を上げている。
その中心に、ひとりの少女が立っていた。
白い衣、風の印を刻んだ額。そして、その手には、蒼く輝く封呪の印。
「私が囁きを封じます。だから、誰も傷つかないで……」
彼女はそう言って、風の中に身を投げた。
それが、風巫女――そして、この神殿の最初の犠牲者。
***
「――これは……記憶……?」
サティがはっと我に返ると、仮面の存在が近づいていた。静かに、しかし確かな意思を持って。
「もう封印は限界よ。外の世界は変わった。もう、私の存在は害ではないわ」
「けれど……」
「貴女がここまで来たということは、試練を超えたということ。ならば、選びなさい。“封印の継承”か、“解放と対話”か」
沈黙の神殿に、囁きが響く。
サティは一歩踏み出し、静かに問いかけた。
「あなたの“本当の名”は?」
仮面が微かに揺れる。
そして、囁きが名乗ったのは――
「――ラーナ=フェリア。風巫女の、最初の名よ」
次の瞬間、封印が微かに緩み、神殿全体が軋んだ。
何かが目覚める。
「サティ!」
ルリが声を上げ、戦闘態勢に入る。
しかしサティは、落ち着いた声で言った。
「ルリ。まだだ。これは“敵”じゃない」
「……でも!」
「この封印の中には、“何かを伝えようとする意思”がある。対話できるなら、私はそれに賭けたい」
風が――わずかに、動いた。
それは長い封印の中で、誰かが待ち続けた微かな希望の風。




