灰の深層、目覚めの門
地図にすら載らぬ山の尾根を、風がひゅうと鳴いて通り抜けた。
私たちは崖沿いの細い道を進みながら、遠くの山影に目をやる。大地の裂け目のようにぽっかりと空いた、ぽつんとした黒い影。それが目的地、《灰の深層》の入口だった。
「……あれが、遺跡の門?」
「ええ。外壁の崩れ方から見て、かなり古い時代のものですね。たぶん、メレディア文明以前……もっと前かも」
ルリが魔力測定用の板を見ながら答える。その声は冷静だったが、眉間にわずかな皺が寄っていた。
私の横を歩いていたフィーネが肩越しに言う。
「妙ね。森も草も、やけに“音がしない”。このあたり、魔物すら姿を見せないなんて」
たしかに、まるで音という音が吸い取られてしまったような感覚だった。
鳥の声も、虫の羽音も、風のざわめきすらない。代わりに聞こえるのは、自分たちの足音と、時折響く石のきしむ音だけ――。
「……この静けさ、嫌いじゃないけどね」
私はそう呟きながら、入口の前で立ち止まった。
目の前の岩壁に彫られた門は、高さおよそ五メートルほど。
その中央には、円形の魔法陣が刻まれていた。長い年月で摩耗していたが、ところどころに古代の文様が残っている。
私はそっと手をかざし、魔力を流す。
――ピクッ。
門がわずかに震え、魔法陣の一部が淡く光を帯びた。
「共鳴……?」
「……ちょっと待って」
ルリが一歩前に出て、私の隣で魔法陣を見つめる。
彼女の掌から、微かに青白い魔力が流れ込んだ瞬間――
カチッ。
「開いた……?」
魔法陣がゆっくりと回転し始める。
そして次の瞬間、石造りの門が音もなく左右に割れ、闇の中への通路が開かれた。
風が、吹き抜ける。
ありえない。
地下に向かって開かれたはずの通路から、“外から”風が流れ出てきた。
それも、ひどく冷たく、どこか湿っていて、まるで何かが長い間閉ざされていた扉の奥から、ようやく自由を得たかのような――。
「……この風、嫌な感じがするわ」
「ねえサティさん……」
ルリが私を見上げた。
その瞳に、わずかだが――恐怖が浮かんでいた。
彼女は普段、何が起きても冷静で、飄々としている。
そんな彼女が、私の袖をそっとつかむようにして言う。
「この奥……呼ばれてる気がする。私だけに」
「呼ばれてる……?」
「うまく言えないけど……ずっと夢で見てた場所。崩れた柱、石の道、冷たい空気。あの絵も……」
「絵?」
「ううん、気のせい。きっとただの偶然……だといいなって思ってる」
私は彼女の表情を見つめながら、確信に近い違和感を覚えていた。
(やっぱり……ルリ、あなたも何かを抱えてるのね)
だけど今は、その秘密を問いただすべきではないと、本能が告げていた。
「……いいわ。私が隣にいる。何があっても、あなたを置いていったりしない」
「……ありがとう」
門の先に、ゆっくりと足を踏み出す。
光の届かぬ地下へ。
記録に残らぬ文明の奥底へ。
そして、風の止んだ静寂の中へ――。
この瞬間、私たちはまだ知らなかった。
この遺跡での調査が、単なる任務ではなく、“過去と現在”を繋ぐ目覚めの物語になることを。




