再会と、新たなる風
ユーリシアと再会してから数日が過ぎた。
久しぶりに緊張感のない時間を過ごしているせいか、屋敷の空気はどこか穏やかで、時折風に揺れるカーテンの音さえ心地よく感じられる。
私は今、紅茶の香りを楽しみながら、読書をしていた。
一見、優雅な時間だが、心の奥にはひとつ、引っかかっていることがある。
「ハイド……連絡するって言ってたけど、まだなの?」
先週、王都で別れた時に彼はこう言っていた。
《近いうちに、話し合いの場を設ける》と。
あれから数日が経ったが、彼からの便りは一向にない。
……まあ、彼のことだから、何かと忙しいのだろう。
そう思いながら紅茶に口をつけたその時だった。
――ピコン。
膝の上に置いていた通信魔導具が、軽く震えながら光を放つ。
差出人は、ルメリア冒険者ギルドのギルマスからだった。
『やあ、久しぶり。今、大丈夫かい?』
「もちろん。どうしました?」
『新人の受付嬢を雇うことにしたから、念のため君にも知らせておこうと思ってね』
「連絡、ありがとうございます。最近顔を出せていませんでしたから……」
『近いうちに挨拶に来てくれると嬉しいよ。新人も緊張してるみたいだからさ』
「分かりました。今日は予定もありませんし、顔を出しますね」
通信を切ると、私は立ち上がり、ゆったりとした外套を羽織った。
たまにはギルドの空気を吸うのも悪くない。
***
ルメリア冒険者ギルド。
街の中心部に位置するその建物は、今日も冒険者たちの活気で賑わっていた。
受付前まで来ると、ギルマスが笑顔で手を振ってくる。
「サティさん、お待ちしてました」
「お忙しいところすみません。ご連絡、ありがとうございました」
「さあ、こちらです。新人を紹介しますね」
彼に案内され、私は受付カウンターの前に立つ。
そこには、まだあどけなさの残る少女が緊張した面持ちで立っていた。
「サティさん。この子が新しく入った受付嬢です」
少女は一歩前に出て、ぺこりと頭を下げる。
「はじめまして。ミルス・ロイヤーといいます。よろしくお願いいたします!」
「領主のサティです。こちらこそ、よろしくね」
明るく素直な声。けれどその目にはしっかりとした意志が宿っている。
まだ頼りなさはあるが、これからの成長が楽しみな子だ。
「サティは時々、受付嬢としてギルドの手伝いに来てくれてるんだ。君の先輩だから、いろいろ教えてもらうといい」
「はい! よろしくお願いします、サティ先輩!」
呼び慣れない“先輩”という響きに、私は少しだけ肩をすくめて微笑んだ。
「私もあまり頻繁には来られないけど、分からないことがあったらいつでも聞いてね」
「はいっ!」
そんなやり取りを終えると、ギルマスがちらりと私を見て言う。
「今日はこのまま受付に立っていくのかと思ってたんですが……」
「ごめんなさい。最近ちょっと立て込んでいて」
「なら仕方ないですね。また都合がいい時にお願いしますよ」
軽く頭を下げ、私はギルドを後にした。
ルメリアの風が、少しだけ変わっていく――そんな予感を残して。
***
ギルドを出て歩く帰り道。
夕刻のルメリアはいつも賑やかで、商人の呼び声や子どもたちの笑い声が通りに響いていた。
私はそんな光景の中を、ひとり静かに歩いていた。
(新人の子……ミルスちゃん、か)
あの子のまっすぐな眼差しが頭から離れない。
自己紹介の時の礼儀正しさも、返事の声も、少し緊張しながらも精一杯頑張ろうとする姿勢が伝わってきた。
(少し、自分を見ているようだったな)
私も昔は、右も左も分からないまま受付に立ち、書類に追われ、対応に失敗して落ち込んで……
そんな日々の中で、少しずつ“ギルドの顔”としての自分を作っていった。
(あの子にも、きっとすぐ分かる時が来る)
そう思った瞬間だった。
背後から、小走りに近づいてくる気配に気づく。
「サティ様っ!」
振り向くと、ルアが息を切らして走ってきた。
「どうしたの? 何かあった?」
「すみません、お屋敷に戻っていたらミーティアに急報が入りました。『王都からの急使が到着』とのことです!」
「……!」
その言葉に、私は一瞬だけ立ち止まる。
王都からの急使――つまり、ハイドからの連絡という可能性が高い。
「分かった、すぐ戻るわ」
私はルアと共に足早に屋敷へと戻った。
帰路を急ぐ私の中で、さっきまでの穏やかな気持ちはすっかり霞んでいた。
***
屋敷の応接室には、すでにひとりの騎士が待機していた。
ハイド直属の使いとして知られる青年、ライネルだ。
「久しぶりね、ライネル」
「サティ様。ご健勝で何よりです」
彼は膝をつき、丁寧に一礼したあと、懐から封筒を取り出した。
蝋封には、王家の紋章。
「陛下と総督殿の連名です。内容は極秘にて」
私は頷き、その場で封を切る。
中には短い手紙がひとつと、一枚の地図が同封されていた。
(……これは、地下遺跡?)
文面を追うにつれ、眉が自然とひそまっていく。
――王都近郊の古代遺跡で異常反応が検知された。
――魔力の波動が拡大しており、異界干渉の可能性あり。
――サティに調査を依頼する。
(……やっぱり、平穏は長く続かないみたいね)
「伝えてくれてありがとう、ライネル。準備が整い次第、現地に向かうわ」
「承知いたしました。陛下には、そのようにお伝えしておきます」
彼は礼を述べ、静かに部屋を去っていった。
私は深く息を吐いた。
(古代遺跡か……また厄介なものが動き出したわね)
自室に戻る途中、ふと思い出したのは、あの新人・ミルスの姿だった。
(あの子は、まだ何も知らない。ただ“受付嬢になった”ばかりの少女)
だがこのギルド、この世界には、知らなければならないことが山ほどある。
そして、彼女もまた――いずれその扉の前に立つのだろう。
私は窓を開けて夜風を受けた。
静かなルメリアの街を見下ろしながら、再び心を切り替える。
「さて……次の戦いの準備を始めましょうか」
空の彼方。
そこには、すでに“気配”があった。
この世界のどこかで、また新たな“異変”が始まろうとしている。
――それは、世界が変わる前兆。
私の静かな日常が、またひとつ、幕を閉じようとしていた。




