ユーリシアとの再会
王都の午後は、夏の陽が優しく石畳に差し込んでいた。
私は久しぶりに、あの屋敷を訪れる。
白と銀を基調とした壮麗な貴族の館。その門前に立っただけで、思い出が胸に去来する。かつてギルドで受付嬢をしていた頃、たびたび顔を出してくれたあの人の面影が浮かぶ。
「ご用件をお伺いします」
門番にそう問われ、私は一礼した。
「サティ・フライデーです。ユーリシア様にお会いしたくて来ました」
名を告げると、すぐに門が開いた。
「お待ちしておりました。どうぞ、お通りください」
通されたのは、かつてと変わらぬ応接間。柔らかな日差しとともに、白いレースのカーテンがふわりと揺れていた。
しばらくして、部屋の奥から聞き慣れた声がする。
「サティ……やっぱり来てくれたのね」
「ユーリシア」
立ち上がってこちらに歩み寄る姿は、以前と変わらず上品で凛とした美しさをまとっていた。けれどどこか、やわらかさが増しているようにも思えた。
「久しぶりです。お会いできて嬉しいです」
「ふふ、そんなに改まらないで。あなたとは、もう長い付き合いでしょう?」
ユーリシアは微笑みながら、私の手を取ってソファに腰を下ろした。
「ルメリアの領主としても、ギルドの受付嬢としても、きっと忙しい日々でしょう。でも……無理はしていない?」
「無理はしてる。けど、それが私の日常だから」
「らしいわね、あなたらしい」
彼女は微笑んだまま、どこか寂しげな目をした。
「あなたが遠くへ行ってしまったような気がして……心配だったの。でも、今こうして元気な顔を見られて、少し安心したわ」
「心配させてごめん。魔国から帰ってきて、ようやく落ち着いたところ」
「そう……魔王と会ったという話、本当なのね」
「ええ、本当よ。驚いた?」
「ええ、もちろん。でも……あなたなら、どこまで行っても不思議じゃないもの」
窓の向こうで、庭のバラが風に揺れていた。
私たちはしばし、昔話に花を咲かせた。ギルドでの些細な出来事、ユーリシアが冒険者として動いていた頃の話、そして、変わりゆく世界のこと。
「ねえ、サティ」
「なに?」
「もしこの先、また何かあったら……私も力にならせて。貴族としてではなく、あなたの“友人”として」
その言葉に、胸が少しだけ熱くなった。
「……ありがとう、ユーリシア」
この人は昔から変わらない。冷たく見える世界の中で、確かな温もりを持ち続けている。
きっとまた、困難な未来が来る。それでも私は、こんな人たちと繋がっていられるのだ。
それだけで、ほんの少しだけ、救われる気がした。
***
ひとしきり談笑を終えたころ、執事が静かに部屋の扉をノックした。
「ユーリシア様、お食事のご準備が整っております」
「あら、もうそんな時間? サティ、よかったら一緒にどう?」
「……いいの?」
「もちろんよ。こんな機会、滅多にないもの」
ユーリシアは柔らかく微笑み、私の手を取ると立ち上がった。
案内されたのは、館の中でも格式高いとされるダイニングルーム。大理石の床にシャンデリアが優しく灯り、長いテーブルには銀の食器と香り高い料理が美しく並べられていた。
前菜は彩り豊かな野菜のテリーヌに、香草の効いた白身魚のマリネ。
メインはローストされた仔牛に、ルメリア地方特産の赤ワインソースがかけられている。
「これは……すごい」
「料理長が張り切ってくれてね。あなたが来ると分かったとき、厨房の空気が変わったわ」
「それは……ちょっとプレッシャーね」
軽口を交わしながら、私はナイフを取る。見た目だけではない、素材も調理も一流だった。
そして何より、穏やかな時間が心地よい。
静かにグラスを重ね、私たちは昔話を続ける。
「魔国では……恐くなかった?」
「恐かったわよ。でも、それ以上に“知りたかった”の。魔族と人は本当に分かり合えないのかって」
「サティらしいわね……真っ直ぐで、怖いくらい」
「……怖い?」
「ええ。あなたが“まっすぐ突き進んでしまう”こと。それが、誰かを巻き込んでしまうかもしれないと考えると……怖くなるの。あなたを大切に思っている人は、きっと、皆そう思ってる」
そう言って、ユーリシアは少しだけうつむいた。
「……ありがとう」
「え?」
「そう言ってくれる人がいるのは、すごく嬉しい。だからこそ、ちゃんと考える。私ひとりで突っ走るのはもう終わり。これからは、支えてくれる人たちと一緒に道を選びたい」
グラスを掲げると、ユーリシアも静かに微笑んでそれに応じた。
「それなら、私もその一人になれるよう、がんばらないとね」
カチンと澄んだ音が鳴る。
この日の食事は、豪華な料理以上に、互いの心があたたまる晩餐だった。
食後には甘い葡萄のタルトと紅茶が振る舞われ、長い夜はやがてゆっくりと更けていった。
***
夕食を終え、甘いデザートとともに交わしたひとときも、そろそろお開きの時間となった。
私は椅子を静かに引いて立ち上がる。屋敷の窓の外には、王都の夜がしんしんと降りていた。
「そろそろ、帰るね。遅くまでお邪魔してしまって――」
「ううん、今日は本当に嬉しかった。……あなたと、こんな風にまた話せる日が来るなんて思ってなかったもの」
ユーリシアも立ち上がり、私の前に立つ。その手には、夕食の席では見せなかった、少しだけ揺れる感情があった。
「……ユーリシア?」
「サティ」
彼女は、ためらうように言葉を探し、それでも決意したように視線を合わせてきた。
「もし……この先、あなたが“どちら側に立つか”迷った時は。どんなに正しいことを選んでも、世界の半分がそれを否定しても……私は、あなたの味方よ」
「……え?」
「ふふ、ごめんなさいね。変なこと、言ったかしら」
「……いいえ。でも、それは──」
「そういう未来が来るかもしれないってだけ。私には“少しだけ”そういう勘があるのよ。嫌な予感っていうのかしら」
それは“貴族”の顔でも、“友人”の顔でもなく──
まるで“何かを知っている者”のような、静かな眼差し。
「サティ。あなたは強い。でも、強さは時に孤独を連れてくる。だからこそ、覚えておいて。あなたが誰にも頼れなくなった時……私がここにいるってことを」
「……ありがとう。忘れないわ、絶対に」
私は深く礼をし、最後にもう一度、ユーリシアの瞳を見つめた。
彼女はやさしく微笑み、何かを飲み込むように言葉をしまい込んだ。
扉が開かれ、夜の空気が頬を撫でる。
私が馬車に乗り込むと、屋敷の灯が静かに遠ざかっていった。
あの言葉の意味は、まだ分からない。
けれどきっと、近いうちに答えと向き合う時が来るのだろう。
私は空を仰ぎ、小さく息を吐いた。
(……さあ、戻らなくちゃ。私の日常へ)
馬車が静かに走り出す。
その夜、胸の奥に残ったのは――
王都の灯でも、優雅な晩餐でもなく、
たった一人の、友人の言葉だった。




