291話 シリュウサイド 沼地の戦い 前編
「アニキ、本当に実行するんですか…?」
「ああ。」
マボアの町から遠く離れた平地に、シリュウの姿が在った。その傍らには黒眼鏡を掛けた灰色髪の男がふわふわと浮いている。
彼らの目の前には大きな広場くらいの沼地が広がっており、この地特有の木々や植物が鬱蒼と生い茂っていた。
普段であれば毒ガエルや酸蛇などの魔物が潜む場所であるが、今は一切姿を見せず不気味なほどに静かであった。
「どの様なことになるか未知過ぎます。今からでも別の方法を考えましょう?」
「…。もう決めたことだ。色々と助かったが、お前はもう戻れ、ウカイ。」
ウカイは、独断でシリュウに付いてきている。
シリュウにはできない微細な魔力探知によって、勇者達とおぼしき集団を遠距離から捕捉するなどの手助けをしていた。
しかし、いざ戦闘となった時には足手まといになる為、同行を許可するのはここまでだ。
「アニキが面倒事を引き受けることないですって。このまましばらく隠遁するでも良いじゃないですか。」
「それはしないと言っただろうが。」
仮にシリュウがこの国を出た場合、それを無視して勇者一行がマボアの町に直行する可能性が僅かではあるが存在する。それは、何よりも避けたい事態だ。
魔王の娘ダブリラに、希有な〈呪怨〉を持つテイラ。あとは植物や猫の夢魔族達。あの町には相性が良くない者達が揃い過ぎている。
ダブリラは勇者達を洗脳なりで玩ぶだろうし、夢魔達は一方的に迫害されることが目に浮かぶ。
そして、テイラの場合、どう転ぶかが読めなさ過ぎて不安になる。
変に仲良くなって意気投合する光景も幻視えるし、はたまた逆鱗に触れて〈鉄血〉で皆殺しにする未来も有り得る。
どのみち、遭遇すれば厄介なことになることは間違いない。
おまけに「竜を殺せる魔法」を会得しているかもしれない【勇者】を、竜騎士の関係者が多い場所に近づけることがそもそも面倒事の種にしかならないのだ。
ならば元から狙われているであろう自分が囮の様な形で接触する方が、幾分マシと言うもの。
シリュウは、そう納得していた。
説得はできないと理解したウカイは、項垂れながら引き下がる。
「…、お気をつけて、アニキ。」ぺこりと頭下げ…
「ああ。」
ウカイが十分に離れたことを確認した後、シリュウは撃退作戦の準備に取り掛かった。
懐の魔法革袋から褐色の金属棒を取り出し、それを4つ、広大な沼地の四方に先端を埋めて設置。そして、沼地の淵に立ち、足下から大量の土属性魔力を地面に向けて流し込む。
棒には細く赤い魔鉄が文字の形に配置されており、魔法現象を制御する為の術式に成っていた。
それらが目映く光を帯び、シリュウの魔力を目的の現象へと正確に導いていく。
ズゴゴゴゴゴ…!!!!
金属棒で括った範囲の地面が、地響きを伴いながらゆっくりと競り上がっていった。
固体生成によって質量を増した沼地直下の岩石が、固体操作によって周囲の地面から押し出される仕組みである。
最終的に数メートルの高さに及ぶ、台形型の小山が出現していた。屋上に野性的な沼地を湛えた城砦、と言ったところだろうか。
これなら目立つ上に、特別な場所だと嫌でも分かるだろう。
小山の出来映えを確認しつつ金属棒を回収しにいくと、表面の赤い金属が剥がれ落ち術式が破損していることに気付いた。
本人の魔力回路と同質のものとは言え、擬似的なものでは莫大な魔力に耐えられなかった為だ。
しかし、問題はない。目的の環境はもう作れた。
それに、魔鉄を付け直せば再利用可能であるし、そもそも予備がまだまだ懐に入っている。
「…。便利なもんだ。」
普段であれば、硬質化させた地面をぶっ叩いて偶発的にしか地形操作できない自分が、多少歪とは言え、思い通りに変形させることができるとは。
感慨に浸りそうになりつつも、シリュウは撃退作戦に向けて意識を集中させていく。
──────────
数時間後、光属性の魔力を纏う存在が複数接近してきた。
こちらからの挑発にちゃんと乗ってきたらしい。
意識だけはそれらに向けつつ目を瞑ったままのシリュウは、頭上に掲げた巨大火球に魔力を注ぎ続けている。
小山の上に存在するミニ太陽は、沼地の水分を蒸発させながら、灯台の役目を果たしていた。
「導師…、『あれ』が…?」
「はい。間違いありません。彼の者こそ、冒険者『竜喰い』。夢魔族と通じている、邪悪な無法者です。」
「私達よりも、幼い…、少年に見えますが…。」
半信半疑と言った様子の青年と少女、そして、老獪な雰囲気のローブの男。
白と黄色を基調とした衣服や防具を身に付けるこの者達こそ、遠路はるばるやってきた【勇者】達であった。
「姿形に囚われてはいけません。あの尋常でない魔力放出を知覚すれば分かるはずです。あれはあの外見のまま数十年は生きている化生の類。
その昔、ドラゴンの生き血を啜って呪われでもしたのだと言われております。」
血はそんなに美味くはない、大して飲んだことはねぇよ。と第三者からすればズレたツッコミを頭の中で済まし、ひとまず無言無視を貫くシリュウ。
導師と呼ばれた老人はその様子を観察していたが、4人目の人物が焦れた様に甲高い声をあげる。
「奴です! 我ら栄えある騎士に魔法攻撃による奇襲を仕掛けてきたのはっ! さあ、勇者様達! 奴を懲らしめてくださいませ!」
「マヌ殿、少々落ち着かれよ。」
「至極冷静です!」怒声をあげる!
「…。(【煌光国】の人間じゃねぇな。あの言動…、回復異常女の仲間か…??)」
そこに居たのは、ローリカーナの部下であった女騎士。
この人物は、ローリカーナに見切りをつけ国外まで逃亡した挙げ句、歯向かう下級民に一泡吹かせ主人より褒賞でも賜ろうと画策し、勇者達をこの国に導いた者だった。
「…。あれは潰すか。」ボソリ…
「っ!?」ビクゥ!?
軽く視線を向けられただけで縮こまる雑魚騎士女。実に小物である。
騎士・貴族の決め事は良く知らないが、この行いが褒められる類のものではないことは明白だ。
道案内役が消えれば、勇者達が撤退する可能性も上がることであるし。少なくともマボアの町への手出しは難しくなるだろう。
(回復魔法の使い手が複数居ることを考えると、確実に命を奪うのも考慮しておくべきか。
いや、大怪我を回復させ続けて全員を疲弊させるのもアリか?)
最終的な裁定をシリュウが思案していると、【勇者】らしき青年が直接声を掛けてきた。
「貴様は、討伐対象【邪竜】『竜喰い』と見受けるっ! 相違無いか!」
「…。」
その無茶苦茶な物言いに返す言葉が出てこない。
討伐対象が討伐対象であることを認める訳が無いし、邪悪な存在を「竜」で括る考え方も理解できんし、「竜喰い」たる自分を「竜」と呼ぶのはややこしくて仕方ないだろうに。
「どこの誰かは知らんが、邪魔するな。」
「私は、【勇者】ペネロ! この地の平穏を取りもどす為──!」
「今、俺は。
この沼地を『畑』に改良する実験中だ。『観光』なら他を当たれ。」声に軽く魔力を乗せる…!
これぞ、テイラが提案した勇者撃退作戦その1。
「仕事中なんで邪魔しないでくれますかね?」作戦、である。
要するに、シリュウを真面目な仕事人に見立て、勇者達をその邪魔をする悪者として非難するプランだ。
「なっ! 遊びではない! 辺境の地を邪悪なるもの達より救済する為、やってきたのだ!」
「これはここの領主から頼まれてやっている任務だ。それを邪魔するなら、お前らこそが悪党だろうが。」
「な…、にっ!?」
「…、そんな尋常ではない魔力を垂れ流しておいて、単なるお使いだと主張するのかね? 矛盾が酷くないかな?」
「火球で沼の水分を消し飛ばすんだ。干上がれば、それなりに良い土が大量に手に入る。理に適ってるだろう。」
「…、ふむぅ…。」
「ただ環境を破壊しているだけだろう!」
物理的にも精神的にも高い所からの物言いに、食ってかかる青年。彼とは対照的に、老人は事をどう運ぶか冷静に思案していた。
領主からの依頼と言うのは本当か。この周囲の地形変化にどれほどの意味が有るのか。
【邪竜】を討伐ないし撃退できた際に手に入る莫大な名誉と、完全に命を落とす危険性。
その傍らの白服の少女は、ただ静かに事態を見守っていた。
「その不遜な態度! おかしな魔力! 黒髪に黒き瞳! 貴様こそが、間違いなく邪悪の象徴だろうっ!」
「…。」
青年の放った言葉に、軽くイラつくシリュウ。
なので、こちらも事実を言い返す。
「お前こそ。
国から追い出され、夢魔の女王と戦うことすら認められず彷徨い歩き、
挙げ句に食い物をねだりに来た『強盗』の類だろ?」
「──!!」シャキン…!
青年が腰の剣を引き抜く。
青みを帯びた剣身は美しく、内包する魔力密度が高い。恐らくは聖剣。
まあ、正真正銘の【聖剣】がこんな所で運用されるはずが無いので、模造品か何かだろうが。
青年に合わせ他の2人も戦闘体勢をとった。
女騎士は後方へと逃げだしはじめる。
(結局戦闘か。事実を指摘したくらいで剣を抜くとは。
堪え性の無い子供だ。)
シリュウはその光景をどこか他人事の様に見下ろつつも、巨大火球を維持し続ける。
自分は任務を忠実に遂行する仕事人であることを、勇者達に身を以て理解させるとしよう。
次回は30日予定です。
久々にまともな戦闘描写の予感…?




