269話 牧場の救済と専門家
コトコトコトコト…
ぽよ~ふりふり~…
「…はあ…。」物憂げ吐息…
深い溜め息が出た。
真っ暗な草原に灯る篝火の側で、赤熱魔鉄に温められる「水」をぼんやりと眺める。
溜め息の理由は、頭の上に乗っている巻き貝スライムが重いのもあるが。
呪いの鉄粉末が混入された水を、一般の方々に無理やり飲ませなくてならない状況に対する拒否感が主である。
まあ、アクアがちょっとばかし工夫してくれるおかげで、忌避感はそこそこ減りはしたが。
今、目の前でコトコト加熱されている水は、私の鉄球を事前に取り込んだアクアが魔法生成した物だ。
拳より小さな鉄球から鉄分を上手く水に溶け込ましているそうで、見た目はただの透明な液体。黒い粒が浮いてることもないし、味も鉄苦い感じはしない。
試しに飲んだシリュウさんも「…。まあ、良いだろう。」と言っていたので、魔王の呪いとやらにも一定の効果が期待できるはずの代物である。
それでも、赤ちゃんや子ども、ご年配の方に健康被害が出ないかは未知数。どうにも気が進まない。まあ、現状、鉄水が1番穏便な処置だと言うのも理解はできるのだが…。
「大丈夫、かなぁ…。」
明るい灯りの下に集まって身を寄せ合う人達を、横目に見る。
「まあ、やるしかないか。」
──────────
「すみません、皆さん。これが、先ほど伝えた水です。
1人、コップ1杯分は飲む様にしてください。」
人見知りなアクアを巻き貝に戻した私は、ウルリやミハさんに手伝ってもらって、熱が伝わづらい工夫をした鉄コップで鉄白湯を配っていく。
牧場の方々は、応援の騎士達が設置した夜営テントの側で不安そうにしている。
魔鉄ストーブ3基や山羊魔物の毛布を追加で貸し出してはいるので、晩秋の夜の寒さは防げてはいるはず。魔獣鉄製のベンチや椅子も用意してあるし、騎士達が魔導具の灯りも点けてくれているので、極力、辛い思いはさせていない…と思いたいところ。
話せる範囲で解説はしたおかげか皆さん一定の納得はしてもらえた様で、全員が鉄水を飲んでくれた。
ミールさんはもちろん、こっちに来てから井戸水を飲んだエギィさん達冒険者組も漏れなく摂取している。ウルリなんか、真っ先にコップを握りしめて一気飲みしてたし。
聞こえてくる声は「うまい…!」とか「魔力、すご…。」って程度で、苦情の類は無いみたい。ルータ少年なんかも反抗せずに、祖父さんの隣で飲んでくれている。
ひとまず、任務完了かな。
飲んだ人が急変しないかウルリに観察してもらっておいて、私はシリュウさんのところに戻るか。
「──なあ。頼みがある。」
「へ? あ、はい、何でしょう。(えーと、)…ポートさん?」
声をかけてきたのは、この牧場の責任者ポートさん。ビガーさんの旦那さんである。ルータ少年の父親らしい赤茶髪の、がっしりした男性だ。
「この水、スライム達の分も分けてくれねぇだろうか?」
「スライム達に、ですか…?」
「ポート? 何を言いだすの?」
怪訝な顔をしたビガーさんが会話に加わった。
「…、もう、牧場は終わりだ。潰すしかないだろう…。だったら、せめて、今居るスライムどもをなんとかしてやりてぇ。
このまま牧場ごと焼き殺すくらいなら。この魔法水を飲ませてやれば、連れ出せるくらいはできるんじゃないか、ってな。」
「…、確かに…。出荷できないなら、この水の魔力を覚えちゃっても良いか…。」
スライム達か…。
処遇が難しいな…。
異常行動してたくらいだから、呪いの影響を受けていたことも考えられる。シリュウさんに確認してもらうにしても、その場で攻撃するかもだし、仮に無事でも超絶魔力なんかの影響を受けてしまえば出荷基準を満たさない。なんてことも──。
「悪いなビガー。勝手に決めて。」
「ううん。お義父さんは?」
「俺に任せるってよ。1匹でもまともなのが残れば、可能性は有るんだがな…。」
「こればっかりは仕方ないよ…。
テイラさん、無理なら無理って言ってね? この水、もの凄い魔力を籠めてあるし、貴重だろうから。」
「えーと…、水は全然用意できるんですが…。
シリュウさん──上の人に確認してきます。」
勝手に飲ませるのは、まあ現場判断だけでも、大丈夫な気もするけど。今、牧場内に断りもなく入るのはよろしくないだろう。
聞いてからにしよう。
──────────
鉄拠点では、シリュウさんとフーガノン様がカミュさんを交えて相談中だった。
話が一区切りつくまで、待機して──え?増量しろ? はい、了解です…。
シリュウさんから「追い鉄分」のオーダー、入りました~…。喜んで~…。ただいまトッピング無料となってま~す…。
「──最低女は〈変貌〉、〈略奪〉、そして、奪いとった〈汚染〉、3系統の複合呪怨だ。
他人を羨み、能力や技能を奪い、自己を強化する…。性質の悪さは『女王』の折り紙付きだ…。」ごくっごくっ…
「キャーイキャイ。」緑色に光る…
「夢魔の女王が認めた、最新の魔王…。よもや、直接、目にすることになるとは。」
「ここに居るとしたら、眷属か何かだろうが、な。
奴自体は、ホーンヌーンから出れない。『女王の結界』に閉じ込められてるからな。
──女王の奴が、死んだんなら話は別だろうが…。」ごく…ごく…
「それは、世界を揺るがしかねない大転換期の到来ですね…。」
『こちらにはその様な情報は入ってきておりません。
ベフタス様もその可能性は除外して良いだろうと、おっしゃっています。』
「まあ、そうだろうな。あいつが死ぬところは想像できん。」
「では、魔王の眷属が何処ぞから呪いを及ぼしている。そう言う方向で探索を進めるとしましょう。」
「そうだな。
で? どうかしたか、テイラ?」
「はい。質問と言うか相談が有りまして。」
「『水』を拒否した方が出ましたか?」
「あ、いえ、それは全員、飲まれました。
その水なんですけど。牧場の、スライム達にも飲ませたいと言う意見が出まして──。」
(事情解説中…)
「牧場の人間達がほとんど〈汚染〉されていたことを考えると、スライムも駄目だろう…。焼却処分するのが早いとは思うが…。」
「でも、あのスライム達、結構前から水も餌も食べずに過ごしていたらしいので、呪いの食べ物の影響を受けてない気もするんですが…。」
「不確実だろ…。」
「やっぱり危険ですかね…。」
「処分したとしても、補填は致します。近隣から同種のスライムを分けて貰うことで、再建は可能かと考えます。それでは如何でしょう?」
「ああ~…、なるほど。牧場の経営的にはそれで何とかなるかもですね。」
今居るスライム達は犠牲になってもらうしかないかなぁ…。日本でだって、飼育施設内で伝染病が見つかれば全家畜を処分する訳だし、安全第一だよね…。
「そりゃ、俺だって、無意味な殺生はしたくはないが…。」
「ああ、いえ、ごめんなさい。シリュウさん達を責めるつもりは無いです。
牧場の人達に伝えてきますね。」
「──テイラ殿、お待ちを。
今、町に居る『専門家』が、マボアに存在するスライム達を確認してまわっております。
確認が終わり次第、その方がこちらに合流して周辺の探索に加わってもらうのですが、牧場のスライムも一緒に見てもらうと言うのは如何でしょう?」
「専門家、ですか…? 依頼しても大丈夫なんですか?」
「ええ。構いませんよ。先方も快諾されるでしょうし。」
「…。」
「分かりました。その方向で話してきます。」
──────────
空が白みはじめた頃、町の方角から1台の馬車がやってきた。
仮眠をとって寝ぼけてる目には詳細なことは見えないが、馬車を牽いてる何かが鮮やかな赤と緑色してることは分かる。
あれは2頭の山羊魔物、つまりは顧問さんの空間収納な箱馬車だ。
どうやら専門家さんが、あれに乗っているらしい。
私達の側で停まった馬車の側面に傾斜台が置かれ、扉が開き人が出てきた。のっそりと降りてきたのは──棍棒を背負った高身長アマゾネス、ダリアさんだ。
なーんだ、専門家ってダリアさんかぁ。学者みたいな人だと勝手に想像してたよ。
ダリアさんが固い顔で無言のまま、後ろを振り返る。まだ人が降りてくるらしい。
そこには、1台の車椅子が──
「「「「ママ!?」」」」
「皆さん、おはようございますぅ~。」ぺこり…
鉄車椅子に座ったまま、気品を感じる所作で頭を下げる女性。お店の女主人、紅蕾さんだった。
次回は18日予定です。




