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キャンプ地にて

 キビアルが設けたキャンプ地へ到着する頃には、すっかり夜になっていた。早速、キビアルが囲炉裏の火を起こして、キルデたちに暖をとってもらう。

 吊るしてあったトナカイの干し肉を手にして、少し申し訳なさそうな顔になるキビアルだ。

「まだ干し上がっていませんね……囲炉裏の火で炙って食べてくださいな」

 それでも、久しぶりのマトモな食事だったようで好評な干し肉もどきだった。


 食後は、周辺のモミの木の枝を切ってキャンプの拡張を行う事になった。元々はキビアル一人用のキャンプサイズだったので、10人用にする必要がある。

 さすがに10人もいるので、作業は迅速に終わったが。


 その後は、シラカバと針葉樹が交じる林の中に差してくる月明かりの中で、のんびりと寛ぐキビアルとキルデたちであった。疲れているので、ぐっすりと寝ている人が多い。

 今はキルデが交代で起きて夜間の警戒をしていた。キビアルも周辺を巡回してきて戻ってくる。

「あ。今はキルデさんが警戒担当ですか。ヒグマの痕跡はないので、安心してくださいな」


 キルデが大あくびをしながら微笑んだ。獣脂ロウソクがないので、実に暗い。

「それは朗報ですね。今年は変な事がよく起きるようで、避難する道中でネズミの大群に襲われたんですよ。パニックに陥ってしまいまして、何人かが脱落してしまいました」

 そう話しながら、森の中を聞き耳を立てて警戒するキルデである。

「ここは森の中なので、心配は不要かと思いますが……警戒するに越した事はありません」


 キョトンとした表情で聞いていたキビアルが、質問してみた。

「ネズミですか……この辺りとなるとハタネズミかな。凶暴ではありませんよ。俺たち黒森の民が罠猟でよくとっています。肉はあまり美味しくないのですが、獣脂がロウソクなどに使えて便利ですね」


 キルデも深くうなずいている。

「高原でもネズミは凶暴ではないのですが……発狂状態で襲ってきました。特に異様だったのは鳴き声ですね。風鳴りのような禍々しい音でした。キビアルさんも気をつけてください」

 まだ理解できていない様子のキビアルだったが、覚えておく事にしたようだ。

「分かりました。そのような音を聞いたら警戒しますね」


 キルデが話題を変えた。ネズミの話には良い思い出がないらしい。吊るしてある干し肉に視線を向けて、笑顔を浮かべた。

「予想以上に干し肉をつくっていたので驚きました。これだけの量、君一人では運べないでしょう」

 指摘を受けたキビアルが若ハゲ頭をペチペチ叩く。

「ははは……ですよねー。この先は俺も知らない土地なんですよ。知らない部族に出会う可能性がありますから、手土産を用意しておこうかな……と考えてまして」

 キルデが愉快そうに笑う。

「なるほど。予想が的中した……という事ですね。本当に助かりました」


 キビアルが少し考えてから、キルデに提案した。

「俺は明日、北へ向かいます。この干し肉もどきですが、全量をキルデさんに渡しますよ」

 キルデが少し驚いた表情になる。

「それは豪気ですね。私としては望外の喜びです。何か私にできる事はありますか?」


 キビアルが遠慮気味にうなずく。

「では、石数えのコツを教えてくださいな。この先の旅で役立ちそうな気がします」

 ニッコリと微笑んで了解するキルデだ。

「そんな事でしたら、喜んで」



 石数えの方法は以下のようなものだった。

 物見が調査先で起きた出来事や情報を記憶するためのツールとして、その場所にあった小石を拾っていく。その小石を記憶想起のスイッチとして使う。

 小石は長期保存に適しているのでよく使われるのだが、短期的に有効な情報の場合は小枝や草の実などを代わりに使用する事もある。季節移動する渡り鳥や、特定の時期に成る果実や薬草のような場合が相当する。この場合、小枝や草の実は、その時限定の使い捨て情報として扱われる。


 このようにして物見が収集した小石などを物見が泊へ持ち帰り、石数えに渡す。その際に、石数えに記憶していた情報を全て伝える。

 石数えは、その情報を記憶する。その記憶は物見が持ってきた小石などに紐づける。物見の仕事はそこでいったん終了だ。


 石数えは、集まった情報を整理しつつ狩りや採集の計画を立てる。マンモス狩りには多くの人員が必要になるため、他の日常の作業に支障が出るためだ。バイトのシフト調整に似ている。


 このような話をキルデがしてから、キビアルに告げた。

「キビアル君の場合は、一人で情報を集めて一人で整理する事になります。マンモス狩りのような大人数が関わる情報は不要でしょう」

 確かにその通りだ。

「キャンプ地の位置情報、洪水地のような危険情報、一人で採集できる草木の実の位置情報と量の目安、凍らない泉の位置情報、ネズミや海鳥の巣の位置情報……といった石を集める事が良いと思いますよ」


 この他に、それぞれの位置と位置との間の距離も石にして記憶しておくと便利だそうだ。この時代ではメートル法などはないので、単純に「歩いて何日かかるか」という大雑把なものになるが。

「記憶というのは、石のような切っ掛けがあると覚えやすいんですよ。それに記憶間違いも減らす事ができます」

 キビアルがキルデの指摘を聞いて、深く感心している。

「なるほどー。こうやって記憶の紐づけに小石を使うんですね。やってみます」


 キルデの場合は、さらに記憶情報の選別も行っているという話だった。

「今回のような「氷の暴風」の情報は重要ではありますが、毎年起こるわけではありません。そんな場合は、木の枝や骨に刻んでおきます。この刻みで記憶を紐づけするという形ですね。普段は忘れていますよ」

 関連情報も同時に紐づけするので、いわば「記憶情報の編集」という事になる。


 キビアルが若ハゲ頭をペチペチ叩きながら、小さく呻いた。

「むむむ……そういう技は俺には難しいかなあ。小石を見ても忘れてしまって、紐づけた情報を思い出せない……なんて事も起きそうですし」

 気楽な表情で微笑むキルデだ。

「それは私もよく経験しますよ。忘れてしまった事は諦めましょう。情報というのは、実に儚いものなんですよ」


 ともあれ、キルデが基本的な石数えの方法をキビアルに教えたのであった。最後に、キルデが「語り部」について話してくれた。

「重要な情報については、石ではなくて歌にします。その歌を覚えるのが語り部と呼ばれる人ですね。私は歌が下手ですので多くは知らないのですが、そうですね……キビアル君たち黒森の民について伝わっている歌を一つ紹介しましょうか」


 確かに下手くそな歌だったのだが……内容はこのようなものだった。

 ユーラシア大陸東部は大昔には誰も住んでいなかった。最初にやって来たのはインド方面から来た「南の民」だった。彼らは東南アジアへ移住して、海岸沿いに北上して泊を増やしていく。そして、日本の本州まで北上した。

 キビアルがいる時代よりも2000年ほど前に、「南の民」が中国に上陸した。中国は東南アジアや本州と違う気候だったので、新たな民族になった。これが「黒森の民」となる。


 キルデが下手くそな歌で、そんな内容をキビアルに伝えていく。

「そんな訳で、君たちは誕生して2000年くらいの新しい民族なんですよ。そして、私たち「高原の民」が住む地域まで北上してきた……という事ですね」


 ちなみに「高原の民」は「南の民」とは親戚関係ではない。全く別の民族だ。インド方面からも移動してきていない。ロシアのバイカル湖の南岸が彼らの拠点らしい。

 高原の民はマンモスを追いかけてきた民族なので、暖かい地域には行かないのだろう。


 しかし防寒衣服の限界で、この時代では高原の民は北緯60度より南に住んでいる。これよりも北では越冬できないらしい。

 そのため「夏だけの草原」や「黄昏の大地」には定住していない。夏の間だけだ。


 キルデが少し考えてから、キビアルに話しかけた。

「もしもキビアル君たち黒森の民がここまで北上して定住するようになれば……再び新たな民族が生まれるかも知れませんね。気候が違いますから」

 キビアルも少し考えてから答える。

「確かに「溢れ水の泊」とは、木の種類が違いますね。獲物の種類も違ってくるかも。新しい民族ですか……壮大な話になりますね」


 キルデが明るく微笑んだ。

「そのような新しい民が誕生するのは、ずっと先になりますよ。私やキビアル君が生きている間には、起きませんから安心してくださいな」

 この「黒森の民」の北東シベリアへの北上が本格化するのは、これよりも1000年後になる。同時に北東シベリアの地で「黒森の民」から「トナカイの民」が誕生する事になるのだが……それはまた別の話。


 なお、「南の民」「黒森の民」「高原の民」そして将来の「トナカイの民」は全て、顔が平たくて一重まぶたのモンゴロイドではない。彼らの祖先だ。アメリカ先住民もまだ誕生していない。今の日本人や中国人の顔立ちでもなく、東南アジアの先住民に似ている。



 続いて、キルデからこの先の土地の情報を教えてもらった。

「私もそれほど石を持っている訳ではないのです……あくまでも参考として受け取ってくださいね」

 キルデがそう断ってから、袋の中から小石を取り出して地面に並べた。地域ごとに袋を分けているそうだ。


 その石によるとオホーツク海沿岸で越冬できるのは、ここから歩いて十数日までの範囲という事だった。一つの石を摘まんだキルデが補足説明する。

「ここから北の沿岸に丘がいくつかあります。そこに高原の民が設けた泊が数ヶ所ほどあるはずです。今は無人ですが、越冬できるのはこの泊にある室だけでしょう。これよりも北では越冬は不可能です。凍死しますよ」

 もちろん、これは今のキビアルの服装を勘案しての提案だ。キルデたちであれば、もっと北の泊でも越冬できる。


 キビアルが素直に了解した。

「分かりました。北上中に寒波が来たら、この泊まで南下して避難する事にします。それで、半島の南の端でも越冬は可能ですか? その先の「黄昏の大地」へ行ってみようかと考えています」


 キルデが別の石を摘まんでうなずいた。

「半島の南端に泊があります。かなり暖かいそうですよ。キビアル君でも越冬可能でしょう。ただ、火山と地震が多いので噴火には注意してください」

 そう言ってから、別の小石を摘まんだ。

「……あ。もう一つ。この半島は津波も起こりやすいですね。海岸沿いはなるべく歩かない方が良いでしょう」

 津波の高さは15メートル以下という事だったので、参考にするキビアルであった。

「さすがですね、キルデさん。凄い情報ばかりです」


 半島はカムチャッカ半島の事だ。現状のキビアルの行程予定は、以下のようになる。

 少しの間、山腹沿いに北上し、洪水地を抜けたらオホーツク海岸沿いの低地に下りてさらに北上する。高原の民の泊があるので、そこへ行って太陽の高さを記憶する。

 その後、カムチャッカ半島の南端へ向けて南下して越冬する……というものだ。もしかすると南端の泊には高原の民が避難しているかも知れない。

 越冬後、カムチャッカ半島の東岸を北上して黄昏の大地へ入る……という予定だ。ここは高原の民が定住していないため、薄片を捨てるには都合が良い。


 キビアルが黄昏の大地に興味を示しているのを察したキルデが、石を摘まみながら忠告した。

「石によるとですね、黄昏の大地ですが内陸へは絶対に入らないでください。基本は南の海岸沿いを歩く……という事に徹してくださいね。太陽の高さを常に確認する事も忘れないように」

 そう言ってから、穏やかに微笑んだ。

「キビアル君が今後の旅で入手した記憶や石は、私たち高原の民にとっても有益な情報になります。黄昏の大地で凍死してしまっては、台無しになりますからね。必ず生還してください」


 キビアルが照れながら、一応聞いてみた。

「北の大地にはヒグマは多いんでしょうか? 一人旅ですので、ヒグマと遭遇すると大変なんですよ」

 キルデが別の袋の中から石を摘まみ上げて、その数を数える。

「そうですね……ヒグマは当然ながら多いですね。黄昏の大地では、別の種類の大熊がいるそうです。これも凶暴ですね。川沿いに多く棲んでいますので、渡河する際には注意した方が良いでしょう」



 そう答えてから、キルデが別の皮袋を取り出した。封を開けてから、専用の手袋をつけて中から草団子をいくつか取り出す。高原の民は黒森の民よりも裁縫技術が優れているため、こうした手袋を使っている。

 キルデがさらに野草の葉も取り出して、キビアルに見せた。

「トリカブトです。猛烈な毒草なので、決して素手では触らないでくださいね。死にますよ」


 トリカブトの草それ自体はキビアルも知っている。溢れ水の泊や、黒曜石を採掘した北海道にも自生している。しかし、これはサイズが小型で白っぽい。

 草団子はこのトリカブトの葉や根をすり潰して、ホッキョクジリスの脂で練って団子にしたものだった。


 キルデが簡単に作り方をキビアルに教えてから、袋に戻し、その袋ごとキビアルに手渡した。

「使ってください。トリカブトは北に生えている種類ほど毒性が強くなる傾向があります。この団子を打根や石斧に擦りつけておけば、狩りの際に役立ちますよ。私たち高原の民は、コレを使ってマンモスを狩っています」


 少々おっかなびっくりの仕草ながらも、感謝して受け取るキビアルであった。

「ありがとうございます。ヒグマ対策で使えそうですね。この辺りではハタネズミが多いので、その獣脂を使ってみます。多くの情報と貴重な学びに感謝します」


地図情報の更新ですね。沿海州の北に夏だけの草原が広がり、カムチャッカ半島の東側に黄昏の大地があります。


挿絵(By みてみん)


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