鉱脈地にて
黒曜石の鉱脈地は北海道のあちこちにある。本州にも長野県などに鉱脈地があるのだが、キビアルたちがやって来た場所では黒地に赤いまだら模様の黒曜石がとれる。
キャンプ設営と囲炉裏の作成はすぐに終わり、キビアルとピリャリュたちが崩壊地へ向かった。雪をかきわけて、黒曜石を探していく。すぐに見つけたようだ。各々が黒曜石を抱えてキャンプ地に戻ってきた。
しかしながらキビアルたちは今回、赤いまだら模様の黒曜石を見つける事はできなかった。普通の真っ黒い黒曜石の母石である。
それでも満足そうにホクホク顔で笑っているピリャリュたちに、キビアルもご機嫌だ。
「喜んでくれて俺も嬉しいですよ。まだ日が暮れるまで時間がありますし、早速、加工しましょうか」
実はもう夕方になっているのだが、食糧は充分にある。水も不自由しない場所だ。
キビアルは黒曜石の母石を剥離して、石刃をつくるようだ。石刃は用途に応じて必要な大きさや厚さが変わる。
最初に母石をよく見て、石の筋を見極める。この筋に沿って剥離していく。
(うーん……この筋に沿って剥がすと良いかな)
丈夫な木の枝を押し当てて、石ハンマーで叩く。その衝撃で<パカッ>と呆気なく薄片ができた。それを手にして少し思案する。
(この大きさだと石斧向けかな)
加工の方針が決まったら、後はひたすら石で叩いて整形していく。体重をかけて押し剥がす事もする。最終的には、縦半分に切ったレモン型に仕上がった。厚みはかなり薄く、底面は平たい。
すっかり夜になってしまったが、囲炉裏の灯りで何とか完成できたようだ。ほっと一息つくキビアル。
「ふう……とりあえずは、こんな感じかな。後で調整すればいいか」
キャンプは崖に倒木を多数立てかけて、枯草や枝を被せただけの簡単な構造だ。しかし眠るには支障ない様子である。普通にピリャリュたちが疲れて寝ている。南の民の特徴なのか、全員の髪がクシャクシャだ。
そんな彼らの寝顔を見てから、キビアルも横になった。
(やっぱり、この島は少し暖かいよね。南だからかな)
ここには永久凍土層がないので、まあ当然の感想だろう。
翌朝は雪だったが、加工作業には支障ない程度だった。キビアルは念のためにキャンプ地の周囲を歩いて、ヒグマの足跡があるかどうかを確認しているが。なかったようで、気楽な表情でキャンプ地へ戻ってきた。
「それじゃあ、今日中にできるだけ多く作りましょう」
ピリャリュが少し苦笑しながら、キビアルに干し魚を投げ渡した。
「ヒグマに神経質になり過ぎじゃないか? そんなに凶暴なのか? ここの連中って」
早速、干し魚を口に入れて目を細めたキビアルが、素直にうなずく。
「そうなんですよ。この島にはマンモスやトナカイが少ないから、飢えてイライラしているのかも知れませんね」
キビアルは周囲を警戒する際に、石斧用の枝を切り取ってきていた。「し」の字型で、曲がった部分に昨日の夜つくった石刃をはめ込むように加工する。石斧の柄だ。
その曲がった部分に、持参した石器を使ってVの字型の窪みを彫っていく。この中に石刃をはめ込む事になる。
窪みは2つ作ってあり、互いに90度の角度で直交している。斧の使用用途に応じて石刃の向きを変えると便利だからだ。穴を掘る際には鍬のように水平刃で使い、獲物の脚を切る際には鎌のように垂直刃で使う。
ただ、マンモス猟のようにフルパワーで石斧を使う場合には、これでは不安がある。その際には石刃が衝撃で柄から吹き飛ばないように、木製のフタを被せる。フタには刻みを入れてあり、木の柄と噛み合わせる事で強度を上げている。
木の柄頭に穴を彫って、その中に石刃を挿入する方法もあるのだが、その場合どうしても石刃がグラグラと動いてしまいがちになる。柄部分との接合面積が小さいためだ。
最後に皮紐でグルグル巻きにして縛りつけて、石刃を固定して使用する。今回キビアルはこの石斧用の石刃を4個つくるつもりのようである。
近接用の武器は石斧で充分なのだが、遠距離用の武器も必要だ。この時代は打根と呼ばれる投擲して使う武器が使われている。
原理は、ホッケーと同じだ。柄の長い投擲器の先に、ボールの代わりに石刃を装着したナイフを装填する。これを目標へ目がけて振って投げる。射程は15メートル程度だが、威力はかなりある。
弓矢が発明されると、この打根は使われなくなった。ナイフは矢よりも重くかさばるので仕方がない。射程も弓の方が長い。
打根用の石刃は、斧よりも小さい。これも縦半分切りレモン型に整形する。ナイフの柄は木製が多くて長さは20センチ以下だ。この先端にVの字型の窪みを刻む。石斧の柄と違い、柄と並行に石刃をつけるので見た目はまさにナイフである。
これは10本つくる予定のキビアルだ。
こういった内容の作業をするのだが……黒曜石の母石を叩いて剥離するので、往々にして失敗する。小さすぎる薄片が結構できてしまうのだ。遥か後世になれば、とある天才によって使い道が発明されるのだが、この時代ではゴミである。
小片は裁縫や散髪、爪切り用に使えたりする。しかしそれも小さすぎると無理だ。結局キビアルは、キャンプ地の周囲の木の枝に埋め込んだ。
(宿泊地の目印にはなるかな……)
翌日も石刃づくりが続いたのだったが、突如それは強制終了となった。ヒグマが襲来したのだ。
川下から一頭のオスヒグマがゆっくりとやって来るのを一目見て、作業の手を止めて小さくため息をつくキビアルである。
「やれやれ……朝の見回りでは足跡なんか無かったんだけどなあ。ヒグマの方が賢かったか」
今は厳冬期なので熊も単独行動をしている。冬眠をする熊の方が多いのだが、中にはこうして出歩く熊もいたりするのだ。
早速、武装して迎撃態勢に移行するキビアルとピリャリュたちであった。といっても石斧と打根しか武器がないが。
ヒグマを刺激しないように無言で音を立てずに、投擲器に打根を装填する。手持ちの打根も足元に並べていく。そして石斧もあるだけ用意して、これも足元に並べた。
しかし、石刃の製作をしている最中だったので、用意できた打根や石斧は少ない。一人当たり打根が2、3本。石斧は1本ていどだった。
キビアルが急いで袋の中を探って、袋の底から薄片を取り出す。それを石斧に皮紐で縛りつけた。「し」の字型の柄なので、石刃を追加して装着する事ができる。
(使わずに済めば良いけど、ここらのヒグマは凶暴だからなあ……)
そして、ヒグマとの距離が15メートルになった瞬間――
無言でキビアルたちが打根を一斉投射した。見事に全弾ヒグマに命中する。頭にも突き刺さったが、予想通りひるまない。それどころか野太い咆哮を上げてオスのヒグマが、体に突き刺さった数本の打根を払い落とす。寒いので皮下脂肪が分厚いため、攻撃がダメージになかなかつながらない。
そして突撃を開始した。雪の中なのだが、時速60キロの突進速度だ。
しかしキビアルとピリャリュたちは冷静に投射を続けていく。あっという間に手持ちの打根が尽きたが、迷いなく石斧を投射して攻撃を続行する。石斧は質量が段違いなので、ヒグマに命中すると<ドスン!>という鈍い音がしている。
さすが狩猟民族だけあって、打根と石斧は全てヒグマに命中した。ハリネズミ状態というか「弁慶の立ち往生」のような姿になっている。
しかし立ち止まっていたヒグマは、体じゅうに突き刺さっている打根と石斧を振り落として咆哮し、再び突撃を再開した。驚くピリャリュたちだ。
「うおっ。本当に凶暴だなっ。こんなになっても、まだ襲い掛かってくるのかよ。普通は戦意喪失して逃げていくもんだぞ」
最後に残った石斧1本を手にして、ピリャリュたちがすぐに散開した。キビアルも同意しつつ、薄片を装着した石斧を手にして散開する。薄片の位置のせいか、鍬のようにも見える。
「そうなんですよ。困ったものですよねー」
散開したため、攻撃目標をどれにするか迷ったヒグマが再び立ち止まった。既にヒグマとの距離は5メートルもない。そのチャンスを見逃さないピリャリュだ。
「ふん!」
掛け声と共に石斧が投射されて、ヒグマの眉間に命中した。さらに彼の仲間たちも一斉投射してヒグマの胸板に石斧が突き刺さっていく。再び「立ち往生」の状態になった。
それでもなお動こうともがくヒグマに、驚嘆するピリャリュたち。
「おおう……まだ逃げないのかよ。もう武器が尽きた。後は頼むよキビアル」
キビアルが前に出て、薄片付きの石斧を振りかぶった。
「了解」
キビアルが投射した石斧は、ピリャリュが切りつけたヒグマの額の傷に命中した。<コーン!>という乾いた音が渓谷に鳴り響き、頭をかち割られたヒグマが地響きを立てて倒れた。
かなりの体重があったのだろう、凍結した川面が砕けて水しぶきが上がっている。
ヒグマが断末魔の痙攣をして……息絶えた。
キビアルがヒグマの息が完全に止まっている事を確認してから、額に突き刺さった石斧を引き抜く。
「ふう……本当に面倒なんですよね、この島のヒグマは。さて、肉を回収しましょうか。オスですが、癖が弱くて美味いんですよ」
若ハゲ頭が丸見えになっている姿のキビアルが、汗を毛皮服の長袖で拭いてからピリャリュたちに振り返った。
「皆さんケガはしていない様子ですね。良かったです」
そして、ピリャリュたちの視線が黒い薄片の斧に向けられている事を感じて、軽く頭をかいたのであった。
「ばれてしまいましたか。ははは……」