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行き止まり

 南東へ向かって続く海岸線に沿って南下を続けていくと、大河のほとりに出た。川幅はかなりある。2キロくらいはあるだろうか。これ以上は歩いて南下できそうにもない。

 河の流れは駆け足程度で穏やかなのだが、水深はかなりありそうだ。遠くでマンモスが水浴びしていて、頭まで河に浸かっている。


「なるほど。ここが行き止まりか……」

 ユーコン川の河口付近となる。海とも接続しているので、海水とも混じり合って汽水状態になっているようだ。川の水を舐めてみると、ほのかに塩味を感じる。


 川向うには大草原が広がっていた。低い丘はあるのだが、山が見当たらない。マンモスなどの大群が草を食んでいるのが遠目に見えた。人影は見当たらない。

(対岸にも大草原が広がっているんだね。そして、ここはまだ太陽の高さが低いままだ。越冬できない……という事か)

 薄片を捨てるなら、川向うにすべきだな……と判断するキビアルであった。


 こちら岸の南端を見てみよう……と海岸へ出てみると、海岸沿いにある低い丘の上に泊の廃墟があった。もしかすると誰か居るのかも……と淡い期待を抱いて丘を登ってみる。

 そのキビアルの表情が曇った。

「……ネズミの巣になってたか」


 泊はかなり大きな規模で、室が10余りあった。苫はほぼ全てバラバラに散らばっていたが、こちらも数が多い。ここに到着した高原の民はかなりの大人数だったようだ。

 それら全てがズタズタに引き裂かれていた。大きな裂け目からは室や苫の中がよく見える。見覚えがある風景だ。そう……

(ヒグマに襲われたな……)


 ハタネズミ以外の生き物の気配が全くない室へ入ってみる。キビアルが両目を閉じて呻いた。

 バキバキにかち割られた人骨が山積みになっていた。頭蓋骨や大腿骨に刻まれている爪跡から熊だと理解する。

 キビアルが少し首をかしげて大腿骨を手に取った。キレイに骨髄を食べられているので中空だ。

(爪が大きいな。ヒグマよりも大きい。別種の熊かな)


 そういえば、この黄昏の大地に入ってから時々、黒い毛皮の熊を見かけていた。遠かったので正確な大きさは把握できなかったのだが、ヒグマよりも巨大だったようだ。


 次に叩き割られている頭蓋骨を手に取って、咬みつき跡を確認する。これもヒグマよりも大きい。

(確定だな。ヒグマよりも大きい熊がいる。まあ、これだけ広大で豊かな大草原に棲んでいる熊だし、体も大きくなるのだろうな)

 ひと咬みで人の頭蓋骨が粉砕されているので、顎の力も相当なものだろう。ちなみに頭蓋骨の中身はこれもキレイに食べ尽されていた。今は骨の表面にカビが生えているだけだ。


 室の壁はその熊が叩き壊したせいで半壊していた。天井が崩落しているので、カモメが乱舞している青空がよく見える。太陽が低いので夕暮れ前のような黄色い空だが。

 腐臭の類はしないため、熊の襲撃で全滅してから1年以上が経過しているのだろう。

(氷の暴風から逃げてきたのに、ここで行き詰ったという事か……絶望感が凄かっただろうな)


 哀悼を捧げてから、遺品を探してみる。しかし完全に白骨化しているため、毛髪すら採集できなかった。床には髪の毛が散乱しているのだが、誰が誰のやら分からない。

(仕方がない。髪の毛をまとめて回収するか……お守りとかはないのかな?)


 室を巡って探してみると、いくつか骨製のプレートを見つけた。中には一定の間隔で刻みが入ったトナカイの肋骨もある。

(これは、石数えが使う長期記憶用のヤツか。そういえば、石が一つもないな……)

 小石が入った皮袋を探してみたが、見つからなかった。ここで決定的に深刻な表情を浮かべる。

(情報を使いつくしたのか。越冬できないと分かってて、為す術が何もないというのは酷いな)


 そう思い立ってから、改めて白骨死体を調べてみる。思わず呻くキビアル。

(餓死と凍死だ、これ。熊の襲撃はそのずっと後って事か)

 まあ、熊に襲われて生きながら食われて死ぬよりは、多少はマシだったのかな……と思い直す。そして、この室のつくりでも越冬できなかったという事実に、改めて冷や汗をかいた。

(高原の民でも越冬無理なら、俺なんかどうあがいても凍死だな。河を渡ってさらに南下するしかないか。南の民のピリャリュさんに感謝だな)


 泊でかき集めた雑多な毛髪と、骨製のプレートを皮袋に入れて持ち出した。ついでに石刃もいくつか拾っていく。そして、丘の周辺に大きな熊の足跡を見つけた。

(どうやら、定期巡回しているようだな。遅かれ早かれ遭遇するのは確実か)


 防衛戦をする上では、やはりこの丘の上に防御陣を築いた方が良いだろう、という事で、早速マンモスの牙や骨を使ったバリケードを構築していく。

 幸い、ここは大河の河口なので、上流で溺死して流れ着いたマンモスなどの獣の白骨が泥の中に大量に埋まっている。さすがに黒くなって変色しているが、泥の中から掘り出していく。さらに火で焼いて縦に割り、鋭利な槍先に加工する。

 それらを順次、崩壊が最も軽微な室を取り囲むように組んでいく。ここに住んでいた高原の民も同じ事を考えていた様子で、苫の中を探すと大量の骨槍が見つかった。遠慮なくこれらも使う。


「あ。やっぱりあった」

 丘の上にはどこからか採集してきたヨモギとトリカブトの苗が植えられていた。それと丘に巣をつくっているホッキョクジリスの獣脂を使って毒団子と傷薬をつくっていく。

 毒団子は組んだばかりの骨槍の先端に塗っていく。間違って自身の手に触れないように、簡易の手袋をしている。これは室の中で見つけたものだ。自作もしてみたのだが、上手くできなかったらしい。



 そんな作業を数日間していると、熊ではなく草原火災が襲ってきた。黒煙に咳き込みながら、目をシパシパさせて涙目になっているキビアルである。

(そりゃあ、暑かったけれどさ……火事が多すぎませんか)

 川沿いにはエドマが生じていて、クレバスも多い。そのため、クレバス内に溜まっていた可燃性ガスが引火して、爆発音が時々聞こえてくる。


 泊の位置が河口にあって汽水域だったため、草木はそれぼど茂っていなかった事が幸いした。浜辺に生える種類の草木は生えているのだが、これらは葉や茎が肉厚なので燃えにくい。

 そのため、草原火災を丘の上から見物するだけのキビアルだ。内陸部から吹いてくる煙も日中は海風に吹かれて、それほどやって来ない。日没後は逆になって咳き込む羽目になったが。


 翌日には煙が弱まってきたので安堵する。丘の上から北の地平線を眺めて、保存食の馬の干し肉をモグモグしている。まだ黒い煙があちこちから出ていて、地平線も黒く霞んでよく見えない。

 室の周囲を取り囲んだ骨槍のバリケードの中で、一息つく。

(さて……次は船づくりだな)


 この草原火災では、ホッキョクジリスなどが地下で窒息死していたので、巣穴を掘って採集している。地温が高めなので、腐ってしまうのも早い。速攻で解体して干し肉にしていく。

 おかげで、ホッキョクジリスやハタネズミの干し肉だらけになってしまった。苦笑しながら、南風に揺れているソレらを見上げる。

(あんまり美味しくない肉なんだけどね。まあ、巣穴の中で腐らせるのは、もったいないし……)

 この草原火災ではキツネやオオカミも焼死していたので、それらも回収して干し肉にしている。キビアルの興味は、こちらにもなさそうである。この肉もあまり美味しくないらしい。


 どちらかというと、海岸で採集した貝の方が嬉しそうだ。これらにも毒ありの種類があるので、慎重に除外している。ピリャリュに教えてもらったのは北海道だったのだが、ここにも共通する貝がある。同時に海岸に流れ着いた昆布も採集している。

 干し上がった貝を口にしたキビアルが、満足そうに一人笑いを浮かべている。

(うん。やっぱり美味いなあ)


 河口には骨の他に、意外に真っすぐな木も漂着していた。長い間水に浸かっていたので樹皮がはげ落ちて、白い木材部分しかないが。

 それらのうちで真っすぐで枝が少ないものを選んで、泊へ引きずって持ち帰っていく。

(よし。木はこれで充分だな。次はトド皮だけど……)

 トドは海岸に出ればいくらでもいる。再び、毒打根を使っての狩りをするキビアルであった。投げた後は、ひたすら逃げ回ってトドを煽るだけだが。


 ここのトリカブトはさらに毒性が強かったようで、1時間半ほどでピックアップトラックほどの大きさのトドが動かなくなった。石斧を頑張って振り回して何とか仕留め、皮をはいでいく。

(肉は半分以上、ここに残す事になるなあ……)

 キビアル一人では、これだけの巨体の肉を持ち運ぶ事は不可能だ。この辺りにある熊の足跡も比較的新しいので、あまり長居すべきではない。


 そんなこんなでトド皮張りカヌーを組み立てていったのだが、やはり熊が襲撃してきた。バリケードを熊手で殴って破壊しようとしているが、反対に傷を負うばかりだ。

 熊はやはりヒグマよりも一回り大きく、毛皮は黒灰色だった。手元に毒打根と石斧を置いて、カヌーづくりを淡々と続けるキビアル。

 最近はさらに気温が上がっていて、軽い熱中症にかかっている。いつもであれば、迅速に熊に毒打根を撃ち込んでいるハズなのだが……

(だ……だるい~なんだこれ~……)


 しかし、キビアルが反応しなかったのが良かったのか、熊が興奮して突撃してくる事態には至らなかった。そして1時間ほどで熊に毒が回って、そのまま死んでしまった。口から白い泡を吹いている。

 面倒臭がったのか、熊の死体を放置するキビアルである。おかげで、オオカミの群れの餌になってしまった。そのオオカミも骨槍にちょっかいを出して、何頭かそのまま泡を吹いて死んでいる。

 フラフラする頭で、そんな惨状を眺めるキビアルである。

「うわー……猛毒すぎるな」


 この熱波は数日ほどすると去った。気温が下がっていき、それと共に正常な意識に戻っていくキビアル。回復して我に返る頃には、バリケードの外には熊とオオカミの白骨死体がいくつも転がっている有様になっていた。

 今更になって目を点にしている。

「お……おお。凄い事になってるじゃないか」

 そして、熊とオオカミの死臭って、獣除けになるのでは? と腕組みをする。

(そんな話は聞いた事ないけど、まあ、やって損はないか。肉や内臓は臭すぎるから、毛皮を吊るしておけば良いかな)


 カヌーづくりも再開し、数日後ようやく完成した。ほっと一息つく。

「やっとできた……」

 トドの皮を乾燥させる間に失敗してしまい、一部が破れてしまった。そのため、その分だけ使える皮が少なくなっている。カヌーも一人乗りのかなり小さいサイズにならざるを得なかった。

 そのトド皮を指で<ベイン>と弾いて、太鼓のような音を鳴らす。

(……ちょいと音が湿った感じだけど、まあいいか)


 黒灰色の大熊だが、先日以降は現れていない。毛皮を掲げているのが効いているのかな……と推測する。

(この辺りって海獣ばかりだしね。アザラシを狙う熊の方が多いんだろうな、きっと)

 それでも用心して、丘の上から四方を望遠して熊の姿がない事を確認している。ヒグマよりも巨体なので、毒の回りにも時間がかかるはずだ。その分、キビアルは長時間逃げ回る必要がある。

(……うん。居ないね。では進水式を始めよう)


 組み上がったトド皮張りカヌーを簡易ソリに乗せて、丘の上から引き下ろしていく。丘のすぐ近くに河が流れているので、意外と楽に岸辺にカヌーを運ぶ事ができた。

 それでも、気温がまだ高めなので大汗をかいているが。若ハゲ頭の汗を長袖で拭いて、皮張りカヌーを河の中へ押し出していく。岸辺はそれほど流速が速くないのだが、それでも下流へ流されがちになっている。

「おっと……岸にある大岩と船を紐でつながないとダメか」


 20メートルほどの長さの皮紐で皮張りカヌーと岸の大岩を結び付けて準備を終えた。竿を手にして、意気揚々と皮張りカヌーに乗り込む。「ガッ」と竿の先で岸を押して、船体を離岸させる。

「では出港ー」


 その数秒後、浸水し始める皮張りカヌーであった。

「えええ~……」

 キビアルが頭を抱えて天を仰ぐ。そのまま河の中へ沈んでいった。


 紐のおかげで皮張りカヌーを岸へ引き上げる事ができたのだが、全身ずぶ濡れのキビアルである。とりあえずアザラシ皮のブーツを脱いで振り回して脱水にかける。

 皮張りカヌーをよく調べてみると、木の枝がトド皮を突き抜けて外へ飛び出している所があった。

(ここかー……枝をちゃんと切り落としてなかったからなあ)

 流木を使っているので、こういう事も起きる。


(仕方がない。枝を全部削り取ってから皮の補修だな)

 補修それ自体は一日で終えた。おかげで浸水はなくなったのだが、今度は河の流れに巻き込まれて転覆する事になった。流速は河の中央でも駆け足程度の緩やかなものなのだが、航海技術が未熟すぎたのだろう。

 カヌーはバランスを保ちつつ漕ぎ進む乗り物である。そのバランスを崩すと容易に転覆するものだ。


 何度目かの転覆で岸に上がったずぶ濡れキビアルが、紐を引っ張って皮張りカヌーを引き寄せる。

(なかなか上手くいかないものだなあ……南の民って凄いよ)


 それでも航海練習を繰り返すキビアルだ。この場所では越冬できないと分かっているので必死である。

 対岸に広がっている大草原を眺めて、ジト目になっている。向こう岸に広がっている大草原がさらに南東へと広がっているのは、丘の上からも確認済みだ。

(ここで餓死凍死した高原の民は、つらかっただろうなあ……河さえ渡る事ができれば、生き延びる可能性があるって知ってただろうし)


 訓練をさらに数日間続けると、ようやくキビアルも皮張りカヌーの扱い方が理解できてきた。初めて転覆せずに河の流央りゅうおうから岸へ戻ってこれて、ガッツポーズをしている。

「よーし! ついにやったぞ」


 早速、荷物をまとめて出港の準備をしていく。遺品が入った小袋も皮張りカヌーに乗せた。

(対岸を見にいきましょうね。多分、暖かいはずですよ)



 荷物を皮張りカヌーに全て乗せて、何のために水汲み出し用のバケツも入れる。これは潅木の枝を編んでから、アザラシの皮で包んだものだ。ひっくり返せばイスにもなる。

 最後に竿を手にして皮張りカヌーに乗り込んだ。この竿の先端には黒曜石の石刃がついているので、槍の一種ともいえる。トリカブト団子を石刃に塗りつけているのも忘れていない。


 と、そこへ一頭の黒灰色の熊が丘の向こう側から現れた。キビアルを発見して、吼えながら猛ダッシュで迫ってきている。ジト目になるキビアルだ。

(やっぱり来たか。そんなに人肉って美味いのかい?)


 急いで竿で岸を押して出港する。熊の突進は時速60キロにも達するので、皮張りカヌーが川の中へ2メートルも進まないうちに、熊が河に飛び込んできた。盛大に水しぶきが舞い上がり、熊の吼え声がトド皮を振動させる。

(やっぱりヒグマよりも素早いな。だけど、残念でした!)

 皮張りカヌーに咬みつこうと泳いでくる熊の頭に、毒を塗った石刃を突き刺す。そして、熊と船との距離を固定した。


 熊は吼えながら犬かき泳ぎで迫ってくるのだが、頭に突き刺さっている竿がつっかえ棒になっているので船に近寄れない。それどころか、熊が船の推進器代わりになっている。

 熊の固い頭を石刃でゴンゴン突いて食いこませながら、キビアルが気楽な表情で笑う。

「俺が漕ぐよりも熊の泳ぎの方が倍くらい速いんだね。どうもありがとう。おかげで漕がずに済むよ」

 かなりの鬼畜である。


 1時間後。熊にトリカブト毒が回って死んだ。プカリと河に浮かんで動かなくなる。キビアルが竿を熊の頭から引き抜いて、代わりに首に紐を巻く。

 対岸までは15メートルほどになっていた。河の流れも岸に近いために遅くなってきている。竿を河に突っ込むと、川底に当たった。グイッと川底を押して、岸へ向かって船を進めていく。

「熊がもう少し根性を出してくれたら、漕がずに済んだんだけどなあ……トリカブト毒、強すぎ」

 やはり鬼畜な所業である。


 ほどなくして岸に上陸した。すぐに船を岸に引き上げて、さらに黒灰色の熊も岸辺まで引き寄せる。さすがにキビアル一人の力では、熊の巨体を河から引き上げるのは無理なようだ。

 ため息をついてから、解体用の石刃を背負い袋の中から取り出す。

(仕方がないな。水に浸かって足が冷えるけど、河の中で解体するか……)



 結局、キビアル一人ではそれほど多くの荷物を担げない。そのため熊肉のほとんどは、近くのクレバスの中へ押し込んで冷凍保存する事になった。トド皮張りカヌーも解体して、トド皮を畳んでから熊肉と一緒にクレバスの中へ収めている。

 最後に、泊の住人の遺品をちょっとした丘の上に並べた。川向うには泊のある丘が見えている。

(無事に渡河しましたよ。ここでゆっくり眠ってくださいな。帰り道で回収しますね)


 そして改めて、対岸の丘を眺める。

(むむむ……かなり下流へ流されているなあ。戻る時は気をつけようっと)

 そして、足元の小石を拾って記憶した。

「さて……進むか」


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