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ゴミ襲来 その二

 この時代は人口が少ないので、いわゆる村や町は存在していない。バンドと呼ばれる少人数の集まりだけだ。主に家族単位でまとまっていて、離散集合を繰り返している。

 農作や畜産がまだ始まっていない時代なので、狩りの獲物や果物が多い季節になると集まり、少なくなると去っていく……という行動になる。


 マンモスのような大量の肉量がある獣が多い地域では、このバンドでも人数が50名以上に達する事があったのだが……キビアルが暮らすアムール川東岸にはマンモスは少ない。こうして野ウサギやトナカイを狩る程度だ。その結果、キビアルの故郷のバンドの人口は少ない。数家族、十数名だけだ。


 この昔話ではバンドという呼び名ではなく、「とまり」と呼称している。人々は定住民や遊牧民ではないので、バンドの構成も常時入れ替わりがある。気の向くままに人々が地球上をウロウロしている時代だ。そんな人々の集まる場所なので、こう呼ばれている。

 キビアルが暮らしているのは「溢れ水の泊」となる。溢れ水とはアムール川の事を指している。まあ、河口に位置する泊なので洪水が起きるのは当然だろう。


 キビアルはソリを引いて雪の中を泊へ戻ったのだが、トナカイ一頭を乗せたので超過積載になってしまった。

 さらに途中でヒグマの足跡を発見したので、回避ルートをとっている。そのため余分に長い距離を歩く羽目になっていまい、泊に到着した際には疲れ果てていた。

 それでも、族長である父親に報告を済ますキビアルである。


「……という事がありまして。父さん。もう一頭のトナカイの回収を急いだ方が良いかも。ヒグマが近くにいましたし。一応は臭い消しをしておきましたが」


 キビアルの父親でこの泊の長をしているカグサに話すと、カグサが軽く腕組みをして呻いた。彼は40代後半に見える容姿だが、キビアルよりもガッシリしている。顔も厳つく、眼光も鋭い。

 こう書くと、あまり親子という印象ではないのだが……彼も見事なハゲ頭だ。遺伝とは凄いものである。

「トナカイは明日にでも回収隊を送るとしよう。この大雪で狩りが大変になっているからな。ヒグマには申し訳ないが奪われるのは阻止せねばならん」


 キビアルが持って帰った肉は早速、泊の食糧庫へ収められた。雪の中で凍っていたウサギは、囲炉裏の煙が当たる場所に置かれている。解凍する間に内臓が腐敗し始める恐れがあるためだ。煙による殺菌である。ただ、実効性はかなり低いので気休め程度にしかならないのだが。


 囲炉裏も炎が派手に出るようなタイプではなく、炭火を維持する地味なものだ。

 室内の明かりは、獣脂をいったん溶かしてから固めたものに、植物の繊維を束ねて糸にしたものを10本ほど突き刺してある。その糸の先に火をつけて、ロウソクのようにしている。獣脂ロウソクである。

 この泊は河口にあるので、アザラシなどの海獣の獣脂を主に使っているようだ。そのため、獣脂ロウソク程度なのだが灯りがある生活になっている。


 この時期はアムール川が凍結するくらいの気温になるので、外は夜間になるとマイナス30度以下にまで下がる。防寒着が発達していない石器時代では、凍死しかねない気温だ。実際、キビアルたちは手袋を発明していない。

 こうした泊は、越冬のためには必須となる。この中では、キビアルたちは薄い毛皮の服という気楽な服装で寛いでいる。ちなみにキビアルがこれまで着ていた分厚い毛皮の服とブーツは、外に出して凍らせている。後で叩いて氷を砕いて払い落とせば、脱水完了だ。



 早速、10歳くらいの子供が数人、トナカイの肉を食べ始めた。子供の親も幸せそうな表情で食べている。

 石器時代では既に料理が発明されていたのだが、基本的には水炊きか囲炉裏焼きだ。ヨモギなどの香草を使ったりもするが、それは春から夏までの間に限られる。それ以外の期間では塩一辺倒である。

 塩も製塩技術がないので、海水を皮袋に詰めただけのものであるが。しかも塩水を継ぎ足していくので、次第に塩水は皮袋の中で発酵して、タレみたいにドロドロになっている。


 子供とその親たちも、このタレに肉を浸けてから炭火で炙って焼いている。おかげで泊の建物、キビアルたちが「むろ」と呼んでいるドーム型の家の中はタレと焼き肉の臭いが充満し始めた。


 室は、盛り土した基礎の上に太い枝やマンモスの骨を立てて、その上に枝や毛皮、コケを被せて断熱材にする。最後に分厚く土で覆ってドーム型にして、排気口と出入り口を設けて完成だ。排気口は床面に沿って多く開けている。窓はないし、竪穴式住居でもない。

 雪国でつくる「かまくら」のような形である。冬場以外は、当然ながら暑いので「とま」と呼ばれるテントを別につくって暮らしている。これは土で覆わず、天井からの排気となっている。


 炭火焼きといっても、炭の火力が弱いので表面を炙った程度の火加減のようだ。カツオのタタキのような感じか。

 そんな肉を食べている泊の住人たちを眺めてから、カグサ族長がキビアルに「もう一つの土産」について聞いた。真っ黒い薄片を手に取り、キビアルがしたのと同じ方法で切れ味を調べている。

「むむむ……確かに異常な切れ味だな。このような石は見た事が無い」


 そう言ってから、カグサ族長が囲炉裏の煙でいぶしているハタネズミを手に取った。それに黒い薄片を当てて「スッ」と引く。

 スパリ……とハタネズミの脚が胴体から切り離されて、床にポトリと落ちた。それを見た泊の住人たちが一斉にどよめく。子供たちは肉を食べるのに夢中で気がついていない様子だが。


 カグサ族長が切り口を改めて、再び呻いた。

「むむむ……鋭利だな。肉の組織が押し潰されておらぬ。骨も同様だな。驚いたぞ」

 驚いた表情のまま、その薄片を泊の住人たちに手渡す。歓声が上がって、室の中が騒がしくなってきた。歓声を聞きつけて隣の室からもやってきて、野次馬が顔を見せている。


 キビアルが少し得意気な表情になって、黒い石をポンポンと叩いた。

「母石も持って帰ってきましたので、たくさん石刃が取れそうですね。重かったけど、大雪の中で運んできて良かった」



 ……しかし、そうはいかなかった。


 黒い石は多くの割れ目が入っていたのだが、どうやっても剥離できなかったのである。石斧を打ちつけても、その石斧が欠けてしまう。枝や骨を当てがって全体重をかけて押しはがそうとも試したが、これもダメだった。

 散々苦労して、やっと指の爪サイズの小片をはがす事ができただけだ。


 言うまでもなく、そんなサイズでは石刃として使えない。このサイズが石刃として使われるようになるには、さらに1万4000年ほど待たないといけない。


 大汗をかいて剥離作業をしていたキビアルが、その小片を摘まみ上げ、大きなため息をついた。

「なんてこったい……とんでもない石だな。黒曜石の母石だったら、コレで剥離できるんだけどなあ」

 キビアルの他にも、泊の全住人が何とかして剥離しようと悪戦苦闘したのだが、やはり無駄であった。


 最後にカグサ族長が同じようにため息をついて告げた。

「やれやれ……石刃に加工できないとはな。キビアルには気の毒だが、使えない石だな。これは」

 ガックリと肩を落とすキビアルである。

「……そうなりますよね。重いだけの石でした」


 結局この黒い石は、夏の苫の裾を押さえる重石として使われる事になったのであった。


 一方の薄片でも問題が発生してしまった。

 鋭利で非常に良く切れるので泊の住人は重宝していたのだが……1枚しかなかったのが災いしたのである。

 住人の間で取り合いが始まり、ついにケガ人が出てしまった。


 子供が指を薄片で切ってしまい、血を流して大泣きを始めた。大人たちが留守の間に、薄片を使って遊んでいたらしい。

 ちょうどキビアルは罠の見回りを終えて帰ってきたばかりだったのだが、子供の悲鳴と泣き声を聞いて飛びあがった。

「わ。な、なんだなんだ?」


 キビアルが慌てて駆けつけると、指を血だらけにした男の子が雪の中でうずくまって大泣きしていた。それを見たキビアルが冷や汗をかきながら、その男の子の手を改める。

「……皮を切っただけだな。太い血管は無事だから安心しなさい」

 男の子をなだめながら、ほっとしたキビアルが指を強く握って圧迫止血を施していく。すぐに他の大人や母親たちも駆けつけたので、薄い皮を用意するように命じる。包帯として使うためだ。


 雪で覆われた地面に落ちている黒い薄片をキビアルが拾い上げた。その表情が少し曇る。

「むむむ……赤っぽいカビみたいなのが生えてるな。傷口を川で洗った方が良さそうだ」

 その男の子の母親もようやく落ち着きを取り戻していて、彼女もソレを眺めた。再び不安そうな表情になっていく。

「うわわ。もしかすると、この黒い石って毒があるんじゃ……」


 ピクリと反応するキビアル。ハゲ頭を空いている片手でペチペチ叩く。

「……有り得ますね。急いで川で傷口を洗いましょう」



 幸い動脈を切るようなケガではなく、数日ほど経過すると切り傷も塞がったのだったが……

 カグサ族長が大きなため息をついて、薄片を手にしている。室の中は獣脂ロウソクの灯りだけで暗いので、外に出ていた。雪が舞い散る曇り空に、薄片を掲げて眺める。

「むむむ……毒があるかも知れないのかね。確かに少しではあるが、赤いカビが生えているな。変な臭いもある」

 キビアルも隣にいて、残念そうな表情でうなずく。

「便利そうだと思って持ち帰ったのですが、実は良くない物だったかも知れませんね。父さん」

 カグサ族長が静かに同意した。

「……そうだな。泊の皆で話し合って、コレをどうするか決めるとしよう」



 この薄片はこれまで獣の解体作業や、ユリ根などの食用植物の採集作業、毛皮の裁断作業などで大いに役に立っていた。そのため、もったいないと感じる泊の住人も多かったのだが……負傷した男の子と、彼の母親を見ると薄片を処分するしかないという結論に至った。


 カグサ族長が結論を泊の住人に宣言し、息子のキビアルに顔を向けた。

「キビアルがコレを発見したからな。捨てに行く事を命じる」

 キビアルが素直にうなずく。

「かしこまりました。それで、どこに捨てに行けば良いでしょうか」


 男の子の母親が最初に提案した。

「子供の手に触れない場所である必要があります。他の部族がコレを手にすると、きっと同じような事故を起こすでしょう。それも可哀そうです」

 カグサ族長が同意しながらも、軽く腕組みをした。

「その通りだな。他部族とも石器づくりで交流があるからね。つまり人が住んでいない場所へ捨てる事になるか」


 キビアルが少し困った表情になっていく。

「それって、つまり世界の果てに行って捨てるという事になりますね。最寄りの世界の果てって、どの方向にありますか?」

 泊の住人たちも困った表情になってザワザワし始めた。噂話も含めた情報になったのだが、現状では次のようらしい。

 溢れ水の泊を起点にすると、南と西には数多くの部族が住んでいる。つまりこの方向に歩むと、世界の果てまでは遠いと思われる。東には広大な海しかない。


 キビアルの母親が口を開いた。彼女はキビアルと似た顔立ちだが、髪はフサフサである。

「北ですね。北には「高原の民」という民族が住んでいると旅の人から聞いた事があります。北は寒いので、私たちが暮らせない草原があるとか」

 カグサ族長も思い出したようだ。ポンと両手を叩いて目を点にしている。

「お、おお……そう言えば、旅人が言っていたか。よく覚えていたね」

 上機嫌になったキビアル母が話を続けた。

「高原の民に会って、人が住んでいない場所を教えてもらうのが手っ取り早いと思いますよ」


 キビアルも納得した表情になった。

「なるほど。ここよりも寒い場所なんですね。それなら世界の果ても近いかな。凍死しないように準備しておかないと」

 そう言ってから自身の頭頂部をペチペチ叩く。

「とりわけ俺は寒さに弱いですからね、ここが」


 場の空気が和んだので、カグサ族長がキビアルの肩をポンポン叩いた。

「では、北へ行って高原の民とやらに聞いて、人の手に触れない場所に薄片を捨ててきてくれ」

 海や川に捨てるという案も出たが、何かの拍子で海岸や岸辺に打ち上がる恐れがあるという事で否定された。地面を掘って埋める事になる。


 しかし、再びキビアル母が注意を促した。

「確か、その昔の旅の人が言ってたんだけどね……北の大地は永久凍土層だらけみたいなのよ。少し掘るとすぐに氷の層にぶつかって、掘り進めなくなるとか。だから、できれば永久凍土層がない場所を選ぶ方が良いわね」

 キビアルが軽く腕組みをして呻く。

「……北へ行き過ぎると良くないという事ですね。できるだけ南にある世界の果てを目指す事にします」


 カグサ族長も同意してから、ニヤリと笑った。

「北行きの方針が定まったな。だが、まずは南へ行ってもらおうか。長旅に必要な石刃を用意せねばならんぞ」

 頭をかくキビアルである。

「あ……そうでしたね。では黒曜石の鉱脈地まで行ってきます」


 今度はキビアル母が大真面目な視線をキビアルに向けてきた。

「もう一つ、とても重要な命令をします。キビアル、どこの部族でもいいから結婚してきなさい」

 キビアルがジト目になってハゲ頭をペチペチ叩きながら、口を尖らせた。

「こんな若ハゲ男と結婚する娘なんかいませんよ。事実これまでも、いなかったじゃないですか」

 キビアル母がニヤリと不敵に微笑んで反応する。

「この近辺じゃそうね。でも世界は広いのよ。現にアンタの父親も若ハゲだったけど、ちゃんと結婚してるでしょ。どこかにきっと奇特な物好きがいるって。アンタの狩りと仕掛け罠の腕前はなかなか良いんだから」


 カグサ族長も苦笑しながら妻の肩を抱き寄せた。キビアルと同じように、もう一方の片手で自身のハゲ頭をペチペチ叩いている。

「……まあ、確かにこの泊に居続けるよりは、嫁探しに出た方が可能性が高いだろうな。ワシも早く孫の顔が見たい。頑張って見つけてこい、キビアル」


人物紹介です。キビアルの両親ですね。


挿絵(By みてみん)


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