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火山の道

 キビアルであるが順調に火山が連なる東斜面を北へ歩いていた。火山は海岸まで迫っている所が多く、白波が目立つ海も東の方向に見えている。カムチャッカ半島の東岸を北上していくルートである。

 火山は南北方向へいくつも連なっていて、どれもが見事な円錐形をしている。ちょうど富士山のような形で、それが南北に延々と連なっている状態だ。多くが活火山で、万年雪に覆われた山腹も山頂付近は融けていて真っ黒い岩肌がよく見えている。


 その山頂の火口からたなびいている白い噴煙を見上げて、気を引き締めるキビアルであった。

(泊の居心地が良すぎたからねえ……意識して用心していこう)


 さすが火山地帯だけあって、地熱が高い場所が多い。そんな場所では雪がいち早く融けているため、大きく育った潅木がひしめいている。草もよく育っていて、マンモスや馬、野牛の群れが食んで寛いでいた。

 とりわけ地温が高い場所からは、白い湯気が立ち上っている。アララナから、こういう湯気の中には毒を含む場合があると注意を受けていた。なので、素直に湯気が立っている場所は大きく迂回している。

(今は保存食が充分にあるから、狩りは不要だな。彼らを刺激して怒らせないように避けて通り抜けよう……)


 そうなると、必然的に雪の上を歩く事になる。足先が冷えるが仕方ない。アザラシ皮のブーツでは防寒性能が今一つなのだ。一応は樹皮を靴底に巻いているが、その程度では保温性能はそれほど向上しない。


 アララナたち高原の民は、トナカイ毛皮にマンモス足の皮で補強したブーツを履いている。こちらの方が防寒性能は高い。しかし補修の問題がある。一人旅のキビアルでは、そうそう簡単にマンモスを狩る事はできない。

 トナカイはこれから夏毛に生え変わるため、狩っても防寒性能の高い毛皮ではなくなる。


 そういった事情のために、キビアルはこれまで通りの黒森の民のブーツを履いている。上着については、泊にいる間に高原の民のものを一部採用しているが、基本的な構造は黒森の民方式のままだ。

(高原の民の服って重いんだよね……トナカイの毛皮が分厚いから当然ではあるんだけどさ)

 このトナカイの毛皮は冬毛である。キビアルの服ではフードと襟、それに袖に付け加えて保温性を高めている。そのため、今の彼は首に毛皮のマフラーを巻いていない。


 水の補給だけは必要なので、動物の群れから離れた上流にある地下水の湧き水を見つけるたびに、皮の水筒に注いでいく。まだ気温は氷点下の時間帯が長いので、背負い袋に入れていると、そのうちに凍りついてしまう。そのため喉が渇いた際には、皮袋を石斧の柄で叩いて中の氷を砕く必要がある。

(これからは、また氷しか口にできない毎日だな……かといって、暑くなると洪水だし。上手くいかないものだなあ)


 ヒグマの姿や足跡は見当たらなかったので、岩陰で野宿しながら北上していく。地熱がある場所が多いので、意外と寒くない。海風に当たらないようにだけ気をつけていく。


 そんな感じで数日後。湯池の泊の住人が仕掛けている罠が見当たらなくなった。これより先は、アララナやラリク族長たちの言によると「無人の土地」だ。改めて気を引き締める。

(実質、ここから先は世界の果てだな。行ける所まで行くか……)


 地熱が高い場所が増えてきて、斜面が雪と緑地との縞模様になってきた。その白い部分が次第に少なくなり、緑地だらけになっていく。

 マンモスや馬に野牛の数も増えてきて、渡り鳥の営巣地をいくつか通り過ぎる。ヒグマもいて、彼らに襲われないように充分な距離をとって山側へ迂回していく。


 そんなキビアルの足が止まった。怪訝そうな表情を浮かべて、周囲の草原を見渡す。

(いきなり草丈が低くなったな……地面は温かいのに)


 しゃがんで、足元の地面を改める。枯草がかなり分厚く堆積していた。燃えた痕跡も発見する。

(草原火災が起きたのか。それにしては、燃えていない枯草も多い。という事は……アララナさんが警告していたアレか)

 丘を越えると、結構深めの谷の上縁に出た。谷を見下ろして確信する。


 谷底の数ヶ所から白い湯気が盛んに噴き出している。谷のあちこちで崩落が起きていて、その岩と岩の隙間から、特に白い湯気が噴き出していた。かなり暖かそうだ。しかし、草木はほとんど生えていない。

 そして、谷底には何頭もの馬や野牛、そしてそれを食べに来たヒグマが倒れて死体になっていた。普通であればハタネズミなどが漁ってキレイな骨になるのだが、彼らも死んでしまうようだ。死体は全てミイラ化している。


 観察していると、海からカモメの群れが飛んできた。その何羽かが谷に舞い降りて……そして呆気なくパタリと倒れた。それっきり動かない。

 キビアルの若ハゲ頭に冷や汗が流れていく。

(毒の空気か……吸い込んだら、即死だな)


 こういった場所で多いのは高濃度の二酸化炭素ガスだ。それが谷底に充満しているので、窒息死を起こしている。硫化水素ガスのような臭いがあれば、まだ危険を察知しやすいのだが……


 アララナが指摘したように、谷沿いに海岸へ向かう。海岸へ出れば、海風で毒ガスが希釈されて危険性が減るためだ。海岸へ近づくにつれて、冷たく湿った風がキビアルの若ハゲ頭を冷やしていく。慌ててフードをしっかりと被る。

(まだまだ寒いなあ……)


 グチをこぼしながら海岸へ出ると、狭いながらも浜が広がっていた。海面にはカモメやウミガラスがうるさく騒ぎながら浮かんでいて、浜にはアザラシが数頭ほど寝転がって寛いでいる。実に平和な光景だ。

(上流の有様とは大違いだなあ……あ。カニがいる)

 適当にカニと貝を採集して、そのまま生で食べて一息つく。この浜では毒ガスの影響は出ていない様子だ。このまま海岸沿いに北上しようか……と考えるが、海風が湿っているので諦めた。


 食べ終わったカニと貝を、近くにいるカモメに投げ与えて立ち上がる。

(さて。と。また山沿いに歩くとしますか)



 そう決めたのだが、火山が海岸まで迫っている場所に出てしまった。海岸には岩と石だらけの浜があるのだが、どこもトドやアザラシに占領されている。さらにマンモスや馬に野牛の群れも浜を渡っているので、とてもキビアルが安全に通行できる場所がない。

 特にトドはキビアルを見かけると威嚇して吼えてきた。マンモスも鼻息を荒くしていている。


 ヒグマもウロウロしているのを見て、ガックリと肩を落とすキビアルであった。

 山の斜面を見上げる。結構な急斜面で崖だらけになっている。切り立った断崖にはウミガラスの大群が暮らしていて、空中を乱舞している。その西向こうには火山が迫っていて、白い噴煙を立ち昇らせていた。

(仕方がないな……崖を伝って進むか)


 崖はあちらこちらで崩落していて、手でつかんだ場所が、ボコッと取れてしまう事も多い。足場も脆いため、何度も転げ落ちてしまっている。

 今も数メートルほど崖から落ちて、何とか岩にしがみついている所だ。早速、カモメやウミガラスに襲われて突かれている。

(や……やばいな。この辺りは岩が脆いのか。急いで通り抜けないと)

 しかし、結局は崖の崩落に巻き込まれて海岸まで落ちてしまったのであった。


 トドやアザラシが落石を避けて海へ避難していく中で、頭をさすりながら起き上がる。手早く体の状態を確認して、骨折やケガはしていないと知り安堵している。

(やれやれ……補強した毛皮服と背負い袋のおかげだな。特にフードを厚くしていて正解だった)


 仕方なく浜辺沿いに北上していくと、沢に出た。沢の中州に何か埋まっている。それを見たキビアルが、深くため息をついた。

(これだけ崩れやすいと、巻き込まれますよね)

 バラバラになった人骨がいくつも中州の土砂の中に埋まっていた。上流にある沢を渡る途中で崩落に巻き込まれたのだろう。服が分厚いトナカイの毛皮なので高原の民だと推測する。


 この時代では墓をつくるという習慣はない。永久凍土層ばかりなので、死体を埋めると分解されずにいつまでも残ってしまう。死後の復活や天国のような異世界はまだ発明されていないので、遺体が残り続けると遺族が悲しむだけだ。

 そのため、地面の上にそのまま横たえておく。そうすると、オオカミやハタネズミなどによってキレイに食べられて無くなる。残った骨も数年で風化して粉になって消える。


 なのでキビアルは今、アクセサリーなどの遺品を探している。しかし、白骨化している事から、亡くなって年月が経過しているのだろう。そういう遺品は見つからなかった。毛皮の服の切れ端しかない。

 仕方なく、その切れ端を石刃で切り取って少量を回収する。

(でも、これじゃあ誰の持ち物だったのか分からないだろうなあ……)


 切れ端でも、今のキビアルにとっては荷物になる。そのため、沢向こうにある丘の上にまとめて埋める事にしたようだ。再び、急斜面をよじ登っていく。崖ではないのだが、斜面の傾斜は優に60度以上あって鳥の営巣地になっている。

 丘の高さが30メートル弱もあるので、かなり大変そうだ。背負い袋を担いでいるので当然である。

(ひ~……やっぱりここも崩れやすいな)


 何度か足元を崩して、数メートルほどの落下を繰り返しながらも何とか丘の上に到着した。海風がまともに当たっていて、穴を掘れそうな場所がない。岩だらけだ。

 それでも岩陰を探して、土がある場所を見つけた。早速穴を掘って、遺品を埋める。すぐに岩盤にぶつかってしまったので、穴の深さは数センチしかないが。

 最後に近くにあった小石を拾って、それをかざしながら周囲の地形を記憶した。

「……よし。憶えた。帰り道で立ち寄ろう」

 その小石を小袋に入れて、背負い袋の中へしまい込む。


 丘の上にもカモメの巣が多くあったのだが、そのカモメが一斉に空中に飛びあがった。いつも以上に騒々しく騒いで、上空を旋回している。

 それを見あげたキビアルが小首をかしげた。

(なんだ? ヒグマやキツネでも来たのかな)


 キョロキョロと周囲を警戒するが、そのような獣の姿はない。不思議に思っていると、今度は丘の斜面や、その周囲の崖にいるウミガラスの大群も大騒ぎをして、空中に舞い上がり始めた。

 フードをさらに深く被って耳を両手で塞いだキビアルが、視線を東の海に向けて……硬直した。

 いつの間にか、真っ白い波頭を連ねた津波がすぐそこまで迫って来ていた。その白い壁の高さは20メートルほどもある。

「げ……!」


 キビアルは立ち尽くすだけだった。丘の上にいるので逃げ場がない。それでも西へ伸びている尾根筋を駆けあがろうとしたが、その前に津波が襲来した。爆発音と共に地震のような揺れが起こり、尻もちをつく。

「うわわっ」


 岩だらけの地面が津波の衝突で振動している。そしてすぐに、大量の波しぶきが丘の上まで噴き上がってきた。尻もちをついたままで、頭から塩水を被る。そして体が浮いた。

 かなりの水量で、丘の上から洗い流されそうになっている……とすぐに分かった。

(ヤ、ヤバイヤバイッ)

 必死で岩にしがみつく。口の中に砂や泥が入ってくるが、どうしようもない。しっかりと目を閉じて耐える。


(……ん? 収まったかな?)

 体にぶち当たっていた海水の感触がなくなり、恐る恐る目を開き、周囲を確認してみた。顔は泥だらけで、衣服も同様だ。しかし新たな津波は来ていない。

 顔を長袖で拭いてから立ち上がる。丘の周囲は水没していた。西へ続く尾根筋だけが陸地で、その尾根筋はそのまま富士山型の火山につながっている。


「おお……」

 茫然としながらもアザラシ皮のブーツを脱いで、中に溜まった海水を出す。丘の周囲は泥を多く含んで黒くなった海水が濁流となって渦巻いていた。その濁流の中にはマンモスや野牛、馬の姿が多数見えている。ヒグマやオオカミも姿もあった。波間にはトドやアザラシの群れも多くいる。


 軽いジト目になるキビアルだ。

「さすがというか何というか……この冷たい海水でも平気なんだね」

 いわゆる犬かき泳法で、獣たちが陸地に向かって泳いでいた。濁流に流されて力尽きて沈んでいく獣もいるが、多くは無事に上陸を果たしている。人ではこうはいかないだろう。


 毛皮服をいったん脱いで、それを振り回して脱水にかける。ブーツも同様だ。背負い袋もいったん中身を全て出して、水抜きをする。全裸状態なのだが仕方がない。見物人もいない。

「ふう……出発早々、酷い目に遭った」

 しかし、津波が引いた後の風景を丘の上から見下ろして、その考えを改めた。丘の下の風景は一変していて、白骨死体があった中州も消滅していた。

(運が良かったという事か。丘に登らなかったら溺死していたな、これは)


 アララナから津波は一度だけでは終わらない場合があると聞いていたので、用心のために海岸へは下りずそのまま山腹沿いに北上していく。

(斜面歩きには慣れているから良いけどね……)


 実際その後、1メートルほどの低い津波は何度か襲来していた。マンモスたちも山腹に避難していたため、キビアルはさらに標高の高い場所まで登っている。

 南風が吹いて太陽の日差しが強くなってきているのを感じながら、足元の永久凍土層が溶けてグズグズになっているのを見てジト目になっている。

(洪水に注意しないといけないな……)


 幸い、ここには高原はなく火山だけだ。そのため酷い洪水は起きていない。しかし、氷河湖は小さいながらもあるため、それが決壊すると一気に鉄砲水となって襲い掛かってくる。

 聞き耳を立てながら山腹を歩いていき、沢は駆け足で通り抜けるキビアルだ。水の補給は地下水が湧き出す場所でのみ行っている。それでも突然の沢の増水に巻き込まれたりしているが……


 今も洪水に流されそうになって、慌てて岩にしがみついている。かなり北に来ているために、周囲には針葉樹林やシラカバは少なく、高山性の潅木ばかりだ。そのため以前のように、洪水で吹き飛ばされてくる流木に注意する必要はなくなっていた。

 そのせいもあって、少し緊張が緩んでいたのかも知れない。

(危険の察知って難しいな。地響きを聞いてから、すぐに走ったんだけどなあ……)


 沢の水位が急速に下がってきた。ほっとする。

(高原の下じゃないから、すぐに水が引くんだね。よしよし)

 それでも服と荷物がズブ濡れになっているので、脱水する羽目になったのだったが。こういう時、黒森の民の服は便利である。


 洪水に注意しながらの北上を続けていると、南の方角から轟音が鳴り響いてきた。思わず振り返ったキビアルの目が点になる。

(あ……噴火してる)

 南の空が真っ黒い噴煙で覆われていて、富士山型の火山の一つが噴火していた。しかし、噴火の規模はそれほど大きくないので、ほっとする。

(あのくらいだったら、帰り道に支障は出ないな。しかし、道を急いで正解だったね。2日遅れていたら、あの噴火に巻き込まれていた)


 そう喜んでいると、火山の一角が崩壊して斜面を真っ黒い雪崩状の火砕流が下り始めた。ジト目になるキビアルである。

「えええ……マジですか」

 火砕流は真っすぐに東の海に突入して、盛大に水蒸気を噴き上げた。さらに、南から石が降ってくる。噴火によるものだろう。キビアルの足元にも親指の爪サイズの石が落ちてきた。急いで、背負い袋を頭の上に乗せる。

「おいおい……」


 キビアルのいる場所にも、地鳴りと共に轟音が聞こえてきた。ため息をつくキビアルだ。北の空に視線を向ける。

「むむむ……急いで戻る必要はないって事だね。黄昏の大地で越冬する場所を探すとするか……」


 火山の噴火は翌日には収まってきた。北へ向けて山腹を進みながら、時々振り返って南の空を見上げる。噴火特有の雲はかなり小さくなっているので安堵する。

(一回だけ越冬すれば、通行できるようになっていそうだな。そうであってくれ)


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