出発
いきなり無言で出発するのは失礼なので、律儀に泊の住人全員にこれから北へ向かうと知らせて回るキビアルであった。黒森の民であれば、こういった挨拶は不要なのだが……
(高原の民は団結力が強いから、ちゃんと知らせた方が良いよね。この大地は彼らの領分なんだし)
などと理屈をつけているようだが、要はアララナの事が気になって仕方がないための行動でしかない。
「おう。もう北へ行くのか。黄昏の大地の情報を楽しみにしてるぞっ」
ラリク族長がご機嫌な表情で、キビアルの背中をバンバン叩いて激励している。他の住人からも似たような事をされて、干しサケを持たされた。それらを背負い袋に詰め込みながらアララナの姿を探す。
間もなくして、本人が苫の中から出てきた。右指にヨモギ団子のペーストを塗ったばかりの様子で、人差し指が黄緑色になっている。
「あたしなら、この通りもう大丈夫です。逃げるように出発する必要はありませんよ、キビアルさん」
あうあうと恐縮しているキビアルを、とりあえず放置してラリク族長たちに事情を話し始めるアララナであった。
「……という事故が起きました。薄片には毒があるそうですので、子供たちが誤ってケガを負うと大変です。ですので、キビアルさんには薄片を捨てに行ってもらいます。構いませんよね? ラリク族長」
何となく事情を察したラリク族長が了承した。あくまでもコワモテ顔を維持しているが、目元が少し笑っているような。
「危険物は泊に不要だな。アララナとキビアルの申す通りである。早々に薄片を捨てに行くよう、族長からも命令する」
素直に恭順するキビアルだ。
「拝命しました。人の手に触れない場所へ薄片を捨てに行ってきます」
この段階になると、族長以外の泊の住人も察したような表情になった。そんな視線を浴びて、顔を再び赤くしたアララナがキビアルに微笑む。
「無事に戻って来てくださいね。黄昏の大地の情報を心待ちにしています」
キビアルがようやく落ち着きを取り戻して、アララナにも恭順した。
「はい。たくさんの石を持ち帰りますね」
アララナが少し考えてから、キビアルに聞く。
「この先は山道です。荷物は少しでも軽い方が良いでしょう。何かここへ残しても構わない物があれば、あたしが預かりますよ」
キビアルも少し考えてから、うなずく。
「……そうですね。実は、俺とは別の黒森の民の遺品を持っています」
そう答えてから、夏だけの草原の南にあった泊の話をした。
「多分アウルという人と、その仲間の遺髪だと思います。遺品もいくつか。軽いので荷物にはならないのですが……誰か溺れ谷の泊へ行く人が出るかも知れませんね。その方に遺髪と遺品を届けてもらえると助かります。俺がゴミ捨てから戻るのは、まだ先になりそうですし」
キビアルが背負い袋の中から小さな皮袋を取り出し、それをアララナに手渡した。真面目な表情で受け取るアララナだ。
「分かりました。南方へ旅する人がいたら頼んでみますね」
キビアルが再び荷物を背負って、軽く微笑む。
「一つ肩の荷が下りました。では、ゴミ捨てに行ってきますね。石の土産に期待してください」
キビアルはその足で北へ向かった。泊は丘陵地にあるため、間もなくキビアルの後ろ姿は丘の向こう側に入って見えなくなった。それでも、ただ一人ずっと見送っているアララナに、ラリク族長が声をかけた。
「済まないね、アララナ。石数えの育成が終わるまでは、ここに居てもらわないと困るんだよ」
アララナがようやく振り返って、少し寂しげな笑みを族長に返す。
「分かっています。数年後、キビアルさんが戻ってくるまでに育成を終えるようにしますね」
そう答えてから、ヨモギ汁まみれの右の人差し指を太陽にかざした。毒は全て洗い流されたようで、傷口に異常は見られない。
「酷い置き土産も、こうして頂きましたし」
ここから先は未踏の大地になります。
イメージとしては北欧のA Tergo Lupiという楽団が演奏しているLeadenのような雰囲気ですね。
ttps://www.youtube.com/watch?v=xANYzv2YC7s (冒頭のhを抜いています)




