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毒打根の猟

 追い込み猟にはキビアルも参加した。言葉の問題は特になかったので内心で驚いている。

(本当に賢い民なんだなあ。黒森の民の言葉を皆が話しているよ。移住する準備は万端だったんだね。洪水さえ起きなければ、俺の溢れ水の泊にも大勢やってきたんだろうなあ……)

 実際は、キルデ率いる10名だけだったが。


 今回の追い込み猟は数頭のマンモスの群れだった。洪水や津波などで負傷して弱っているマンモスを狙って追い込んでいく。追い込み先は前もって決まっていて、沼に追い込んで沈めて身動きを封じるという作戦だ。


 マンモスの情報は既に物見によって収集されていて、アララナが石にしていた。それを基にして狩りの計画が立てられている。今回はキビアルを含む男たち10名の動員だ。群れから対象のマンモスを引き離す役目は、女子供たちと老人が数名選抜されて担当していた。


 彼ら追い手がマンモスを手際よく群れから引き離して一頭だけにし、キビアルたち狩り手に引き継ぐ。流れるような手際で、負傷して弱っているマンモスが一頭、沼地に追い込められた。

 キビアルが打根を投擲器に装着しながら感心している。

(凄いな……マンモスってヒグマを踏み潰すほど凶暴なのに)


 狩り手が合図とともに一斉投射した。毒を塗った打根がマンモスに突き刺さっていく。弓矢であれば射程が30メートル以上確保できるのだが、打根の場合は15メートル以下だ。こうして追い詰めないと攻撃できない。


 しかし、マンモスはヒグマよりも巨体なので倒れない。それどころか、突撃して逆襲をしてきた。

「うひゃ!」

 慌てて地面に転がって、突撃から回避するキビアルたちである。しかし、この反撃は予想していた様子で、特にパニックに陥ってはいない。冷静に逃げ回っている。

(毒が回るまで、こうして時間稼ぎをするのか……大変だけど、まあ仕方がないよね)

 大汗をかいて走り逃げ続けていく。


 そして1時間後――ようやく毒が回ったようだ。マンモスが泡を吹いて膝をついて動かなくなった。ほっとして、走るのをやめるキビアルたちである。

 さらに追い打ちの毒打根を投射してから、石斧に持ち替える。

(むむむ……ヒグマ狩りの時よりも毒の回りが早いぞ。この泊で使っているトリカブトって、さらに猛毒なのでは)

 以前にヒグマ相手に毒を使用した際では、ヒグマが死んだのは翌日以降だった。1時間ではない。毒を塗っている石斧の石刃を、冷や汗をかきながら見つめる。

(くれぐれも手を切らないように注意しておこうっと。人間だと多分、即死だろうな)


 動かなくなったマンモスに対しては、狩り手が両足の腱と膝裏にある動脈を石斧で叩き切る。こうする事で万一の逃亡を未然に防いで、失血死を誘導する。

 鉄製の斧や槍であれば分厚い毛皮を貫いて心臓を破壊する事も可能なのだが、石斧では無理だ。


 さらに当時は荷車も発明されていないので、獲物の解体作業は現地で行う。これは追い手が担当する。

 毒打根や毒石斧が命中した部位は赤黒く変色している。食べると毒にあたるので、丁寧に石刃で変色部位を除去していく。この部位はクズ肉として扱われる。


 狩り手も半数ほどが解体作業に参加して、残りはヒグマを警戒する。

 オオカミやキツネ、クズリたちには、解体中に生じたクズ肉を投げ与えている。ワタリガラスやカモメも群れをなして飛んでくるが、彼らに対しては無視している。


 キビアルもヒグマ警戒をしつつ、クズ肉を投げていた。毒が含まれている部位もあるのだが、オオカミたちは平気だ。鳥も同様である。

(さすが北の大地の住人だねえ。こんな猛毒でもあたらないのか)

 オオカミについては、こうして餌を与えると恩恵がある。泊を彼らの縄張りの中にする事が可能なのだ。ヒグマ除けの番犬のような役目をしてくれる。もちろん犬ではないので、決して人には懐かないが。


 解体作業は順調に終わり、背負い袋に詰めて泊へ運んでいく。

 解体跡地には血や骨、胃腸の内容物が残る。そのため、人が去った後にはオオカミがやって来ての饗宴その二が始まる。これにはワタリガラスやカモメも強引に参加してくるので、かなり騒々しい。

 その喧噪を遠巻きにしてじっと見つめているのはキツネだ。クズリは問答無用に突撃していって、オオカミとバトルを繰り広げている。


 キビアルたち警戒班は最後まで残っていて、饗宴その二を見物していたのだが……無事に肉が泊に到着したという知らせを聞いて、撤収を始めた。

「ヒグマは見当たらないね。良かった良かった」



 狩りではこのようにトリカブト毒をよく使うので、その日の夕方に補充する事になった。ここの泊でも近くにトリカブトとヨモギの群落がある。植えたのだろう。

 そのトリカブトの新芽を摘み取っていくキビアルが、まじまじと葉を見つめた。

(なるほど……かなり小さな葉だね。白っぽい)


 草団子づくりは皮の手袋をして行う。高原の民は手袋をつくっているので、羨ましく思っているキビアルだ。

(いいな、これ。作り方を学んでおこうっと)

 黒森の民はそれほど裁縫技術が発達していないため、手袋をつくっていなかった。しかし、これで防寒対策が向上するだろう。


 団子をまとめるために、ここではホッキョクジリスの獣脂を使っていた。地形のせいなのか、この泊の周辺ではハタネズミよりもホッキョクジリスの方が多い。

 団子は専用の小袋に入れて保管する。必要に応じて取り出して、石刃に塗ったり柄との隙間に詰めて使用する事になる。



 高原の民はもっぱら陸上の獣を狩っている。そのため海獣の狩りはそれほど熱心ではなかった。キビアルだけが残念がっている状況だ。

「むむむ……アザラシって獣脂が多いし、皮を浮袋にできて便利なんだけどなあ」

 マンモス猟が成功したので食糧は充分にある。そのため、泊の住人は海獣狩りに興味を示してくれなかった。唯一、アララナだけが苦笑しながらもキビアルに同行してくれている。

「キビアル君の身元引受人ですしね、あたしって」


 当然ながらキビアル一人では、大した成果は挙げられない。

 子供や小さなメスのアザラシやアシカの頭を狙って、毒打根を投擲して狩っている。しかし、毒打根が突き刺さっても即死には至らないので、海中へ飛び込んで逃げてしまう。

 それを想定して、打根の根元に皮紐を取りつけていた。さらに打根が抜けないように、打根の柄に「返し」をつけている。


 これが効果を発揮して、海中で毒が回って死んだ獲物を紐を引いて海上へ引き上げている。しかし、大汗をかいているキビアルである。

「ひ~……重い~」

 アララナがクスクス笑いながらも、皮紐を引く手伝いをしてくれた。キビアルと一緒に引きながら、周囲を警戒する。アザラシの群れはキビアルたちを嫌って海上へ逃げ去っていたが、十数メートル先にはトドの群れがいる。

「体が大きいオスのアザラシやオットセイでは、この狩りの方法は通用しないと思いますよ。返しをつけていても、抜けてしまうでしょう」


 キビアルが子供のアザラシを陸上に水揚げして、大汗を長袖で拭いた。

「ふい~……何とか狩れました。アザラシ狩りって、いつもは数人がかりで行っているんですよ。トリカブト毒を今回使うので、いけるかなーと期待してたんですけど……さすがに二人だけだと厳しいですね。この先の一人旅では改良しないといけないなあ」

 念のために、アザラシの頭を石斧で殴っておく。その後は、再び苦労しながら周辺にトドがいない場所へ運んで、解体を始めた。


 アララナはキビアルの作業を見守っていたのだが、小首をかしげて軽いジト目になった。

「……磯臭いですね。あまり美味しくないように見えるのですが」

 解体を続けながら、キビアルがアザラシの赤身肉を一口サイズで切り取る。それを自身で味見してから、もう一つの赤身肉をアララナに差し出した。

「海の獣ですしね。食感はトナカイの肝のような感じですが、意外とアッサリした風味ですよ」


「……そうなんですか? で、では……」

 一口サイズの赤身肉を受け取ったアララナが、恐る恐る口にした。その表情がキョトンとしたものに変わっていく。

「あらら……意外と癖がないんですね。特有の獣臭さはありますけど、それほど気になりません。食感は確かに肝のような感じかな。でも肉らしい弾力がありますね」


 キビアルが解体を続けながら、ほっと安堵の表情をしている。アザラシは頭を切り落としてから、内蔵を全て引き出す。その後で石斧の柄でアザラシの胴体を叩いて肋骨を折る。この際に皮は傷つけない。

 アザラシが中空になって肋骨が折られた後は、皮を丁寧にはぎ取っていく。その後は、関節に石刃を当てていきながら部位を切り離していくという流れだ。

「高原にはアザラシなんて棲んでいませんしね。拒否反応は出ていないみたいですので、良かったです」

 今は内蔵を切り分けている。糞が入っている腸は捨てていく。

「あー……ですが、やはり癖があるんですよ。一度に多く食べると気分が悪くなったり、鼻血が出たりする場合があります。その点だけ注意してくださいね」


 アララナは2切れ目の赤身肉を手にしていたのだが、了解して3切れ目には手を伸ばさなかった。

「そ……そうなんですか。口当たりが良いので、食べ過ぎてしまいそうになりますね。気をつけます」


 てきぱきと解体を終えて、いくつかの皮袋に詰め込んだキビアルが海岸を見つめた。外洋に面しているだけあって、岩と石だらけのゴツゴツした浜辺である。ただ、海流と風向きが良いのか、それほど白波は立っていない。

 その荒々しい浜辺には流木が多数漂着していた。しかしどれも海中で腐敗が進んでしまったらしく、樹皮がはげ落ちて、白っぽい木材部分しかない。それらを見ていたキビアルが軽く若ハゲ頭をかいた。

「真っすぐな流木が結構あるな……これなら船をつくる事ができるかも」


 アララナが目を輝かせている。

「船……ですね? どういうものですか?」

 高原にも川や湖があるので、キツネなどの皮でつくった浮袋を束ねたいかだは使うらしい。


 キビアルが皮袋を担いで、明るく微笑んだ。

「南の民が使っている、海を進むための乗り物です。後で試作してみましょう。その前に、この獲物を泊まで持ち帰らないと」

 既にカモメの群れが二人を取り囲んで騒いでいた。解体で出たゴミを狙っている。

 アララナもカモメの群れを見て、軽く肩をすくめた。

「そうですね……あたしも袋を一つ持ちますよ」


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