婚約破棄は日常茶飯事
「ええい、うるさいうるさいっ!もうお前との婚約は破棄する!」
「はい、かしこまりました」
王太子殿下に淑女の礼をとり、くるっと後ろを向いてさっさと歩き出す。
王宮のテラスで殿下に少々注意をしたら婚約破棄を言い渡された。
家からの迎えが来るにはまだ早いので図書室へ向かう。
廊下で王太子殿下の妹君である王女殿下とその侍女に遭遇する。
「あら、もしかしてまた婚約破棄されましたの?」
にこやかに尋ねてこられる王女殿下。
「ええ、そうですの。帰るにはまだ早いので図書館で時間をつぶそうと思いまして」
「ふふふ、貴女もあのお兄様の相手は大変でしょう?」
「いえ、子供の頃からなのでもうすっかり慣れておりますわ」
王女殿下と侍女は楽しそうに話しながら去っていった。
図書室に入るとすぐに司書の男性と目が合った。
私のお爺様と同世代くらいで、白髪に眼鏡の細身でダンディな方だ。
「おやおや、また婚約破棄ですかな?」
「ええ、そうですの。家から迎えが来るまでまだ時間がありますので、少しお邪魔させていただきますね」
「ごゆっくりどうぞ。それにしても殿下も困ったものですなぁ・・・まぁ、それだけ貴女に気を許しておられるということなのでしょうが」
「ふふふ、そうだといいのですけれど」
本を選んでいつもの席に座る。
あっという間の本の世界に入り込む。私はこの時間が好きだ。
時間が経つのも忘れて読みふけっていると迎えが来たとの知らせがあり、名残惜しいけれど本を片付けて家路に就いた。
翌日も王宮へ向かったが、王太子殿下の元へは行かずに図書室に直行する。
今日はマナーの授業があるが、それ以外は昨日の本の続きをじっくりと楽しむことができる。
授業を無難にこなして読書を楽しみ、王太子殿下に一度も会うことなく帰宅した。
王太子殿下の婚約破棄宣言から3日後。
いつものように図書室で本を読んでいると王太子殿下がやってきた。
「・・・その、この間はちょっと言い過ぎた。すまなかった」
小さな声で謝る殿下に私は笑顔で答える。
「私は気にしてはおりませんわ」
これでいつものように仲直り完了。
王太子殿下が私と婚約した6歳の頃から数え切れないほど繰り返されている王宮の日常風景なのだ。
王太子殿下は言葉遣いから一見乱暴そうに見えるが、実は繊細で自分に対する感情に非常に敏感な方だ。
だから心を許せる人は限られている。
身分のこともあり、何かよくないことをした時に注意できる者も限られていて、なぜかたいていは私がその役割を担っている。まわりの大人がもっとしっかりしてほしい・・・と子供の頃からよく思ったものだ。
殿下の婚約破棄宣言も最初のうちこそ大騒動になったが、あまりに繰り返されるのでみんな慣れてしまった。一部で今月は何回あるか賭けの対象になっているとも聞いている。
隣国の王族が我が国を訪れたので歓迎式典とパーティが催され、私も王太子殿下の婚約者として出席した。
歓迎式典は問題なかったのだが、パーティでの先方の言葉は悪意と見下しで棘だらけだった。
それを敏感に感じ取った殿下の態度も決してよくないものだったので、これはあとで注意しなければと思った。
パーティが終わり、控え室に向かう廊下で王太子殿下に声をかけた。
「先方の態度がよろしくなかったのは確かですけれど、殿下のあの態度もいけませんわ」
「ええい、うるさいっ!もうお前との婚約は破棄するぞ!」
いつもならここで「かしこまりました」と即座に答えるのだけれど、今日の私は何も言えずにその場で倒れた。
「大丈夫かっ?!しっかりしろ!」
王太子殿下やお父様が必死に私に呼びかけているのはわかるのだけれど、全身に激痛が走って声も出ない。
そして私はそのまま意識を失った。
「・・・ここは?」
目が覚めるとベッドの上にいた。
なんとなく見覚えがある部屋だが、どこだったかすぐには思い出せない。
「気がついたか。ここは王宮の客室だ。丸一日眠っていたぞ」
お父様がベッドの脇の椅子に座っていた。
「気分はどうだ?身体の痛みはないか?」
「・・・まだあちこち痛みますが、気分はそんなに悪くはありませんわ」
お父様が私の手を握る。なんだかつらそうな表情をしている。
「すまなかった。もっと早く気づいていれば、ここまでひどくなることはなかったんだが・・・」
「いいえ、お父様。これも私の役目ですもの。私、ちゃんとお役に立てましたかしら?」
「ああ、もちろんだとも」
お父様の表情が少しだけ緩んだ。
「元凶はすでに排除したから安心していい。この件については帰ってから詳しく話すが、国王陛下からしばらくこの部屋を使っていいとの許可はいただいてある。まずは痛みが引くまでは安静にしていなさい」
「はい」
私はうなずいた。
「そして王太子殿下にお前のことを話した」
「え?」
お父様の言葉に驚く私。
「殿下ももうすぐ成人の儀を迎えるので、国王陛下と相談してこの機会に話すことにした」
「・・・そうでしたか」
私は小さくため息をついた。
「後で殿下が見舞いに来るだろうが、その時にでも2人でじっくり話すといい」
「わかりましたわ」
お父様が帰ってからしばらくうとうとしていたが、ふと目が覚めるとさっきまでお父様が座っていた椅子に王太子殿下が腰掛けていた。
「・・・殿下?」
「すまない、勝手に入ってきてしまって。一応、お前の父上には許可をもらったんだがな」
「いいえ、気にしませんわ」
しばらく沈黙が続いたが、王太子殿下がつらそうな表情で口を開いた。
「・・・いつからなんだ?」
「え?」
「いつから俺に対する呪いをお前が受けていた?」
ああ、本当に聞いてしまったのですね。
「婚約が決まった時からですから・・・殿下が6歳の頃ですわね」
「何度もあったのか?」
「今回のように強力なのはさすがに数えるほどですが、弱いものはいちいち数えてはおりませんでしたわね」
「なぜだ?!自分の身を犠牲にしてまでそんなことを・・・」
「王家と王族を守るのが我が家の役割ですもの」
私は殿下に微笑む。王族を陰から支えることは我が一族の誇りなのだから。
「・・・知らなかったとはいえ、本当にすまなかった」
私は初めて王太子殿下の涙を見た。
ベッドの上で上半身をゆっくりと起こす。
正直に言えば身体はまだつらいが、これから話すことはさすがに寝たままというわけにはいかない。
「王太子殿下」
殿下の涙が止まるのを見計らって呼びかける。
「・・・なんだ?」
「私達の婚約を解消いたしましょう」
「なぜだ?!」
思っていた以上に驚く殿下。
「成人の儀を迎えれば王族である殿下も呪いなどに関してはご自分で対処できるようになる・・・と父から聞いております。これからは私がいなくても大丈夫ですわ。殿下のことを気にかけておられるご令嬢もたくさんおられますから選び放題ですわよ?」
私は微笑んで話しかける。
「・・・嫌だ」
逆に殿下はムッとした顔になる。
「正しくないことをした私をきっちり諌めてくれるのはお前しかいない。夜会などで会う令嬢たちの感情は正直気分が悪くなることが多いが、お前ならそんなことはない。それに・・・」
少しうつむく殿下。
「本当はお前のことは初めて会った時から笑顔がかわいいと思っていて・・・好きだったんだ。もう婚約破棄なんて二度と言わない。だから私の前からいなくならないでくれ」
「・・・本当に私などでよろしいのですか?」
「お前だからいいんだ」
殿下が初めて抱きしめてくれた。
「私も初めて会った時から好きでしたわ。ぶっきらぼうのようで実は繊細で優しい方だとわかりましたもの。でも成人の儀を迎えたら少しは態度も大人になってくださいませね?」
「・・・善処しよう」
私の身体を気遣って短い抱擁を終え、また来ると言い残して殿下は部屋を出て行った。
私は再びベッドに身体を横たえながら考える。
これからは何かあったら私が婚約解消を切り札にしようかしら?