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第一話 旅は道連れ

1

 『やばいな……』


 アリア・ブラッドレーは朦朧とする意識の中、気力を振り絞る。視界に映る景色はぼやけ、どこか現実味がなくなってきている。狭まる視界に抗い目を開こうとするが、身体は言うことを聞いてくれない。

 何故こうなった?こんな時訓練ではどうしてた?事態を打開しようと考えを巡らせていると、ふと軍隊にいた頃を思い出す。ああそうか、あの時は仲間がいて、互いに叱咤激励して乗り切っていたな。皆元気だろうか。

 既にアリアは正常な思考が出来ていなかった。混濁する意識は現実ではなく、過去の思い出を見ている。遂に身体から力が抜け、頭がガクリと下がる。


 「やべっ、まじで寝た」


 自分の脱力に驚いて、身体が目覚める。咄嗟に運転しているバイクのブレーキをかけ、周囲を見回す。

 アリアは睡魔と闘っていた。人っ子一人いない舗装された山道をサイドカー付きのバイクでノロノロと進んでいたのである。幸い速度が全く出ていなかったため、何事も無く停止する。眠気の理由はその遅すぎる速度にあるのだが。

 アリアは仕事のとある依頼を受けるためにイノリ村という小さな農村へと向かっている途中であった。イノリ村は地図で見る限り直線距離で百キロもなく、目的地までの道は舗装されているため、二時間もあれば目的地に着く予定でいた。しかし実際に向かってみると、森林地帯を大きく迂回し山中を通る道しか無く、倍以上の距離であり予定時間を大幅に越えていた。


 「あー、宝くじでも当たんないかなー」


 小市民なら誰しも考えるような現実逃避を口に出し、何とか眠気を払おうとする。

 このアリア・ブラッドレーと言う女性、こんな醜態ではあるが見た目はそれなりに良く、少し跳ねっけのある栗色の髪をショートカットにした凛々しい顔立ちをしている。女性にしてはやや高い背で、レンジャージャケットの上からボディアーマーを身につけているが、その様な無骨な出で立ちでさえ秀麗に見える。

 そんな少々変わった彼女であるが経歴も変わっている。彼女は若くして少尉に昇進した優秀な軍人であったが、その軍の辞め方が少し特殊なのだ。

 彼女は特に志があって軍人になった訳では無く、前期中等教育時に両親を亡くし金銭的な余裕が無かったため、奨学金と寮生活を目的に州軍の下士官養成学校を選んだだけである。ただ性に合っていたらしく、成績は優秀で、正式に軍隊へと配属されてからも多くの功績を上げることができた。また意外と勉強家で、昇進試験も着実にクリアしつつ、難関な資格も複数取得した。その結果二十二歳で少尉に昇進するに至ったのである。通常この年齢で少尉となる者は軍大学を卒業した幹部候補生だけで、一般兵が普通に試験を受け、普通に昇進するというのはかなり珍しいことであった。しかしこの少尉への昇進が軍隊を辞めるきっかけとなったのである。

 理由の一つは陰口である。異例ともいえる昇進は嫉妬と猜疑心を産み、一部で軍幹部の愛人という噂が立ったのだ。もう一つの理由はその噂を聞いた一部の将校が本当にアリアを愛人にしようと目論んだことだ。普通のアプローチだけならまだ良いが、業務命令として高級レストランで食事をさせられたり、出張の同伴を命じられたりしたのだ。しかもそれが休日返上だから溜まったものではない。元々彼女の本質は怠惰で、休みは寝て過ごすタイプである。たまの休日に着替えて化粧をし、偉そうな奴と食事をするなど苦痛以外の何ものでもなかった。途中から緊急対応をでっち上げて断るようにしたが、それでも誘いが絶えることは無かった。どうやら将校連中はアリアを愛人にできるかどうかを賭けの対象にしていたようなのである。そしてこれを知ったアリアは軍を辞める決意をしたのだ。

 ただアリアの場合、契約上十年以上州軍に所属する必要があり、簡単に辞めることは出来なかった。そこでアリアは軍隊を内部告発することにしたのだ。内部告発者は自発的な退役を許可されやすいためである。

 そして幸いにも誘ってきた男の中に軍上層部の不正について口を滑らせた者がいた。当人は武勇伝と脅しのつもりで語ったのだろうが、アリアからすれば渡りに船であった。

 結果、アリアはその情報を足がかりに軍内部の不正を調べ、告発は成功し正式に退役が認められた。ただ想定以上に不正の規模が大きく、良くも悪くも多くの人を巻き込んだため、アリアは仕方なく故郷を離れることになった。

 現在彼女は故郷から遠く離れた場所に自然保護官の事務所を構えている。自然保護官という職は、自然環境と密接な関係を持つ魔物、特に「霊魔」についての問題解決をする職業である。開業するにはいくつかの資格が必要であるが軍人時代に取得していた。数少ない軍人になって良かったと思えることの一つである。自分のペースで仕事をするため収入はかなり減ったが、納得いくまで仕事ができるため、それなりに楽しく、最近は信用も得てきている。問題があるとすれば、自分のペースで生きていけるため、仕事モードになるまで気を抜きすぎることだろう。そして今回も気を抜いたツケが回ってきている。


 「げ、ウソなんで!?」


 また眠気でぼーっとしていたアリアは燃料計を見て驚きの声を上げる。眠気が吹き飛んだ。既に燃料は底をついていた。トリップメーターから考えると目的地まではまだ十キロ以上の山道を進む必要がある。


 「私が何をしたっていうんだ……」


 芝居がかったように天を仰ぐ。まあ色々ケチったからだけど、と明確な心当たりに嘆息する。出発前に入れた格安燃料はドス黒い排気ガスを吹いていて見るからに燃費が悪かったし、途中で燃料補給しようと思っていた峠前のガソリンスタンドは割高だったのでやめてしまった。さらに持っている地図は山道を簡易的にしか表記していない安物で、正確な距離が分からない。それにサイドカーには大量の備品が積まれたままである。万が一に備えてと言い訳をしているが、その実、面倒だからである。最悪バイクを押して歩けばいいだろうと考えていたが、その時の自分を殴ってやりたい。


 「はあ、白馬の王子でも落ちてないもんかね」


 宝くじは購入していないため、買わなくてもいいモノに切り替えてみた。とりあえず足元辺りをキョロキョロしてみる。もちろん白馬の王子は落ちていない。落ちていても困るが。

 その時ふと後方から喧騒が聞こえた。ミラー越しに確認すると、緩やかに曲った道の端の方にチラリと白い馬が見えた。


 「まじか!」


 ちょっとした奇跡に目を凝らすと王子様ではなく、少女が二人乗っていた。

 「おしい!」と、指を鳴らす。それと同時にバイクのエンジンが完全に止まった。

 パンパンと燃料タンクを叩いてみるが当然動くはずもない。仕方なく路肩に寄せてバイクを止めると改めて後方を見る。白馬に乗った少女達はアリアに向かって何かしら叫んでいる。逆風で聞こえ辛い。


 「あ、あの子達油持ってないかな」


 アリアは相手の喧騒は置いておき、自分のちょっとした名案を口に出す。アリアのバイクは植物油を化学処理したものを燃料にしているが、実は食用油でも動かすことはできる。旅人の中には食用油を持ち歩く人も少なくないため、もしかしたらバイクを動かせるかもしれない。


 「恩とか買ってくれないかな?低級霊魔にでも追われてくれるとありがたい」


 アリアは手持ちが少ないことを思い出し、不謹慎なことを言いながら少女達を待つ。魔物や霊魔との戦闘ならそこそこ自信がある。恩が売れることを願って少女達を待った。


2


 今から三百年ほど前、世界は大きな転換点を迎えた。地球の支配者が人類ではなくなったのである。代わりに支配者となったのは神話や物語に出てくるような魔物達である。

 魔物が突然現れた理由は正確には分かっていないが、ある素粒子が発見されたことがきっかけとされている。

 この素粒子は脳波に共振し近接する原子の挙動に影響をあたえるというものであった。しかも研究が進むにつれて「こうなってほしい」と念じると、それを実現しようとする挙動を見せることがわかってきた。もちろん荒唐無稽なことは実現されず、発生させたい事象について、具体的、科学的に想像する必要はあったが、起こりうる事象であればその発生確率を上げることが出来たのである。

 では何故これまでこの現象が確認されなかったかというと、念じた者がこの素粒子の存在を認識している必要があったからである。

 この素粒子の発見は念じるだけであらゆる事象を操作できると期待され、各メディアでも魔法を現実のものに出来るとされ、「魔素」という愛称を付けられて多くの人に知れ渡るようになった。

 しかし現実には確率を上げられるといっても、詳細に測定して僅かに確認できる程度でしかなく、しかも念じる者によっても結果に大きな差があったため、実用性はまだまだ夢のまた夢であった。

 さらにこの魔素の発見は思わぬところに影響が起きていた。魔素の発見以降、幽霊や悪魔、妖精や妖怪などの魔物を見たという例が激増したのだ。この目撃場所の多くが「曰く付き」の場所であることから、魔素が人間の恐怖心に反応し具現化したものと噂された。そしてこの悪い噂は瞬く間に広がり、それに比例して目撃例も増え、遂にはその魔物に襲われる事例まで発生してしまう。

 各国でこの魔物の対応は分かれており、存在を認めて公表してしまうとより魔物が増え、被害が増すと考える国もあったが、発生した魔物を漠然とした存在として、人々に不安を与えるよりも、明確に存在を定義させた方が対応しやすく、人々も安心しやすいだろうと、名称を「霊魔」とし、「魔素が作り上げた虚像」と定義した。

 霊魔の存在は世界中に混乱をもたらしたが、霊魔からの被害よりも、人が犯す犯罪の方が圧倒的に多く、次第に霊魔の増加率は緩やかに下降していった。しかしある大災害をきっかけに霊魔の存在がより強い力を持つことになる。

 北太平洋の海底で大規模な火山の噴火が起きたのである。この噴火活動は凄まじく、ほんの数日で日本列島の二倍近い面積の巨大な島が作られるほどであった。この地殻変動は世界各地に地震や津波、それに伴う食糧危機など多大な被害をあたえた。この恐怖と絶望がより多くの霊魔を生み出す要因となったのか、これまでとは比較にならない数の霊魔が顕現し始めたのだ。

 このときに顕現した霊魔は、伝説や神話で描かれた姿をしているものが多く、明確な意思と人知を超えた強さを持っており、そして人間に対して敵対的だった。

 人類はこの霊魔達に苦戦を強いられる。まず普通の生物では無いため、頭や心臓を撃ち抜いても死ぬことが殆ど無かった。さらに霊魔達は魔素の使い方に長けていた。毒やウイルスを生成して生物を殺し、核融合を起こして街を破壊した。そして最も脅威となったことは電波妨害である。魔素を電磁波のように発信して通信を妨害し、精密機器を破壊した。特に無線通信が出来なくなったことは致命的であった。各地の情報を得られなくなった人類は少しずつ分断され蹂躙され数を減らしていったのだ。

 それでも絶滅を免れたのは、これも霊魔の恩恵である。神のような人に友好的な存在も現れはじめたのだ。人類はそういった強力かつ友好的な霊魔の庇護下にて細々と暮らすようになったのだ。

 そして長らく霊魔達と暮らしていく中で人類は霊魔に対する武器を見つけていた。一つは文字通り倒す手段である。霊魔は魔素により存在を確立しているため、魔素の情報を書き換えれば消滅させられたのだ。そしてその方法として近接的な攻撃が有効であった。簡単に言えば直接殴った方が倒しやすいのだ。

 そしてもう一つは交渉である。霊魔は高い知能を有していたが、意思疎通が出来なかった。これは人間が霊魔の意思を読み取れなかったためである。しかし友好的な霊魔の登場により、意思疎通の方法をいくつか確立出来るようになり、交渉が可能となったのだ。霊魔の多くは人の存在を見下していたが、人間の文化や技術に興味を示す者もおり、敵対的だった霊魔を説得し、より人間が住みやすい環境へと変えていくことに成功したのだ。

 そして人類は新たに住める場所を見つけていた。そこは地殻変動により新しく生まれた巨大な島である。その島は「エンペランス島」という名前が付けられていたが、出現した当時は岩石島で、生物が住めるのは数百年先と言われていた。しかし数十年後に人類がその島へと向かうと、木々の生い茂る肥沃な島となっていたのだ。どうやら霊魔達が自分の好みの環境へと成形したようなのである。

 もちろん如何に自然豊かだからといって、それほどの霊魔が存在する場所に好き好んで移住する訳では無い。それでも住む場所を追われ、やむを得ずこの島へと渡る人間も多く、そして運良く住むことを許された者たちがいたのである。

 それからさらに数百年が経ち、このエンペランス島に移住した人類はふてぶてしく数を増やしていた。当初は小さな集落が点在するだけであったが、少しずつ霊魔と交渉を行い、道を作り、開拓地を広げ、遂には国を作るまでになった。この国は五十程の州からなる連邦王国で、霊魔からの無理難題を次々に解決した者を国王に擁立し、それぞれの州は国王が任命した者に統治させることとした。統治者の役目は霊魔の意向を聞き、統治の方針を決めるもので、どちらかというと「押し付けられた」役目であった。そこで民衆は統治者に貴族という地位を与え、役目に励むようにさせた。しかし時が進むにつれ、貴族はその役割を忘れ、ただ悪政を敷く者や、侵略戦争を起こす者まで現れ、国の存亡を危ぶむ声も上がっている。


3


 時間は少し戻り、アリアが眠気と格闘している頃、その少し後方でもう一つの争いが起きていた。


 「ちょっ、まっ、シャル!増えてる、増えてる!」


 森の中を二人の少女を乗せた白い馬が駆けている。少女の一人はデニムのオーバーオールを着た幼い顔立ちをした少女で、赤みを帯びた金髪をおかっぱにしている。もう一人はエプロンドレスを着た十七、八歳位の切れ長の目に眼鏡をかけた細面の少女で、黒い髪をシニヨンにしている。

 その二人が乗った馬を大型犬の群れが追いかけていた。馬は獣道という悪条件の中でもかなりの速度で駆けているが、犬も至るところから集まってきており、振り切ることができない。


 「おお、すごい!すごいよ、アンちゃん。多分これクー・シーがヘルハウンドを指揮してる!こんなの普通見られないよ」


 シャルと呼ばれた幼い顔立ちの金髪の少女が統制を取りながら追いかけてくる犬を見て、満面の笑みを浮かべている。


 「ばっ、ちげーよ、はしゃぐとこじゃねーよ、危険が危ないってやつだよ。普通見られないって言うか、見たら死んじゃうやつだよ」


 アンと呼ばれた娘が涙目で叫ぶ。整った顔が恐怖で歪んでいる。

 追いかけている犬はどれも大きく、中には子牛ほどのものもいる。シャルの見立てでは暗緑色をした長い毛を持つクー・シーと、黒い毛に赤い目をしたヘルハウンドの二種類がいるようである。どちらも実際の犬では無く霊魔である。魔犬は近づくたびに馬の足に噛み付こうと牙を剥くが、それを馬は上手く躱して逃げている。


 「ああ、私が何したって言うんだ!」


 アンが涙ながらにつぶやく。


 「森に入ったからでしょ?」

 「わかっとるわ!そもそもお前が近道とか言ってずかずかと森の中に入っていったんだろが」


 アンがシャルのほっぺたをつねる。


 「いひゃい、いひゃい。まあ、もうちょっとで森を抜けるから大丈夫だよ」


 シャルがほっぺたをさすりながらアンをなだめる。


 「ほ、本当かよ?」


 アンが後ろを見てこの世の終わりのような顔をする。犬は長蛇の列を作っており、二十匹を超えている。


 「たぶん」


 シャルも後ろを見て、目を逸らす。


 「おいっ!目を逸らすな!絶対と言い直せ!絶対に大丈夫と太鼓判を押せ!」

 「アンちゃん、世の中に絶対は無いんだよ?」

 「そういうことじゃねー!」


 アンはシャルの髪をくしゃくしゃにしながら叫ぶ。


 「はいはい。落ち着いて。クー・シーの声からすると、森から追い出すことが目的みたいだから森から出れば大丈夫だと思う。けど、興奮して追いかけるのが楽しくなってる子はずっと追いかけてくるかもねー」


 シャルは腕を組みながら現状を分析する。ちなみに馬の手綱は誰も握っていない。そもそも手綱自体が無く、馬が独自の判断で走っている。


 「かもねー、じゃねー!何とかしろー!何とかしてください、お願いします!」


 アンがシャルの両方のほっぺたをつねりながら懇願する。すると馬がヒヒンと軽く嘶いた。


 「スレイが『心配するな、逃げ足だけなら誰にも負けないぜ』、だって」


 シャルがつねられながら言う。スレイとは馬の名前である。


 「頼もしい、格好悪いセリフだけど頼もしいよ。お前だけだよ私の味方は」


 アンが泣きながらスレイの首筋を撫でる。


 「まあねー、逃げるだけならスレイにまかせておけば逃げられるよ」

 「逃げるだけなら?」


 アンはシャルの意味深げな言い回しにも素直に反応する。


 「このまま、町に逃げ込んだら歴史に名前が残る」

 「どのように?」

 「魔獣を引き連れた侵略者」

 「ばかー!だから森の中なんて入らなきゃよかったんだー!どーすんだよー!つーか、追いかけて来ないって嘘じゃねーかよー」


 アンが再び騒ぎ出す。


 「んー、じゃあ、はい」

 シャルは少し考えて、腰のポーチから金属製の筒を取り出しアンに渡す。


 「何これ?」

 「スタングレネード」

 「よし、任せろ」


 アンは早速スタングレネードのピンを抜こうとする。


 「わー、待って。まだ早い。今使うと直ぐ復活して追いかけてくる」


 シャルはまだまだ増える犬を見ながら話す。


 「やだ!今使う!」

 「だめ!一個しかないんだから。もう少し我慢して!あと少しで街道に出るから、そこで使って!」

 「その瞬間に使えば追いかけてこない?」

 「たぶん」

 「コノヤロウ」


 アンがシャルの両方のほっぺたをまたつねる。先程よりずっと強くつねっている。


 「いひゃい、いひゃいよ。でもこればかりは絶対は無いから。それでも森を出てまで追い続ける可能性は低いと思うし、数匹なら振り切れるでしょ」


 シャルが頬をさすりながらアンをなだめる。


 「もー。しょうがない、腹括った! 森を抜ける直前、3、2、1で使うぞ。スレイ、気をつけろよ!」


 アンがそう言うと、スレイも了解の嘶きをし、少し速度を上げる。今まで泣き顔だったアンの表情が引き締まり、視線を進行方向へと向ける。周りの状況を観察し、スレイの動きに感覚を合わせていく。目の前に森の出口が迫ってくる。


 「3、2、1!」


 二人と一頭が森を抜けた瞬間にバンという音と共に閃光が走る。背後では、一斉に犬の悲鳴があがる。ちなみにスレイは器用に耳を伏せ、目を閉じ被害を最小にしている。


 「おお、流石アンちゃん、完璧なタイミング!」


 目を眩ませたシャルが目を押さえながら褒め称える。森を抜けると、軽い登り坂から舗装された街道へと続いている。ガードレールを軽く飛び越え、街道に出るとスレイの速度も一段と速くなる。


 「やばいっ!まだ追いかけてくる!」


 アンが確認すると、まだ二匹だけ追いかけてきている。


 「大丈夫じゃない?ワンちゃんから殺気みたいなの感じないから、たぶん本能的に追いかけてるだけ。そのうちあきるよ」


 シャルは瞬きを何度もしながら冷静に説明をする。


 「何がワンちゃんだ。まあ、何となく引き離してる感はある」


 アンが改めて振り返り犬との距離を目算する。既に百メートル以上引き離しており、さらにその距離は広がっている。


 「助かった〜」


 アンはぐったりしながら、シャルを抱きしめ、髪に頬ずりをする。


 「ちょっ、やめてよアンちゃん」


 シャルがくすぐったそうに身じろぎをする。


 「いいじゃない、減るもんじゃなし」

 「減るの!背が伸びなくなるの!」

 「それはいいことを聞いた」


 アンはシャルの抗議を気にも止めず、頬ずりを続ける。

 シャルは今回森に入った負い目からか仕方なく抵抗を止める。と、


 「アンちゃん、大変!」


 シャルが前を見ながら驚きの声を上げる。


 「そんなこと言ってもやめなーい」


 アンが前も見ずに完全に気の抜けた返答をする。


 「ホント、まずい、人がいる」


 シャルが指を差す先に、街道を走るサイドカー付きバイクが走っていた。迷彩服を着た女性が乗っている。


 「げっ」


 アンもバイクの姿を確認すると、急いで後ろの様子を見る。先ほどよりもさらに引き離しているが、それでも未だにヘルハウンドは追いかけてきている。


 「あー、しつこい!」


 アンがヒステリックに叫ぶ。


 「とにかく、バイクの人に速度出して逃げてもらうようにお願いしよう!」


 そう言うと、シャルが大きな声で前のバイクに呼びかける。


 「すみませーん、逃げてくださーい。後ろから魔物が追いかけてきてまーす」

 「おーい、速度上げてー」


 アンも声を上げて注意を促す。

 すると前のバイクは何故か速度を上げるどころかスピードを落とし路肩で止まってしまう。こちらを見ているため、気付いてはいるようだ。


 「あー、なんで止まんのよ!逃げて、逃げてー」


 アンが焦れったそう言うと、再度逃げるようにと叫ぶ。


 「まだ遠いし上手く聞こえて無いのかも。スレイ、あの人の隣に近寄って」


 シャルがそう言うと、スレイは更に速度を上げ、バイクの方へと向かった。


4


 アリアはバイクを止めて、騒いでいる少女達の声を集中して聞いてみる。どうやら逃げろと言っているようだ。少女達のさらに後ろを見るとどうやらヘルハウンドに追いかけられている。

 恩が売れるかもしれない。この辺りにヘルハウンドが出ることは事前に確認済みで対策も用意しているのだ。だが流石に見知らぬ人にヘルハウンドを倒してくれと依頼することはないだろう。

 そこでアリアは、ヘルハウンドの進行方向に割り込み、強引に撃退するプランを練り上げる。もしも少女達が自分を素通りしたら諦めてヘルハウンドに八つ当たりをすることに決めた。

 そう自分勝手なプランを立てていると、白馬の少女達はアリアの前で止まってくれた。


 「あの。すいません、後ろから犬の魔物が追いかけてきてるので、早く逃げてください」


 金髪の美少女が泣きそうな困ったような顔で警告をしてくれた。


 「ありがとう。でもちょっとコイツでは逃げるのは難しいかな」


 アリアは、バイクを親指で指しながらウインクをしておどけてみせる。ガス欠を格好良く演出してみる。


 「じゃあ、じゃあこれで……」


 少女が鞄を開けて何かを取り出そうとする。しかしアリアはそれを手を上げて遮り、サイドカーから取り出していた軍刀を見せる。


 「大丈夫、ヘルハウンド程度なら簡単に撃退できますよ」


 アリアは軍刀を僅かに抜いて少女に刀身を見せる。恩を押し売る気満々である。少しずつヘルハウンドの鳴き声が聞こえてきた。


 「あ、でも、でも、ごめんなさい、あの子達、多分私のせいで、私が森に入ったから怒って追いかけてきてるから……」


 少女が泣きそうになりしどろもどろでアリアを止めようとする。


 「ああ、なるほど」


 そう言うと、アリアはサイドカーに軍刀を押し込み、代わりに薪用の木の棒を取り出す。そもそも殺す気も軍刀を使うつもりはなく、少女を安心させるつもりで武器を見せたのだが逆効果だったようだ。


 「大変失礼しました王女様。無闇な殺生をするところでした。ご安心ください。私めが追い払って見せましょう」


 アリアはそう言うと、大仰な礼をして少女に笑いかける。それに対し少女は驚いたようにもう一人の黒髪の少女を見る。


 「それでは、宜しくお願いします」


 金髪の少女が返答に詰まっていると、黒髪の使用人風の少女が代りに返答をしてくれた。


 「あはは、ちょっと格好付け過ぎたかな。ま、彼らにはちょっと痛い目にあってもらうけど、殺しはしないから安心して。ちなみにあの二匹だけ?」


 金髪の少女が思いのほか戸惑った反応を見せたため、アリアは照れ笑いを浮かべる。キザな挨拶は女の子受け良いかと思ったのだが、思いの外微妙な空気にしてしまった。


 「はい、追ってきたのは二匹だけです」


 黒髪の少女が答え、金髪の少女は同意するようにコクコクと頷く。


 「了解。任せといて」


 アリアはニッと笑うと、ヘルハウンドの方に向き、風よけのゴーグルを目にかける。勢いで手に取った薪は地面に置いて催涙スプレーと爆竹を準備する。ヘルハウンドは疲れてきているのか勢いが無い。恐らくここでエンストしていなければ、もう森に帰っていただろう。ヘルハウンドには申し訳ないが運が良い。

 アリアはヘルハウンドに心の中で感謝と謝罪をしながら、爆竹に火を点け、先行したヘルハウンドに投げつける。狙い通り爆竹はヘルハウンドの顔の真下辺りで破裂し激しい音と煙がヘルハウンドを包む。驚いたヘルハウンドは図体の割にかわいい悲鳴をあげ真上に飛び跳ねる。アリアはその瞬間に間合いを詰め催涙スプレーを噴射する。人なら呼吸困難に陥る程強力なものだ。「ギャッ」と可哀相な悲鳴を上げるとのたうち回り、鼻先を地面にこすりつける。


 「ごめんな、君達は普通の犬より丈夫だからこれくらいしないと効き目がないんだ」


 アリアが謝罪しながら、追い打ちでもう一度吹きかける。容赦無いが自分が怪我をしたら少女に申し訳無い。二度催涙スプレーを吹き付けられたヘルハウンドは堪らずガードレールを飛び越え森の方に逃げていった。

 後続のヘルハウンドは既に爆竹の音で戦意を失ったのか、立ち止まって遠巻きに吠えていたため、風上から催涙スプレーを噴射してやる。ヘルハウンドは辛そうにクシャミと咳をしながら文字通り尻尾を巻いて逃げていった。


5


 「怪我はないかい?」


 ヘルハウンドの気配が無くなると、アリアは少女達に向き直り声をかける。


 「はい!ありがとうございます」


 少女達は馬から降りて、お礼を言う。


 「ああ、気にしなくていいよ。良い運動になった。けど、なんでこんなことになったんだい?」


 実際は運動も何も爆竹を投げて催涙スプレーを吹き付けただけであるが、少しでもやった感を見せつける。そしてアリアは実際の疑問を口にしながら燃料の話題をどう振ろうか考える。いきなりバイクの燃料用にサラダ油を分けてくれと言っても通じないだろう。


 「この子が森の中に変な感じがするから近道ついでに調査するとか言って、ずかずか森の中に入っていったんです」


 黒髪の少女が金髪の頭をポンポンと叩きながら回答する。


 「変な感じ?おっと、申し遅れた。私はアリア・ブラッドレー。自然保護官っていって霊魔の調査や討伐をやっている」


 なるべく不審がられないように、自己紹介をして身分証明書を見せる。


 「ご丁寧にありがとうございます。上級の自然保護官の方なのですね。どうりでお強い」


 黒髪の少女が驚いたような反応を見せる。アリアが見せた身分証明書は自然保護官の免許証である。霊魔の存在は非常にデリケートであるため、調査や討伐を安易に行わない様に免許制度を設けている。普通、中級、上級の三等級があり、特に上級資格は霊魔との討伐や交渉など対策全般を取り仕切る権限を持つため、知識と戦闘技能の両方が必要となり難関な資格である。

 黒髪の少女はアリアの身分証を確認すると、金髪の少女の背中をポンと叩く。


 「えっと、シャーロット・ペックです。十五歳です。高校生ですが、大学の研究所で農業の研究してます」


 金髪の少女、シャルは背筋を伸ばして挨拶をする。


 「じゅ……」


 アリアは思わず口に出しそうになった言葉を飲み込んだ。正直十歳位だと思っていた。さらに高校生で大学の研究員とはかなり特殊だ。

 聞き間違いかとも思ったが、「こう見えて、十五歳で賢いんですよ」と黒髪の少女が補足したため、間違い無いようであった。


 「アネット・スミスです。この子の世話係兼保護者をしています」


 黒髪の少女アンが次いで自己紹介をする。メイド姿で保護者というのも謎であるが、アリアは深いところまでは聞かず、とりあえず疑問のあることを再度尋ねた。


 「ところで変な感じとはどういうことだい?」

 「えっと、何て言うか、澱みみたいな嫌な感覚です」


 シャルが答える。


 「そういう時は凶悪な霊魔がいるそうです」


 アンが補足をする。


 「待ってくれ、君は霊魔の気配がわかるのか?しかも性質まで。それなら、今回の行動は看過できない。危険が分かっていながら森に入って、それで襲われるなんて迂闊にも程がある」


 アリアの声音が強くなる。実際に魔素への感知能力が高い人間というものは存在しており、霊魔の気配が感じ取れる者は少なからずいる。アリア自身も高い方で、狭い範囲であり、攻撃的な意識を向けられていれば感覚的に分かる。だからこそ、その感覚がありながら調べに入るなんてことはありえないのである。


 「ごめんなさい。でも、あのヘルハウンドは違くて、別にいるみたいで、それでえっと今回は別のは近くにはいなさそうで……」


 シャルがしどろもどろになりながら、説明しようとする。


 「なるほど。凶悪な奴は近くにいないと思ったから森に入ったわけか。確かにあのヘルハウンドはただ興奮していただけで凶悪な種には見えなかったけど、凶悪な奴が出るとそれだけ周囲も過敏になるんだ。軍隊が調査する場合だって事前に細かく準備して、それでも命を落とすことも沢山あるんだから」


 アリアは思わず説教臭いことを言ってしまった。過去に霊魔を軽視して命を落とした事例に何度も遭遇している。そのため、初対面であろうとも注意すべきときは注意するようにしている。根が真面目なのだ。


 「ごめんなさい。どうしても調査する必要があって。それにあのこの子がいれば逃げられるとは思っていて……」


 気落ちした様子になりながらもシャルはスレイの方に顔を向ける。

 アリアもつられてスレイを見る。見た目は馬と変わらないが、ゾクリとする普通の生物とは異なる感覚を覚える。


 「もしかしてこの馬、幻獣か……?」


 幻獣は霊魔の別の呼び方であるが、人に友好的で知性の高いものを幻獣と呼ぶことが多い。通常は自分のテリトリーから出ず、人間と旅をする事例はほとんど聞かないが、一緒に旅ができるならばこれほど心強いものはいない。


 「おわかりになりますか。自称スレイプニルのスレイです。私はユニコーンと思っていますが」


 アンがスレイの紹介をする。後ろ足辺りをパシパシと叩いている。普通の馬に対してはまずありえない危険な行為であるがそれ程に信頼しているのだろう。


 「お、おお……」


 ぞんざいな紹介に面食らう。幻獣となれば人より上の存在で、普通は神の化身のように丁重に扱われるものだ。


 「ぶるるるるる」


 スレイがアンの言葉を聞いて鼻を鳴らす。


 「『いや、まごう事なきスレイプニルだから。あんな偏屈な好色と一緒にしないでほしい』だって」


 シャルがスレイの言葉を翻訳する。


 「ですが、スレイは女の子しか乗せないでしょう?」

 「『女の子じゃない。女性なら問題ない。男でも仕方なくなら乗せる』だって」


 世にも珍しい幻獣との口論を見せつけられる。


 「もしかして君は幻獣の言葉がわかるのか!?」


 アリアがスレイの言葉を代弁していたシャルに驚く。


 「え、はい。大体ですけど」


 シャルがさも当然の様に言うがアリアにとっては驚愕であった。霊魔の多くは知能が高く言語を理解するが、霊魔側は音を用いた会話を殆どしない。直接思考を相手に送信するのだ。しかし一般人では感知できてもノイズのようにしか感じられず、内容を理解出来る人間は非常に稀である。それに分かっても喜怒哀楽や肯定、否定程度であり、シャルの様に思考を明確に言語化出来る人間は相当に希少である。

 アリアが驚き呆然としていると、突然スレイがアリアに近寄り頭を下げてきた。


 「え、何言ってんの?」


 シャルがスレイを見て戸惑っている。


 「ど、どうしたんだい?」


 突然の幻獣の動きにアリアも困惑する。


 「あ、いえ、えっと『迷惑をかけたお詫びに首筋を撫でて良いぞ』って」

 「は?」


 アリアがさらに戸惑う。 アンが無言でスレイの尻をバシリと叩くがスレイは微動だにしない。


 「あの撫でてあげてくれませんか?こうなると撫でてくれるまで追い回します」

 「あ、ああそれじゃあ失礼して」


 アリアが恐る恐る撫でる。触ってみると見ていた以上に普通の馬との違いが伝わる。するとスレイがさらに身を寄せてくる。


 「『もう少し強めで爪を立てて』って本当にすみません」


 シャルが恥ずかしそうにする。


 「こうかい?他にして欲しい所があれば言ってくれ」


 アリアは少し楽しくなって少し強めに撫でる。


 「鞍の下もって言ってます……」

 「よしきた」


 さらに撫でてやると、さらにスレイが何かを要望するように首を振った。


 「アンちゃん。スレイがね……。これ言っていい?」


 シャルがアンに耳打ちをする。


 「なっ、駄目に決まっとる。良く知らせてくれた」


 アンがシャルの頭を撫でると、スレイに近寄る」


 「調子に乗り過ぎです」


 アンがスレイの耳を抓み、引っ張る。スレイは慌ててアリアの後ろに隠れる。


 「申し訳ありません。どうやらアリアさんのことが気に入ったみたいで、少々度の過ぎたお願いをしたみたいです。お気になさらず」


 アンとシャルが頭を下げる。


 「ああ、いや、こちらこそ貴重な体験をさせてもらったよ」


 お世辞ではなく本当にそう思った。撫でながらも普通の馬とは違う力強さを感じ、内心興奮気味だった。職業柄霊魔と接することはあっても大抵は殺伐としたもので、触れ合う機会などは殆ど無い。

 するとスレイがすり寄るように鼻先をアリアの肩口に付ける。


 『そう言ってもらえるとありがたい。鎧を脱いで胸を押し付けてもらうのはまた後日で良い』


 と、突然アリアの頭に声が響く。少し低めの中性的な声だ。


 「どわっ」


 アリアが驚き辺りを見回す。声はするが何もいない。


 「え、今のスレイ君?」


 アリアが目の前の幻獣を見て呟く。


 「あ、何かスレイしゃべりました?スレイって骨伝導使って内緒話みたいにしゃべれるんですよ。疲れるみたいなんで普通はやらないんですけどね」


 シャルが驚きながら説明する。


 「そうなのか。けどすごい流暢に喋れるんだな……」


 内容は別にして、という言葉は飲み込んだ。


 「はい、接触すれば誰とでも会話できます」

 「本当に凄いな。いや、しかしこれ程の幻獣と一緒ならあの程度の危険は問題にならないか」


 改めてスレイの存在を考えると、戦闘能力だけで言えば軍の一分隊、下手すれば一小隊よりも強いだろう。中途半端な護衛を付けた調査団よりも安全なのは間違い無い。そしてスレイ自身もそう考え森に入っても安全だと判断したのだろう。


 「いけませんアリアさん。あまりこの子を甘やかさないでください」


 アンが納得してしまったアリアに注意をする。


 「自分自身が逃げる算段はついていても、実際に街道まで追いかけられたわけですから。アリアさんじゃなければどうするつもりだったんですか?」


 アンが少し厳しめの目でシャルを見つめる。


 「ごめんなさい」


 シャルがしゅんとして下を向く。


 「まあまあ、助かったし良いじゃないか。それに何か追い払う方法もあったんだろ?」


 アリアが助け舟を出す。正直な所自分がここでエンストしてなければ戦闘にすらなっていなかっただろうことは伏せて、シャルが逃げるよう警告をした時に何か鞄から取り出そうとしていたことを思い出し、それを引き合いに出す。


 「あ、はい。このスタングレネードを使ってもらおうと思って」


 そう言うと、シャルは鞄から大量のスタングレネードを見せた。


 「ああ、なるほど。ある程度の危機については想定して対策は講じていたのか。私が追い払った方法とさして変わらないし。それなら強くも言え無いな。むしろ偉そうに説教してしまいすまなかった」


 アリアはシャルに頭を下げる。頭を下げるのはこの国では霊魔相手や貴族相手など高位のものに対して形式的に行うものなのだが、アリアは女性や子供に対してキザっぽく頭を下げることがある。


 「そんな、とんでもないです。迷惑をかけたのは事実ですし、助けてくださいましたし、こちらこそすみませんでした」


 シャルも頭を下げ、互いに様子を伺い、目が合い思わず笑い合う。


 「……おい、ちょっとまて」


 一人だけ笑顔ではない者がいた。


 「お前、森の中で一個しか無いと言ってなかったか?」


 アンがシャルの頬を両手で挟み、自分のほうに顔を向けさせる。丁寧口調ではなくなっている。シャルは一瞬しまったという顔をする。


 「なんのことでしょうか?」


 シャルは頬を潰されながらも白を切る。目を合わせようとしない。


 「スタングレネードのことだよ!」


 アンの両手に力がこもり頬が更に潰れる。


 「えーと、記憶にごじゃいましぇん」


 シャルは頑張って視線を逸らす。


 「そうか、ならずっと背が伸びなくなるよう念を送り続けてやる」

 「ごめんなさい、言いました」


 シャルは何とかアンの手から逃れると素直に謝る。


 「だってアンちゃん、あるとあるだけ使っちゃうし」


 シャルが反論する。


 「当たり前だ、物を惜しんで命を粗末にする奴がいるか」

 「物を惜しまず使うのと、無駄に使うのは違うよ?」

 「まるで私が無駄使いしているようだな!」

 「この前熊に遭遇したとき目潰し用のペイント弾全部使ったじゃん」

 「あ、あれは逃げ切れたからいいだろ!?」

 「一発で十分だったのに。と言うか撃たないでスレイに盾になって貰った方が安全だったのに。熊さんかわいそ」

 「何が熊さんか。熊だろうが鹿だろうがもしゃもしゃ食う奴が。大体大昔のことをぐちぐちと!」

 「先月の話だよ?」


 熊に遭遇とか、この娘達はどんな旅をしてるんだと思いながら、アリアは口論を止めに入る。


 「まあまあ、何にせよみんな無事だったんだから……」


 すると二人は素直に口論を止め謝罪した。


 「大変失礼しました。そうだ、お礼とお詫びをしなければなりませんね。そう言えばアリアさんもしかしてオートバイの調子が悪いのではありませんか?」


 アンがアリアが望むことを口にしてくれた。もしかしたら気を使ってくれたのかなと思いつつ、この助け舟に乗る事にした。この流れでガス欠を告白するの恥ずかしいなと思いつつも面倒になり正直に言う。


 「バイクの燃料になりそうなもの持って無いかな?」



6


 「へー土壌調査とかあるんだ」


 アリアがシャル達の目的を聞いて聞き返した。シャルはイノリ村から畑の土壌調査を依頼されているのだと言う。

 結局、シャル達は植物油を持ってはいなかった。だが、アリアとしてはすでに幻獣を撫でるという貴重な体験で満足したので、燃料がなければそのまま先に行ってもらうつもりだったが、シャル達の目的地が同じイノリ村ということもあり、お礼もちゃんとしたいということで一緒に行く事になった。

 ちなみにバイクはスレイに引っ張ってもらっているが、これは沢山撫でてもらったスレイからのお礼だという。


 「はい、新しい畑を開墾したらまったく作物が育たないみたいで土壌調査を依頼されてます。ただ、たまに毒性のある霊魔がいるとその影響で農作物が被害にあうことがあるので調べてました」

 「何かわかったの?」

 「正直、ほとんど何もわかんなかったです。わかったことと言えば、ヒュドラみたいな強い毒を持っている魔物はいないことくらいです」

 「ヒュドラ出たら国を挙げた討伐隊ができるな」


 ヒュドラは複数の頭を持つ蛇の霊魔で、猛毒で自然には分解されない毒を出す。特に水源が近くにあると広範囲に被害が拡散するため早期対応が要求される。


 「しかし、この森は危険過ぎるよな。事前の話じゃ、ちょっと立ち寄ったくらいなら遠巻きに吠えられる程度って聞いてたのに、いきなり群れで追い回されるとかありえないし。あたしらじゃなければ間違い無く死んでたっつーの」


 アンがヘルハウンド達に追いかけられたことを思い出しながら文句を言う。この三人はあっという間に意気投合し、随分と砕けた口調となっている。特にアンは見知らぬ人や公の場では丁寧口調だが、それ以外では乱暴な口調となる。


 「ああ、あれはむしろ私達だから襲われたと言う……」


 シャルがまた少し目を逸して言う。


 「はぁ?なんで?」


 アンが素っ頓狂な声を上げる。


 「あれスレイが狙われてたんだよ」

 「何でだよ、大体アリアさんだって襲われたじゃん」

 「あれはアリアさんが上手く進行方向に立って引きつけてくれたからだよ」

 「そもそもなんでスレイを狙うんだよ?」

 「見知らぬ霊魔が森に入ってきたからじゃない?クー・シーがスレイに対して警戒してた。クー・シーって妖精が外敵と戦う時に使役するから、多分新しく出現した霊魔を駆除しようとしていたんじゃないかな?」

 「とばっちりじゃないか!」


 アンが激昂する。


 「いやー、運が悪かったねー」


 シャルがヘラヘラ笑っている。妙に感情がこもっていない。


 「お前、最初からこうなるって予測してたな!?」


 アンがシャルに掴みかかろうとしたとき、アリアがボソリと考えていたことを言う。


 「となると、最近あの森に霊魔が出現した可能性が高いのか。その上で森の主が攻撃を仕掛けるような危険な奴か……」


 アリアはそう言って口元を手で抑えて考え込む。攻撃的な霊魔が最近になって出現したことがわかっただけでも収穫だが、それは村に危険が迫っていることを示していた。


 「……やばいですね」

 「……やばいっすね」


 シャルとアンがアリアの言葉を受けて同時につぶやく。面倒なことになってきたなとアリアは思った。アリアが受けた依頼はイノリ村の近隣に移り住んできた妖魔の調査とその対策指導である。仕事としてはよくある部類だ。しかし、今回はそれだけでは無さそうだ。手に余るようなら領主に報告し軍隊の出動要請をする必要がある。そしてそれには森の中を調査して危険性を示さなければならない。危険な霊魔がいる森の内部を調査するのは命がけである。正直帰りたい。しかし今帰ると下手をすれば村が全滅する。


 「参ったね、こりゃ」


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