第8話 北の森
レイル殿下からお説教を受けた前日のこと──。
僕はアルと駄弁りながら夕飯を食べた後、再び王宮を散歩していた。
もちろん陰を強くして、胸を張り堂々と廊下を歩く。
通りすがりの使用人たちは、一度立ち止まって軽く会釈してくれる。
僕にとっては、今が人生で一番幸せな瞬間だった。
夢ならば永遠に醒めないでほしいと思う程に。
軽い足取りで鼻歌を歌いながら(時々スキップ)、突き当たりを曲がった時に、微かに品の無い声が聞こえた。
それに意識を向けてみると、はっきりと会話が聞こえてきた。
どうやら、男子が数人で女子を襲っているようだ。
僕は耳で状況を把握すると、異界人の部屋が並んでいる区画へ行き、陰を薄くして目当ての部屋のドアを開けた。
女子ひとりを3人の男子が押さえつけ、欲望にまみれた目で事を起こそうとしていた。
これは場合によっては、最大級のトラウマになりかねなかった。
僕は怒りに任せて──とはならず、冷静に群がる男子を排除する。
まず、ふたりのがら空きの首筋に手刀を振り下ろし昏倒させ、続いて、女子の柔肌をその汚い手で触っていた奴の頭を蹴り飛ばした。
女子を助けてみて、スマートすぎる処理だと自分でも驚いた。
今まで喧嘩なんてしたことなかったし、人の顔に蹴りを入れるなんてことも、もちろんしたことはなかった。
だが、僅か2日の訓練で、不意打ちによる一撃で敵を倒す技のみを学んできたのだ。
僕のこの影の薄さならば、大抵の相手には不意打ちで倒せるということである。
訓練の成果が意外と早く実践できて満足顔で振り向くと、そこには呆然唖然とした顔で固まっている女子がいた。
襲われていた女子に負けず劣らずの美貌。
内の学校、無駄に美少女多いなとか思いつつも、どうしようかと考える。
まさか正体を晒すわけにもいかない。
一応、レイル殿下の隠密だしね。
かといって……。
「さすがに女子には手を上げられないよね」
少し考えた後、地面に映る影が実体を持って流れるように吹き出してくる。
僕の周りを流動している影は、徐々に脳内でイメージした形へと作られていく。
それは幽霊だ。
禍々しいオーラを放ち、一気にホラーと化す。
そのあまりのリアルさに、作った自分も恐怖を感じた。
空中をフヨフヨ浮かぶこの幽霊を視界に収めた香凛は、黒目を一周させた後バタリ──と倒れた。
それと同じタイミングで、背後から「ヒッ……」とか細い声がした。
振り向くと、結依も意識を手放していた。
「あっ、ごめん……」
僕は申し訳なさげに頭を掻きながら、この部屋を後にした。
通りすがりのメイドさんに軽く事情を話して後をお願いしておいたので、たぶん大丈夫だろう。
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ハープラン王国の王都・リランカ。
西洋風の街並みで、至るところに河川が流れていることで有名なこの都市は、音楽が特に栄えていて、涼やかな音色が風に乗って人々の耳朶を打つ。
そしてこの街の大通りでは、多数の種類豊富な屋台が並んでいて、活気に溢れ大きな賑わいを見せている。
その人で溢れた道を、ローズに手を引かれながら北門へ向かっていた。
良い匂いがそこかしこからしてきて、僕の意識は完全にそっちへ向くのだが、ローズがそれを許さない。
足を止めようとする僕に構わずに、ズンズン引き摺られていく。
傍から見たら、オモチャをねだる子供を強引に連れて帰る母親の構図だなぁとしみじみ思っていた。
大通りを抜け、多くの宿屋が点在している宿屋街を突っ切ると、リランカにみっつある門のひとつ、北門が見えてくる。
高さ10m以上はある巨大な門には、アイラス語で北門と書かれており、現在は全開に開け放たれている。
といっても、余程のことがない限りは閉めないらしいけど。
ローズに引き摺られながら、北門に近づいていくと、そこに駐在しているおじさんの門番が姿勢を正して綺麗に一礼した。
「ローズ様、ご無沙汰しております」
「うむ。元気そうだな。何事もないか?」
「はい!街道は特に異常は見られておりません!ただ、北の森では動物が怯えているようで何かあるのかもしれません。森に行かれる際は、お気を付け下さい」
「そうか、わかった。……通してもらうぞ。こいつは、異界人だからチェックは不要だ」
「了解しました!」
再度深く礼をしたおじさんの門番に見送られ、王都を出ていく。
見えなくなるまでこちらを見ている門番のおじさんを振り返って見ながら、ローズに話しかける。
「師匠、慕われているんですね」
「王国騎士団の団長をしているからな」
因みに、僕はローズのことを師匠と呼んでいる。
最初に"さん"付けで呼んだら殴り飛ばされたからね、生意気だって。
それから、色々試してみて師匠呼びが一番気に入ったらしかった。
「あの門番の人とは、どういう知り合いなんですか?」
「知らん。門番の顔など一々覚えている訳ないだろう」
「……え?いや、元気そうだなとか言ってませんでしたか?」
「じゃあ、お前は不健康そうに見えたか?」
「……あれ?そういう意味ですか?知り合いに掛ける言葉のような」
「なにか文句があるか?」
「な、なんでもないです」
あの門番のおじさん、ローズが元気そうだなって返した後、かなり喜んでたよ?
凄いナチュラルな知ったかぶりだった。
街道に沿って歩いていると、左側に生い茂った森林が姿を現した。
『ラメアの北の森』
猪や熊などの動物が多く生息し狩猟には最適な森とされ、危険度はかなり低いことで有名だ。
森に入っていくと、さっそく猪と遭遇した。
──ブルルルルル。
いきなり突進してくる猪を慌てて横に飛んで回避する。
「あぶなっ」
「まずは、その猪を倒してみろ」
「武器とかないんですか?」
「ない。今のお前なら苦もなく倒せるはずだ」
ローズの言葉に頷き──。
スキル〈聴覚強化〉を発動し、背後から再び突進してきた猪を、その足音から距離、方角、速度を把握し、紙一重で躱す。
2度躱されて怒り心頭の様子の猪は、鼻息荒く暴れながら再度向かってくる。
僕は、〈肉体耐久力強化〉を限界まで引き出し、その場に留まった。
ドガンッ───ズシャアアアアァァァ
猪の突進をもろに受け、後方へ大きく吹き飛ばされた僕は、自然と笑みが溢れる。
あ、別にMというわけじゃないよ。
「──ッ!ユウタ!」
ローズが焦った声で初めて僕の名を呼んだ。
「大丈夫です。どうやら、無傷のようですから」
起き上がり、今度はこちらが猪へ向けて突進していく。
「陰影創造・剣」
自分の影が実体化し、一瞬で剣に形を変える。
《陰の支配者》は、あらゆることができる応用力に富んだスキルだ。
武器がないならば、作り出せばいい。
地面を強く蹴って、すれ違い様に剣を振るう。
猪の首を切り裂いて、切り口から赤い血が吹き出し、倒れた。
実は首を切り落とすつもりで剣を振ったのだが、予想以上に難しく半分ぐらいしか刃が入らなかった。
「お前は……まさか、スキルの効力を確かめるために、わざと突進を受けたのか?」
お前呼びに戻ってしまいました。
咄嗟のときでしか名前で呼んでくれないのでしょうか。
「はい。〈肉体耐久力強化〉がどこまで耐えられるのか気になったので」
「まったく、お前は。下手をすれば死ぬことはなくても大怪我をする可能性はあったというのに。──ふふ、あのふたりが推挙するわけだな。肝が座っている。よし、次の獲物だ」
「はい!」
微かにローズが笑った。
普段見せない師匠の笑みに少しドキリとさせられた僕は、無意識に少し視線を反らして返事をした。
そして、僕たちはさらに森の奥へ進んでいった。