第3話 有太と女神様
この場にいた生徒や先生が消失し、僕だけが取り残された。
恐らくもう転移したんだろうけど、神様相手でも起きたこの仕打ちは、少なくないショックを僕に与えた。
ひとり残された僕の運命値ってやっぱり低いんだろうか。
と、ようやく女神様の存在を認めて、ひとり自問していると。
『──ツァッ』
頭上から、辺りに無駄に反響する舌打ちが聞こえた。
僕が見上げると、この上なく不快感を露にし、不満たらたらな様子の女神様がいた。
彼女は、どこからともなくハンドタオルを取り出すと、空気に直接触れている自分の肌を拭き始めた。
女神様なのに潔癖なのかなと、少し違和感を覚えた僕はつい我慢できずに問いかけた。
「あのー。女神様でも、肌の手入れとかしてるんですか?」
普通の人なら、何かに夢中になっていない限り聞き取れるぐらいの声量で質問したにも関わらず、女神様はなんの反応も見せなかった。
それどころか、拭き終わったタオルがパッと消えた後、独り言を溢し始めた。
『あーくさい。下界の生き物ってなんであんなくっさいのよっ。容姿も言葉もオーラも全てがくさい。ついうっかり、本当に殺しちゃったじゃない。挙げ句の果てには、あんなにダラダラとしやがって。これ以上あんな醜い生き物と話してると、こっちまでくさくなってくるわ。いっそ女神なんてやめようかしら』
「………」
空いた口が塞がらないとはこういうことを言うんだろう。
さっきまでとは、まるで別人のような表情と言葉遣いで、さすがの僕も呆気にとられた。
これ──素の自分を見られたから殺すとか言われないよね?
『はぁ。もう疲れたから帰って10年ぐらい寝ましょうかね』
そう呟いた女神様は、ヒラリと地面に音も立てず降りると、踵を返して、遥か遠くに見える白い宮殿のような場所に向かって歩き始めた。
さすがにこのままじゃまずいと感じた僕は仕方なく、人と必ず話せる声で、女神様に話しかける。
「あのー。僕まだ残ってるんですけど」
『ッッッ!!』
ビクッと肩が震えた女神様を見て、なんだか意外と人間味を感じた。
数オクターヴ上げると言っても、頑張って高くしたような変な声ではなく、声量も調整してよく響くような声で、今の所この声なら必ず気付いてもらえる。
あまりにも不便で一生懸命練習したのだ。
ならば、いつもその声で話せばええやん?と、関西出身の叔父さんに言われたのだが、それは御免被る。
───疲れるし。
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バッ!と勢い良く振り返った女神様は、キョロキョロと辺りを見回し、首を傾げる。
気付かれる声を出しても、このように姿は中々知覚されない。
僕にとって、人(今回は女神様)と会話をするのは奇跡に近いことなのだ。
『……気のせい?このわたくしが?』
「気のせいじゃないですよ。僕のこと見えないですか?」
『ッッッッン!?』
ようやく気付いた女神様と僕の視線が交わり、僕は内心嬉しくて、反対に女神様は目を限界まで見開いて驚いていた。
『あ、ああ、あんた。いつからそこに!?』
あまりの驚きに、冷静さを失い言葉遣いが雑になる女神様。
それは、皆がいた時の話し方とは180℃違っていて、僕に不思議な可笑しさをもたらす。
「最初からいましたよ。女神様、酷いですよ。僕にも特殊な力というの下さいよ」
『うそ……。まったく気付かなかった』
そこでハッと何かに気付いた女神様は、咳払いひとつしてからまた話し出す。
『ごめんなさいね。ひとり忘れていたようですね。では、あなたにも特殊な力を授け、"アフィラス"へ送ります……え!?』
一度僕から目を離し、手の平を水平に持ってきて再び前を向いた女神様は、困惑な表情でまたキョロキョロし出す。
「あ、目離しちゃったらまた見失っちゃいますよ」
『めんどくさいな!!』
「いや~そう言われましても。こういう体質なので」
『どういう体質よ!……はぁ。あなた、本当に人間?わたくしでも存在を認識できないなんて。それに、運命値がキモいわ』
──キモい!?
それはつまり、何にもなし得ることができない程、低すぎるということかな。
やっぱりこの世は、僕にかなり厳しいようです。
「あっ、じゃあ、影が濃くなる力とかがいいです!」
『そんなんないわよ!はぁ、はぁ、はぁ。あなた、わたくしのことバカにしてる?』
そう言って半眼で睨んでくる女神様から目を反らし、力をくれるのを待つ。
『まぁいいわ。ん?さっきの人間を生かしてたら、固有能力残ってなかったわね。結果オーライだわ』
的確なツッコミをくれてから一切僕から視線を外さない女神様は、その腕をゆっくり持ち上げ、先程と同じように力を行使する。
青白い輝きが僕の体を包む。
やがて、校舎の屋上で感じたような、何かに引っ張られる感覚を覚えた。
転移の合図だと捉え、転移する前に口を開いた。
「ありがとうございます、女神……えっと、女神、様。どんな力なんですか?」
『いや、覚えてなさいよ!女神フランディーテよ!どんな力かは、知らないわ。行ってのお楽しみね───あなたみたいな面白い人間もいたのね。せいぜい死なないように頑張りなさい』
「フランディーテ様。今、覚えました!……知らないんですね。あ、もう行くみたいなので、最後にひとつ。女神って仕事?合ってるんじゃないですか?」
その言葉を最後に、僕は再び意識を手放した。
『ふん。下界の生き物の分際で生意気よ』
有太が消えた"女神の庭"で、女神フランディーテはそう呟き、表情を少し柔らかくして踵を返すと、軽い足取りで白亜の宮殿へ向かった。