第1話 曲解
「レオン、お前の方に行ったぞ! 気をつけろ!」
壮年の男性の怒号がナタル村の畑に響き渡る。イノシシのような動物が剣を持つ青年の方へと突進していた。
「わかりました!」
壮年の男の声に反応して、突進してくる動物の方に向かって剣を構えるその青年の眼差しに迷いはなかった。髪は短く、鮮やかな青色で、その瞳は何者にも染まらず、惑わされない漆黒で染められていた。背丈は標準的と言ったところではあるが、年頃の男相応に腕には筋肉の隆起がはっきりと現れていた。レオンと呼ばれるその青年は向かってくる動物の足を剣で断った。しかし、依然としてその動物は村人に危害を加えようとする。獣に睨みつけられた女性が大きな悲鳴をあげる。レオンはその悲鳴を聞き逃さなかった。レオンは直ちに右手を前に突き出して、手のひらを大きく開く。
「聖なる炎よ、邪悪な獣を焼き払え。ファイア!」
レオンがそう唱えた瞬間、レオンの右手からは炎が飛び出して、獣の体に向かって発された。炎が獣の体に命中すると、獣はとても耐えられなくなり、悲痛な鳴き声をあげながら、その身を炎で燃やされ、ついには息絶えた。迫り来る脅威を消し去ったレオンはひとまず安堵のため息をついた。レオンのおかげで、村人全員が何事もなく無事であったことを喜び、彼らは歓喜の声をあげながらレオンを取り巻いた。
「よくやってくれたな!」
「あんたはこの村の誇りだよ!」
「お前がいてくれれば、この村はいつまでも平和だぜ!」
村人たちに囲まれ、もみくちゃにされるレオン。村人たちとともに、レオンは嬉しそうに戯れていた。そんな中で一人の老人が、レオンと同じ年頃の女の子を連れて、その輪へと近寄ってくる。
「レオンよ、またしても村を危機から救ってくれたな。本当によくやってくれた。この村の長として、皆を守ってくれたこと、礼を言わせてもらうぞ」
「いえ、これが僕の仕事ですから。あのような凶暴な獣を退治できるのはおそらく、この村では僕だけです。僕は自分のするべきことをやったまでですよ」
村長からの賛辞の言葉をいただいても、全く驕るそぶりを見せず、むしろ謙遜すらしてしまうレオンを見て、村長は思わず感嘆してしまう。
「お前は本当によくできた男よ。そのような素晴らしい力を持ちながらも決してそれに満足せずに、常に人のために役立つことを考えておる。もしかすると、昔から語り継がれているおとぎ話に出てくる光の子とは、お前のことかもしれんのう。フォッフォッフォ」
「そんなわけがないでしょう。冗談はよしてください」
村長からの言葉に、若干顔を赤らめながらレオンは返事をした。そんな様子を見て、村長の側に控えている、レオンと同じくらいの歳の女の子がレオンをからかう。
「ふふふっ。レオンったら、お爺様に褒められて、顔が赤くなっているじゃない。そんなに照れなくてもいいのに」
「なっ!? う、うるさいぞ、フロール! 俺は別に照れてなんかいないぞ!」
「そしたらどうしてそんなにもお顔が赤いのかしら?」
「こ、これは、今の戦いで運動したからだよ!」
レオンとフロールの可愛らしいやりとりを見ながら村人たちは大きな声をあげて笑う。レオンは少々バツが悪くなってしまった。
「おいフロール! もう行くぞ!」
レオンはフロールの手を引いて、その場から二人で抜け出した。
「お前さあ、余計なことは言わなくていいんだよ」
レオンとフロールは村の草原を歩きながら談笑していた。レオンはフロールにみんなの前でからかわれて、笑いの的になったことに、少し機嫌が悪くなっているようだ。
「あはは、ごめんごめん。あの時の照れているレオンはとっても可愛かったから、ついからかっちゃったわ」
「またそうやって余計なことを言うだろう!?」
レオンとフロールは幼い頃から一緒に育ってきた。二人とも親を幼い頃に亡くしてしまって、フロールの祖父である村長の世話のおかげで今まで育つことができた。そんなよく似た境遇で育った二人は友達以上の感情をお互いに抱きあっていた。
「全く、これだからお前は可愛くないんだよな!」
「あーっ、レオンひどいよ!」
「お前が悪いんだよ、バーカ!」
「こんのー! もう怒ったぞ!」
フロールがレオンを追いかけて、レオンはそれから逃げる。口ではお互いをバカにしながらも、その様子からは二人の仲むつまじさが伺える。少々レオンが手を抜いて走ると、フロールはレオンを捕まえることに成功した。
「へへっ、捕まえたんだからね!」
フロールは笑いながらレオンを見つめた。すると、これまではお互いふざけあって、おちゃらけた雰囲気でいたのに、急にフロールが神妙な面持ちでレオンを見つめた。
「レオン、いつも危ない時には私たちを守ってくれてありがとう」
「ああ、言われなくてもわかってるって」
「えへへ、良かった」
フロールは忌憚ない笑顔を取り戻して、レオンの腕を引っ張った。もう太陽は山の端に消えかかっていた。
「さあ、そろそろ夜ご飯の時間かな! 村へ戻ろう!」
レオンはフロールに手を引かれるがままに村へと帰って言った。こんな平穏がいつまでも続けばいいのに。それだけが二人の願いだった。
翌朝、レオンは自分の家のベッドの中で、窓からの日の光を浴びて目を覚ました。昨日はレオンの活躍のおかげでみんなが守られたということもあって、レオンのための宴会が開かれた。そこでレオンはお酒を飲んでしまい、酔ったせいで目覚めが悪くなってしまっていた。太陽の位置から察するに、もう昼も近いだろう。
「そろそろ起きるか」
独り言を呟いてベッドから身を起こす。寝起きの時にはわからなかったが、徐々に意識がはっきりしてくるにつれて、外が何やら騒がしいことに気づく。村人たちは大きな声で何かを言い争っているのがレオンの耳に入る。
レオンがおもむろに家の外に出ると、村人全員が村長の家の周りに集まっていた。一体何事かと思ったレオンは興味本位で村長の家に向かった。
「どうしたんですか?」
レオンが何の気なしに大衆のうちの一人に話しかけると、その男はレオンの顔を見るなり、何も事情を説明せずに突然レオンを罵倒した。
「この人殺し! お前の親父さんとお袋さんが亡くなってから、村長の世話を受けてここまで成長できたのに、村長から受けた恩を忘れたのか!?」
「は?」
身に全く覚えのないことを言われ、レオンは何も言えなかった。一体何のことなのかと頭の中で考えていて何も言えずにいると、他の村人がレオンの肩を突き飛ばした。
「とぼけるんじゃない! お前が村長を殺したってのはわかってるんだよ!」
「何のことですか!? 僕は、昨日は宴会の後、ずっと自分の家で今まで眠っていましたよ!?」
「じゃあ村長のこの傷跡は一体何だって言うんだ!?」
レオンは恐る恐る取り巻きの中に身を投じる。周りの村人たちのレオンを見る目が痛い。そんな鋭い視線を浴びながら、レオンは村長の変わり果てた姿を確認した。そばではフロールが茫然自失とした様子で村長の遺体を見下ろしていた。
「そ、村長……」
レオンは音にもならない、まるで呼吸のような声を出して村長に近寄り、膝をついて村長の遺体を見下ろした。村長の遺体の首元に手を触れると、これまでは気づかなかったが、その首元に大きく焼けた跡があることにレオンは気付いた。まるで肉を焼いたように焦げており、呼吸器が焼き絶たれていた。村長はおそらく烈火に呼吸を妨げられて亡くなったのだろうと思われた。
「どうだ!? その焼き跡をつけることができるのは、村の中では魔法を使えるお前だけだ! 此の期に及んで言い逃れができると思うなよ!?」
レオンは村人たちからの罵倒を浴びる。しかしレオンにはその罵倒すら届かない。両親が死んでから、父親代わりであった村長を失ったショックが大きすぎて、レオンもまた、フロールと同様に茫然自失としていた。
「何無視してんだよ!?」
村人の一人から後ろから背中を蹴られ、ようやくレオンは意識を取り戻した。自分が村長を殺害したと疑われていることの重大さに気づいたレオンは必死に弁明を始める。
「僕じゃありません! 両親を失ってからまるで本当の息子のように可愛がって、フロールとも分け隔てなく愛情を注いでもらって、今まで育ててもらった恩人である村長を私が殺す理由なんてないでしょう!」
「じゃあ村長の首元の傷はどうやって説明するんだよ!?」
レオンは改めて村長の首元の傷に目を遣る。それはどう見ても魔法によってつけられた傷であった。このような火力を発することは常人には難しい。それは魔法を使うことのできるレオンにとって何よりも理解できることであった。
「確かにこの傷は魔法によるものと思われますが、さっきも言った通り、昨日は、僕は宴会が終わってそこからは自分の家で眠っていたんです!」
「つまらない嘘なんてつくんじゃない! 何と言おうとこの傷はお前が魔法でつけたものだ!」
「そうとは限らないじゃないですか! 村の外の、魔法が使える人間がやったという可能性だってあります!」
「いつまでしらを切るつもりだ! 見苦しいんだよ!」
「だったら村長の家から財産が盗まれているかどうかを確認した上で、もしも盗まれているのなら僕の家にそれがあるかどうかしらみつぶしに探してください! それで僕の家にそれがなかったのなら僕は無実です!」
レオンの提案は確かに論理的なものだった。もしも村長の財産が盗まれていて、それがレオンの家になかったなら、犯人は村長の財産を狙った魔法を使える人物と断定できるからだ。すると、犯人は村外の魔法を使える人物となる。
村人は村長の家とレオンの家を隅から隅まで探し切った。すると、村長の家から村長の亡き妻の遺品である宝石が盗まれていることがわかった。しかし、レオンの家をいくら探しても、その宝石は見つからなかった。かくして、レオンの無実は証明されたかに見えた。しかし村人たちはその事実を認めようとはしなかった。
「嘘だ! きっと魔法を使って宝石を隠しているんだ!」
レオンを非難する声があちこちであがる。レオンはそれに対して必死に説得をした。
「もういい加減にしてください! 僕はそんな魔法は知りません! 今まで村のために、僕がどれだけ貢献してきたか考えてください! この村を愛していたら、そんな軽率な行動はとれないことくらいわかるでしょう!?」
「うるさい、人殺し!」
「お前みたいな人殺しは出て行け!」
この声が上がったことを皮切りに、村全体から『人殺し』のコールが鳴り響き、レオンの耳から脳内に響いた。これまで必死に村人を説得しようと試みたレオンであったが、レオンの中で何かが切れてしまった。
「……さいんだよ」
「なんだって!? はっきり言わないとわからないだろうが!」
村人たちに追い打ちをかけられて、レオンは大声をあげる。
「うるさいんだよ! 俺が村長を殺していない証拠も揃っているのに、そんなに俺を犯人にしたいのか!? 俺はこの村のためにこれまで尽くしてきたのに、その態度は一体なんなんだよ!?」
レオンの激情に際して、ついさっきまで威勢良くレオンを罵倒していた村人たちは、一挙として静まり返ってしまう。それでもレオンはとめどなく湧き上がる感情を声に出さずにはいられなかった。
「さっき誰かが、『出て行け』って言ったよな? それならお望み通り出て行ってやるよ。生命の危険も厭わず、村を守ってきたっていうのに、そんなふうに恩を仇で返されるんだったら、こんな村はこっちから願い下げだ」
レオンは踵を返して自宅へと戻って行った。村人たちの中では、犯人かもしれないと疑っているレオンに対する恐怖や憤りと、これまで村のために一生懸命働いてくれたことへの感謝とが渦巻いた矛盾した想いが込み上げていた。村人たちはただレオンの後ろ姿を見送ることしかできなかった。
その夜、レオンは自宅の荷物をまとめて、旅に必要なものだけを身につけて自宅を出た。村は、昼間の喧騒とは打って変わって静寂に包まれていた。まさかとは思ったが、村人たちがレオンを引き止める様子や、レオンとの惜別を悔やむ様子などは微塵も感じられなかった。あの様な扱いをされても村人たちに、レオンはまだ微かな期待を抱いていた。しかしその様な淡い期待は一瞬にして打ち砕かれた。レオンはそんな状況に対して鼻で笑って、村の出口の方へと向かって行った。
村の出口までは少々距離がある。出口まで歩きながら、レオンは村の細かな部分に目を向ける。フロールとともに登った村で一番大きな木、昔フロールとともに飼っていた犬の小屋、フロールと水遊びをした澄んだ川。そんな当たり前ではあるが、思い出のこもった全ての物に想いを馳せながら、レオンは強い郷愁に浸っていた。もうこの風景を見ることはないのだ。そう思うと、レオンの目から雫が流れ落ちた。それはとどまることを知らない。なぜあの時怒りに任せて村を出て行くなどと啖呵を切ったのだろう。もう少し辛抱して説得していたら、もしかしたら村人たちと分かり合えて、村に残れていたのかもしれない。深い後悔にレオンは苛まれ始めた。いくら悔やんでも、どうしようもならないことが、より一層レオンを苦しめた。
際限なく続く後悔とともに、レオンは歩みを進めた。そしてついに村の出口に到着した。もうこれで本当にこの村とお別れだ。レオンは呼吸を整えて、村から出ようとすると、出口の柱に、何者かがもたれかかっていることに気づいた。その影はレオンの存在に気づいてレオンの方に駆け寄ってくる。徐々に近寄ってきて影の正体がはっきりとする。
「レオン!」
影の正体はフロールであった。他の村人全員がレオンを邪険に扱う中で、彼女だけはレオンのことを考えてくれていたのだった。それでもレオンはまだフロールの真意がわからずに、返答できずにいた。レオンが話しかける様子がないのを察したフロールはレオンに自分から話しかける。
「本当に行っちゃうの?」
「ああ」
「そう……」
フロールはいくらか予想はしていたが、いざレオンの村を出て行く決意を耳にすると、悲しまずにはいられなかった。フロールは顔を俯けた。
「どうせお前も俺がやったと思っているんだろ? お前だって、俺に出て行って欲しいんだろ?」
信頼していた村人たちから裏切られて、レオンはもはや長きをともにしてきたフロールさえも信じられなくなっていた。フロールなら引き止めてくれるかもしれない。そんな淡い期待を抱きつつも、疑心暗鬼になってしまっているレオンは誰も信じることができなかった。レオンからのトゲのある質問を受けたフロールはしばらく返事をしなかった。
「わからないの……」
しばらくしてから彼女の口から出た言葉は、えも言われぬ深さを持っていた。肯定か否定かでは答えられないほどにフロールの心は揺らいでいた。フロールはさらに言葉を続ける。
「おじいさまが殺されて、その犯人がレオンかもしれなくて、それに村人みんなかレオンかどっちの味方をすればいいかわからないの。私だってレオンを信じたいわ。だっておじいさまをあんなにも信頼していたレオンがおじいさまを殺すはずなんてないもの。でもこの村で魔法を使えるのはレオンだけ。それを考えたら、この中ではレオンを疑うしかなくなっちゃうの……」
フロールは今にも泣き出しそうな面持ちで自分の心の内を吐露する。自分の幼馴染を疑わなくてはならない状況がどんなにも辛いことか。レオンはフロールにこんな悲しい思いをさせた、村長を殺した人物を恨んだ。今この場にいるのならば、殺してしまいたいとも思った。そうすれば、自分の疑いも、フロールの辛さも解消されるのに。レオンは何も言わずに歯を食いしばり、拳を握りしめた。
レオンが依然として何も言わずにただ立ち尽くしていると、フロールはレオンに問いかける。
「どうしても行ってしまうのね?」
「ああ。気持ちは変わらない」
「じゃあ、私からのお願い、聞いてくれる?」
「なんだ?」
「そんなにも村を出て行く決心が強いのなら、私はもう引き止めないわ。ただ、これからの旅の中で、おじいさまを殺した犯人を見つけてレオンは犯人じゃないってことを村のみんなに証明して欲しいの。そうすれば、レオンもこの村に帰ってこれるよね?」
レオンはフロールの優しさに触れた気がした。フロールは心の底ではレオンを信じ続けている。フロールはレオンが村に帰ってこれる選択肢を与えてくれたのだ。レオンは握りしめていた拳を解いた。そして微かにだが、口元に笑顔が戻り始めた。
「嫌だって言ったら?」
「私が悲しくなるだけ。こんな時にまで意地悪してくるのね。呆れちゃうわ」
「冗談だよ」
二人はいつもと同じような会話をすることができている。二人はしばらく思い出話に花を咲かせた。二人で村を駆け回ったこと。村長と一緒にご飯を食べたこと。二人で釣りをしたこと。話し続けるときりがなかった。時間は飛ぶように過ぎ去っていった。しかしそのような楽しい時間もやがて終わりを告げる。夜明けが近づいてきた。
「そろそろ行かないと。他の村人に見つかったら面倒だ。お前の立場も危うくなるだろう」
「そうだね。寂しいけどしばらくお別れだね」
フロールはおもむろに服の胸ポケットから何やら布切れを取り出した。
「はい、これあげる」
「なんだこれ?」
「お守りだよ。ここで待ち始めるまでに頑張って作ってあげたんだから、感謝しなさいよね!」
それはとてもお守りには見えなかった。その場しのぎで布をつなぎ合わせた幼子の裁縫練習の作品にしか見えなかった。しかししっかりと心はこもっていた。
「お守りだったのか。てっきり雑巾かなんかかと思ってしまったぜ」
「またそんなこと言う! いらないなら返して!」
「いるに決まってるじゃないか。ありがとう。大切にするよ」
レオンはフロールから受け取ったお守りをカバンにつけた。
「じゃあいってくるよ。必ず犯人を見つけて帰ってくるからな」
「うん! またね!」
フロールは精一杯に笑った。その目からは涙が溢れ出していた。今回ばかりはレオンはさすがにフロールに意地悪するのをやめた。これ以上フロールと話してしまったら自分も泣いてしまう。レオンはそそくさとフロールに背を向けて、朝日が昇り始めている東に向かって歩みを進めた。なぜだか前がよく見えない。きっと差し込む朝日のせいだ。頬に何か熱いものが流れ出るのを感じ取ってはいたが、レオンはそう信じた。たった今、この瞬間には、これがレオンの歴史に名を刻むほどの大冒険になることなど、誰にも予想がつかなかった。